言の葉孝

2013年02月26日(火) 原発輸出へ一言

 筆者は大変な面倒臭がりだ。しかし、目の前の物事をただ面倒臭がるのは芸がないと考える。例えば、筆者は仕事で貰った名刺をPCで管理している。PCにデータを打ち込むのは面倒であるが、それは後々名刺を探す手間を省くため。トータルで面倒が減るなら目の前の手間は惜しまない。

 24日付の日経新聞では福島第一原発の廃炉に向けて、使用済み核燃料の取り出し作業が始まったことを報道している。その使用済み核燃料の最終的な処分については未だ決められていない。否、処分の仕方すら確立されていないのだ。 
 今ある原発については仕方がない。しかし、これからの原発建設はどうだろう。各原発メーカーが今海外に目を向けている。アジアでは100件もの案件があり、各国が受注を争っているのだ。

 日本が今、頭を痛めている原発の後始末の面倒を、海外になら遠慮なく背負わせられると言うのか。広島、長崎、福島と三度も原子力の悲劇に経験した日本には、原発を輸出する前に世界に伝えるべき教訓があるはずである。
 それをせず、後始末の目途の立たないまま、経済を理由に原発の建設計画を推進し、後々の面倒を増やしていくこの現状、面倒臭がりの筆者には非常に気に入らない。


2013年02月19日(火) 問題提起のための自殺

 宗教では自殺は一人の人間を殺すに等しいという考え方から古来から罪とされてきた。だが例外的に殉死ならば罪である自殺にはならないという。そのため仏教の即身仏やイスラム教のジハードでの自死は罪ではないとされている。

 チベットで増えているという僧の焼身自殺も仏教でいう捨身なのだろう。彼らがわざわざ焼身自殺という特に苦痛を伴う方法を選ぶのは自分の苦しみを多くの人に伝えるためだと考えられる。
 だが、もう一歩考えを進めてみよう。チベット僧の焼身自殺の狙いは「チベット問題が自分を殺した」と周りに認識させることで問題を重く取り扱わせることにある、とは考えられないだろうか。

 日本でも、主人に物申すために腹を切るということがあった。それは「自分の屍を越えて、なお進む覚悟があるか」と問う行為だ。それは諌言が正しければそれを受け入れる器量が主人にはあるという信頼があるから成立する。その柔軟さは中国政府に求められるものかどうかは甚だ怪しい。
 苦しみが分かってほしいのは理解する。だが自殺は己の命を掛ける行為だ。だからこそ、ただいたずらに問題を重くするために命を使うのではなく、もっと成算のある訴え方をしてほしいと筆者は思う。


2013年02月12日(火) 別世界のなでしこ達にエールを

 今年もまた1つのチームが世界への切符を掴み取った。女子アイスホッケーの日本代表チームである。11日付の日経新聞の朝刊には四大陸選手権で表彰台を日本人選手が独占したこと、また、蔵王でもジャンプ競技でも高梨選手が優勝したという記事が並べて報じられている。このように今の日本では世界に出る人物は男性より女性の方が多い印象だ。

 一方、国際社会ではインドやイスラム社会での女性の扱いについての問題が顕在化している。インドで集団暴行を受けて死亡した女性、女子教育の必要性を訴えて銃撃されたパキスタンの女子学生の件で、あまりにも女性を蔑ろにする国内の対応に世界から大きな非難の声が寄せられた。全く違う世界なのだから常識が通じないというのは分かるが、夢を適える努力すら認められないのは悲しいことだ。
 一昔前の日本でも女性の扱いは決して高くなかったが、今では不当に女性を低く扱えば袋叩きに合う世界になっている。常識は変えることができるという日本の実例をもって、女性の地位が低い世界のなでしこ達にはエールを送りたい。
 世界はあなた方を待っている。しかし、目的を果たした暁には男性を尻に敷くのはほどほどにしてやっていただきたい。


2013年02月05日(火) 市川団十郎という名跡

 十一代目市川団十郎が、九代目市川海老蔵を名乗っていた頃、「海老さま」と慕った多くのファンが、遠慮して海老を食べなくなり海老の売上が大きく落ちたという逸話が残っている。この十一代目は癇癪持ちで非常に気難しく、周囲は振り回されてばかりだったらしい。
 当代の市川海老蔵も隠し子や傷害事件等、何かと人騒がせな人物だ。梨園の役者は時々それが自分の義務であるかのように周りを巻き込んで騒動を起こす事がある。

 この度亡くなった十二代目市川団十郎は成田屋のHPの挨拶のページで、冒頭に「いい役者になる」という言葉を持ってきている。どれだけ舞台の外で無茶をしてもいい役者であれば許される。それが梨園なのだ。
 逆にいえば舞台に影響するような真似は許されない。息子の隠し子問題にも動揺しなかった十二代目も、かの傷害事件の怪我で公演を降板することになった海老蔵には厳しい態度を見せた。白血病と戦いながら限界まで市川団十郎の名を背負って舞台に上がり続けた十二代目のその怒りは重い。
 十一代目も末期の胃癌に侵されながら、死の一月前まで舞台に立つ気概を見せていた。その役者としての舞台への執念こそが団十郎という名跡の真髄なのかもしれない。

 < 過去  INDEX  未来 >


想 詩拓 [MAIL] [HOMEPAGE]
web拍手です。あなたの一言感想が想 詩拓を失神させます。→ web拍手レス