2013年01月29日(火) |
月に人を送るための戦い |
インターネットでJAXAが主催する「SELENEシンポジウム2013」の中継を視聴した。「SELENE」とはJAXAが実施ている月探査計画のことで、日本人には「かぐや」という愛称の方が耳に馴染んでいるだろう。その月探査計画で発見されたことの発表などが行われたのだ。
このシンポジウムはただ活動を発表するだけの場ではないのだと思ったのはパネルディスカッションに移ってからだ。 その副題は「なぜ人は行かなければならないか」。ある人はしんかい6500で深海を調査した経験から無人探査と有人探査の利点と難点を挙げ、ある人は火山学者は火山に接近するという例を用いて人が直接探査に赴き、五感を使って感じ取ることの大切さを説いた。 アポロ17号以降、人は月に立てていない。有人探査で得られるものに対して、伴うコストと危険度が割に合わないと判断されているためだ。だが、意義と成算があれば予算がつく。予算がつけば再び人を月に送れる。そう思って人を宇宙に送る意義を説いているのだ。 アポロ計画が終了して以来、宇宙開発には盛り上がりが欠けていると筆者は思っていた。しかしそれは違う。今も昔も人が、宇宙を目指す気持ちは変わらず熱い。
2013年01月22日(火) |
独り善がりの解決法の成果 |
「独り善がり」を大辞泉で引くと、「他人の意見を無視して、自分だけでよいと思い込んでいること」と書かれている。鳩山由紀夫元首相が個人的に訪中し、尖閣諸島に関して「係争地である」と認める発言をしたことだ。 鳩山氏本人は善かれと思って言っているのだ。日中の軋轢を解決するために相手の意見を受け入れようとしたのだろう。だが、日本が尖閣諸島は疑いなく日本の領土であり係争地などではない、という公式の発言と矛盾する発言である事には気が回ったのだろうか。現に小野寺防衛相は「『国賊』という言葉が一瞬、頭をよぎった」と述べている。
アルジェリアの人質事件も独力解決にこだわったアルジェリア政府の強行作戦も独り善がりと言える。犯人グループを壊滅させたのは良かったが、多くの人質の命は失われてしまった。逃走する隙を与えず一応打尽にしたのはよかったが、あまりにも人質に関する思慮に欠けているのではないだろうか。慎重に状況を見極めた上でも十分に解決できたはずだ。 鳩山氏もアルジェリア政府も、物事の解決にあたっての言動だろう。だが、その判断で多くの人が満足する結果が得られるかどうか、それを両者にはもう一度よく考えていただきたい。
2013年01月15日(火) |
備えなければ悔いしか生まれぬ |
ツイッターのタイムラインを眺めていると、ときどき分野を超えてフォロー先の人々が話題を共有している瞬間がある。日曜日はNHKで特集されたダイオウイカだったが、月曜日のタイムラインを埋めていたのは雪の話題だった。
毎年雪が積もる地方は「備えあれば憂いなし」の格言通り、普段から冬は雪が降るものと構えているので、除雪もお手の物だし、靴もタイヤも冬仕様で落ち着いたものだ。 それに比べれば東京で降る雪など些細なものであるはずだが、その結果、交通網は止まり、車は衝突し、人は滑って転び、と圧倒的に被害が多い。東京ではあわててスタッドレスタイヤを買いに車を走らせた結果、事故に遭遇したという話もよくある話である。
備えがなさすぎたのが筆者だった。昨日は出かけるつもりだったが、靴がなかった。プライベート用か、仕事に履く革靴しかないが、プライベート用は朝の雨で濡れてしまっており、とても雪の上を歩ける靴ではない。革靴も防水とは言えないので交通手段以前に外に出られない状況になってしまったわけだ。 どのみちこれから革靴を履いて、融けかけた雪の中を出社しなければならない今、防水の靴を用意しなかった筆者の心は悔いだらけである。
年末年始の帰省には深夜バスを利用した。先日起きた事故の影響で、深夜バスは二人の乗務員を載せなければならなくなったため、以前よりは価格が底上がりしているが、それでも新幹線を利用するよりはコストは半分ほどですむのはあまりに大きい。 片道が東京〜大阪間で8時間はかかるが気にならない。深夜に移動することになるため、寝る時間に充てられるためと、早朝につくので翌日は朝から予定を入れられる。いくら早い新幹線や飛行機でも朝一で移動したとして、到着地で朝7時からの行動はなかなかできないものだ。
安いなりの不便もある。深夜バスというのは電車のようにホームがないので、バスが停留所は大体しか分からない。乗る予定のバスが見つかるまで場所を間違えたのではないかという不安は何度利用しても付きまとう。また、安いプランを選べば座席は一人分しか使えないので長時間大変窮屈な思いをすることになる。
移動も苦労も旅の内だと誰が言ったか。安い料金だけに、交通費の捻出には苦労をしている人も多いだろう。旅行に行く人、筆者のように帰省する人。あまり快適でない道中を選んだだけに、移動中静まり返った車内で眠る人々は、人一倍目的地への想いは強い。
身振り手振りを加えた謡いぶりはまるで舞台上の演技といったほうがしっくりと来る。昨年末の紅白歌合戦にてシャンソン歌手の三輪明宏氏が披露した「ヨイトマケの唄」である。 リズムを時々外しながら、ゲンコツを振りかざし、汗をふき、綱をひく、表情も声と顔をゆがませて歌う、曲と歌だけでは表現しきれない、今時の歌曲とは一線を画している歌だと、筆者は感じている。様々な人々がこの歌を感情たっぷりに歌っているが、スマートに歌おうとすればするほど、この曲に込められた想いが失われるのが分かる。
この曲は、三輪氏が炭坑町の劇場で歌うことになった際、この炭坑で働く労働者のために歌う曲を持っていないことから作曲された歌だ。故に他の歌ではきらびやかな女装で歌うところを、この曲を歌うときだけはシックな黒い男装で歌っている。土木作業員だった母に育てられ、エンジニアになった主人公になりきるためだ。 歌の終盤で、どんな歌より母ちゃんの声と唄が世界一だ、と歌う三輪氏の声と表情は、それまで苦渋に満ちていたものが、どこまでも慈愛に満ちたものと変わっていた。その心は土木作業員だった母だけではない、今を懸命に生きる全ての人々に向けられている。
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