慈雨の日記

2005年07月31日(日) 読書感想文。



夏休みの宿題と言えば、読書感想文。
私は、あれが苦手だった。
本は好きだけれど、感激した場所のそこのどこがどうとか
頭で整頓されて、ストンと何かが言葉として残るタイプの読み手ではなく
なんとなく、そう感覚として
「これは好き」「これは全体的に嫌い」とか
そんな風にしか受け取れないのだ。
文章にすると、感じたことが嘘みたいに思えてしまう。
自分が感じたものそのものではなくて、
まるで他人が感じたみたいな、よそよそしい印象になってしまうのだ。

なんでいちいち読んだ本のココがどうで、私はどう思ったなんて
書く必要があるんだろうか。
言葉にしてしまえば、すっきりするようだけれど、
それはある意味、文章にしてしまった自分の気持ち以外には
どこにもいけないような縛られた感覚がある。
もっとあやふやで、すごく後に「あれはこんな意味だったのかもしれない」とふっと浮かぶような、そんな読書のやり方の方が私は好きだ。

ただ昔、友達と同じ本を読んで、
(サガンの代表作、題名は忘れてしまった)
ラストについて意見が分かれた。
主人公のお母さんが、最後に車で事故にあって死んでしまう。
それは自殺なのか、事故なのかということだった。
友達は「自殺だ」と言う。
主人公はおかあさんを傷つけるようなことをしていて
それを苦にして亡くなったというのだ。
わたしは「事故だ」と思った。
ただ単に事故なのに、娘は自分のせいで母がなくなったのだと
悔やまなくてはならないはめになる。
負わなくていい傷を、負って傷つく。
そういうほうが、面白いと私は思ったのだ。

多分、友達の方が、当たっているのだろうけれど、
わたしの読み方も面白いと今でも思う。

人によって読み取り方がさまざまだから、
そういうのを感じるために、人が書いた読書感想文を
読むというのは、面白いのかもしれない。



2005年07月30日(土) お泊り保育、後夜。



お泊り保育に余裕さを見せていた息子だったが、
やっぱり、かなり緊張していた模様。
当日の朝は、突然メソメソしだして、ちょっぴり
周波数乱れ気味でした。
一番「あ、やっぱり不安なんだ」と感じたのは
お泊り保育の集合場所で、
息子の上履きと間違えて娘の上履きを持ってきてしまったことが
分かった時で。
同じサイズなので問題ないだろうと親の私は思うのですが、
彼は涙を微かに浮かべ「こんなんじゃいやだっ」という顔つきで
不安そうな顔で、ひっそり腕で涙を拭いていた。

なんというか、そういうアクシデントに弱いというのは
誇るべきことではないと思うのだけれど、
「そんなに強くない」という息子に、胸キュンです。

昨日は無事にお迎え。
ドキドキでしたが、無事に何事もなくお帰りとなりました。
先生に聞いたら、「夜中に目を覚ましてしまったみたいで
(先生が)隣に寝て、トントンってしてあげたら
目をギュッとつぶって寝ようとしていて可愛かったですよvv」
とのこと。
先生は、若くて可愛い先生なので
そんな先生にトントンしてもらえるなんて、
「むむ!しっかりしてるな息子」と
息子のちゃっかりぶりに思わずご満悦な私なのでした。

そんな息子がいなかった夜はつまらなさそうだった
娘のために、「物語を書いてみよう」という課題で?
一緒にあそんだりして、結構気をつかったのに、
娘と来たら「シュウばっかり心配してるっ!」と
ブリブリ怒っていて、ちょっと寂しかったですタイ。
親の愛を汲み取って欲しいっす。

そんな二人がそろった昨日の夜は、
くだらないことで二人で笑っている声に包まれいて
姉弟っていいなぁと、
心が、ほっこり温かくなりました。



2005年07月27日(水) お泊り保育、前夜。




元の写真は、ピンクの風船だった。
アートな感じに、と自分で笑える目標で写真をいじったら
笑えないような写真になってしまい・・・ました。

明日から、幼稚園の息子はお泊り保育。
一泊、といっても夕方に行って次の朝にはもうお迎えなので
なんか一泊というほどでもないのですが、親元はなれて初めての一泊。
親としてはドキドキです。
でも、それでも子供を不安に陥れて、メソメソさせちゃいたい
というイジワル〜な私は今日寝る時に
「ね〜、お泊り保育、怖い?ドキドキする?」
とか言って見た。
『怖いよぉ、メソメソ』とかしたら、ウフフ、まだまだ
私が必要なのね、可愛いものよ、とか思えるとか、思ってみた。

・・・が、子供の方が一枚上手だね。
「わかんないなぁ。ね、お泊り保育って一日だけ?二回泊まるの?一回?え〜、二回泊まりたいなぁ」
オイオイオイ!
思いっきり楽しみにしてるだけじゃんかっ!

くすん。
どうせ、ヤキモキして過ごすのは親の私の方なのよ〜。

とかいいながら、
息子はエンエン思いっきり泣くタイプではなくて
どちらかというと誰にもきづかれないように、
ひっそり、ヒックヒック肩を震わせて泣く方なので、
夜ねつけなくて、お布団で一人誰にも気づかれないまま
泣いちゃうんじゃないかと
ちょっぴり、心配なんです。

杞憂と言われようが、ね。



2005年07月26日(火) 台風・・・呼んでしまった?





意外と台風女の私。
今日は家族で、ひっさびさ平日にでかける予定で
品川の水族館でも〜!とか思ってたのに、この雨ですわ。
また台風呼んだ?とか言われそう。
今日はどっか行くのかなぁ?
品川は無謀か?

先週末は、結構ショックな出来事があって、いまだにひきづってる。
現実を受け入れて、さあどうするか!と前向きになれればいいのに、
こういうときに、「もしかして間違いかも」とか
逃避してる自分に、ためいき。
人間の器が、小さすぎだよ。
現実にためいき。
情けない自分にためいき。

今日は台風でも、
明日は晴れるかな?



2005年07月19日(火) そんなに勉強が大事か?




娘の学校の保護者会にでかけた。
まあ、元気のいい子が多いらしく、授業の効率が大変に悪いらしい。
そんなこともあって、雨の日の昼休みは勉強にあてているらしい。
(晴れの日もドリルをやってから遊びに行く)
昼休みなのに?
休み時間は休んで当然なんじゃないの?
休息って、大切なものじゃないのかな?
低学年だから集中力だってまだそんなにないだろうし、
ストレス発散になる。
そこまで勉強って大事?
友達とおおいに遊ぶのだって、低学年には大切な勉強の時間なのでは?
と、思っていたのは私だけらしい。

先生の「出来る子と出来ない子の差が本当に激しい」という言葉に
自分の子はできないんじゃないかって、
みんな動揺していたようだったけれど。
ちょっとドリルでも見れば、もしくはノートでも、
もしくは簡単な問題を出せば
自分の子がどの程度できないかくらいは把握できるんじゃないのかなぁ?
「これは、まずいよ」くらいは把握できるんじゃないのかしら?

「これは、まずいよ」じゃなかったら、
別段、多少できなくたって、後で巻き返せるんじゃないのかな、
本当に自分が(子供が)勉強が必要だと感じた時に。
親が不安に思うなら、親ががんばってフォローしていってあげればいい。
親が不安だけどフォローできないという場合は塾に入れればいいんじゃないのだろうか。

学校における全てが勉強、勉強ってより、
人間関係を築いたり、いろんな人がいるんだって思ったり、
もしくは、のんびりすることから、心が豊かになることもあると思う。
低学年だから、そういうことを重視した
おおらかな環境にもおいてあげたい。
勉強のフォローはしやすいけれど、
人間関係のフォローって難しいから、
ある程度小さいうちから自分でいろんなことを学び取って欲しい。

・・・そんな風に思っている人って、いなかった。
黙っていただけかもしれないけれど。

私が甘すぎるのかな。



2005年07月18日(月) さなぎ




昨日の夜、11時ごろ、今日の夕飯のためにお肉にしたごしらえをするのを忘れていたのを思い出す。
豚バラ肉に、塩とハーブをまぶしておいて、一日おいてオーブンにいれるだけの簡単料理。
そのために、庭のローズマリーが欲しかったので、夜更けだったけれど、玄関を抜け出して取りに行くことにした。

玄関脇に、父からもらったキアゲハの幼虫がさなぎになる準備をしていたのを思い出し、チラリと見ると、幼虫の頭のところが白い。
それでもって、頭をぶんぶん横に振っている。
なんかへんな虫に襲われてる?とよく見たら、シマシマの幼虫の皮がはげてる(?)ところだった。
おお、さなぎになるところ目撃。

ローズマリーを無事ゲットした後、もう一度みたら、もう体の5分の一くらい白くなって、シマシマは少しになっていた。
結構早くさなぎになるのね〜!となんか感激した。
でも、暗かったからか、なんか、チャックを下ろすみたいな感じでさなぎになっていったように見えた。
皮を脱いだんだろうか?
でも、その皮はどこに?

父にもらったその幼虫は、家の中においておいたときに逃げ出し、
居間を逃走したものだから、
パニクリながら(半泣きで)探したりして(翌日無事発見)
困ったチャンだったけれど
ああいう瞬間が見れると、なんか得した気分でした。



2005年07月11日(月) ふぁーすとちゅー。




写真がうさぎ、子供、うさぎ、子供、になってきている。
でも、仕方ない。
わたしの周りにあるものと言ったら、それくらいだから。

日曜日、サッカーの試合。
息子の親友のYくんがいなかったので、ちょっと心配になって
「Yくんいないけど、Tくんはいるから、大丈夫だよね」
と声をかける。Tくんは最近赤丸急上昇中のお友達。
「いいよっ。Tくんとは、ちゅーした仲だから」
「え?口ちゅー?」(←聞く親もどうかしてるけど)
「ほっぺとか・・・口もある!」
ほ〜。
いつの間に?

そんな話を今日の夜していて
「○○(息子)の初ちゅーはTくんかぁ」
とふざけたら
「ううん。Yくん」
ほ〜。
スキンシップで、ちゅーとかするんだなぁ、幼稚園生って。
それとも、息子の環境は特殊?
一応息子の名誉のために?ついでに書いておくけれど、
息子はどっちかというと、される側です。
ん?名誉、守れた?

今日は、蒸し風呂みたいに暑かった。
私の体調は湿度にかなり影響されるので、本当に辛い。
逆けろろ的体質だ、と実感する。



2005年07月08日(金) へこみからの復旧。




先日落ち込んだ私だけれど、翌日に漢字の書き取りをやったら、
娘は結構出来ていた。
「今日はすごいじゃない!」とほめるわたしに、娘は
「昨日すごく怒られて、もう勉強一緒にできないかと思ったから、勉強みてもらえたことが一番嬉しかった」
みたいなことを言っていたのが、胸に、キュンと響いた。
長い目でいろいろなことを見るべきなのかもしれない。
すぐに結果を求めちゃダメなのかも。
でも、結局は、娘の優しさに一番救われた。
ダメな母親だけれど、娘はちゃんと救ってくれる。
わたしは娘の気持ちをちゃんと救ってあげられるのだろうか。
ちゃんと、悲しみを汲み取って、癒してあげられる母親になりたい。

さて、電車男のドラマをビデオにとって、今日見た。
ネットがいかに青少年に、悪い影響を与えているのかっていうニュースは
多いのだけれど、
電車男のドラマを見ていたら、ネットで繋がる絆の温かさを思い知った。
わたしも経験あります。
本当なら、絶対に知り合うこともない、
遠い、世代も、空間も越えた大切な優しい人々との出会い。

インターネットも、使いよう。
素敵な出会いだって、たくさんあるに違いない。
悪いことばっかりじゃないよね。



2005年07月06日(水) へこむ。




小学校二年生の娘の勉強を夜八時から3、40分見ている。
よくある通信教材と、それから私が出した漢字の問題。
そして、ガツン!と今日も怒ってしまった。
「鳥」という漢字を、もう5回(5日)も間違えている。
他の間違えた漢字も、数回は繰り返して間違えてる。
間違えた字は、復習で10回づつ書いているから、
もう覚えているだろう、今日は確かめ、みたいな気持ちで出したのに。
「!?○○××△△??!!」(←な、なんで間違ってるの?!)
そこまでは、まだよかった。
「覚えようね」とか優しく言って、これはこういう意味、とか、これはこんな風にして覚えようねとか言って、何回でもいいから書かせればいいのに。

もう、がっつん怒ってしまったよ!

正直、自分は3年くらいまで漢字が難しいとか思ったことなかったし、
わざわざ親に教わった記憶なんかこれっぽっちもないし、
テストは結構満点が多かったから、なんというか、ついこう
自分は出来たのに、なんで!?と
全然別の生物である娘を、自分と同一化してしまうのですな、これが。
そして、娘は優等生であってほしいと望んでしまうわけです。

それから、それまで勉強のために使った5日×数十分って、意味あるの?
とがっくりしてしまう。
その時間、自分の好きなことをするわけでもなくて、
娘のために時間を割いているのに、って気持ちがある。
だって、それが終わったら、いろいろ後片付けして
あとは一緒に寝るだけで、自分の楽しい時間なんて一日に
これっぽっちもないんだもん。
どうせ覚えないなら、こんなのはじめからやっても
無駄だったじゃないか、と思う。
いわゆる、「効率」を求めてしまうわけです。

もっと気持ちを切り替えるか、やりかたを切り替えるかしないかぎり、
本当に意味がなくなる、いやむしろ娘にもわたしにも悪くなるばかりだ。
すこし、時間を置いてみよう。
いや、もう、すべて忘れて、夏休みにじっくりやってみるか。
もしくは、もう娘に干渉しないかだ。

我が家のうさぎの毛が抜けるので、ブラシで梳いてやろうとすると、
すごく嫌がる。
そして、ブラッシングを終えると「敵」みたいな顔をされて
膝から逃げられる。

お前のためにやってやってるんだろう?!
と私は思う。
でも、多分、「やってやっている」という気持ちが、
おごっているんだ。

このうちで、一番嫌な奴は、私なんだ・・・。
と、今日もへこむ。



2005年07月03日(日) 深爪、ごめん!




↑日々凶暴化が増してきているうさぎのクロスケ。
今日は、暴れるもんですから、つい深爪しちゃいましたよ。
血が微かに滲んでいた。
本当、ごめんね〜。
そして、またこうして、飼い主とうさぎの間の溝が深まっていくんだろうか?

無駄だったと思う時。
庭に水を撒いた後に、雨が降った時。
昨日洗ったばかりの長靴が、翌日どろだらけになって戻ってくる時。
掃除機をかけたすぐ後に、ビスケットを食べた子供たちを見かけた時。
飲みすぎて、戻してしまう時。

でもね、その無駄さ加減が、人間らしくていいらしいです。
先日そう聞いてハッとした。
いつから、効率ばっかり考えて過ごしていたんだろう。
無駄な事が、何よりも大切だって、あの頃はそうちゃんと
分かっていたのに。


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慈雨

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