筆者は、成人してからは誕生日を特別に思わなくなっている。世の中、肉体年齢や精神年齢が実際の年齢とかけ離れた例も多く、年齢というものにあまり意義を感じていないのだ。 しかし正月は別で、ハッキリとした区切りを確かに感じる。それはこの区切りを共有する人間の数が圧倒的に多いからだろう。年の瀬が迫ると、みんなそわそわし始めるし、正月の朝はおせちと雑煮を囲んで新年の祝辞を述べる。
2012年12月21日という区切りを共有した人々も多かった。Wikipediaで言う「2012年人類滅亡説」である。複数あったマヤの暦の中で一番長い2万5640年という1サイクルが終わるというこの日に世界が滅亡する、とまことしやかに広がっていたのである。 少し調べてみたがマヤ文明自体が滅亡を予言しているというわけではないらしい。その日にあわせて近世の人々がこじつけ、もしくは妄想に近いいくつかの不安要素やがささやかれているだけだった。 この滅亡に関してセルビアのルタンジュ山は、この滅びから逃れられる唯一の場所と考えられ、ホテルは満室状態だったそうだ。 この日、ルタンジュ山で区切りを迎えた人々は地球が滅びなかったことを喜べただろうか。
2012年12月30日(日) |
『はだしのゲン』が語ること |
今年は世事に疎い筆者でも知っている名のある方々の訃報が多かった。25日に訃報を報じられた中沢啓治氏もその一人だ。 中沢氏の代表作である『はだしのゲン』は、原爆投下を6歳のときに経験した作者が、原爆が引き起こした数々の生々しい悲劇と、それにたくましく立ち向かい、ゲンの成長を描いている作品だ。漫画の発行部数で言えば、現在の人気漫画には遠く及ばないだろうが、読んだことがあるという人はおそらくどの漫画よりも多いのではないだろうか。 しかし、その評価は賛否両論といったところだ。昭和天皇に戦争責任があると批判しているからだ。これが左寄りの人に受け、右寄りの人には好ましく思われていない。 だが、中沢氏は左右の思想を意識してこの作品を書いただろうか。少なくとも筆者が感じたのは、戦争と、戦争を推進する思想への率直な批判を感じただけだ。
「踏まれても踏まれても真っ直ぐ伸びる麦のように強くなれ」。ゲンの父親から伝えられ、ゲン自身も何度も振り返る名言だ。つまるところ、中沢氏が伝えたかったのはこの心ではないだろうか。間違っていると思うことにはどんなに周りの風当たりがきつくても毅然と立ち向かえる、そんな強い心を持て、と。
2012年12月26日(水) |
二刀流は果たして成るのか |
日本ハムに入団した大谷翔平投手の登場は、ゲーム業界に少なからぬ動揺を与えている。野球ゲームは野手と投手は完全に区別して登録されるシステムだが、大谷投手の場合は剛腕投手でありながら強打者、つまり二刀流でのプロ挑戦を宣言しているのだ。 もう一人、二刀流を公に宣言している人がいる。大阪維新の会の橋下徹氏だ。12月23日のツイッターで首長と参議院議員が兼業できないシステムはおかしい、という持論を熱く語っている。「できる人が挑戦できないのはおかしい」という論理である。これには反対の意見も大きい。橋下氏のツイッターでも言及されている通り、「無理だ、やめろ」という意見が大勢のようだ。 筆者も強い反感を覚えている一人である。やったこともないのにできないというのはおかしい、できるできないを論ずるのは無意味だ、とりあえずやらせてくれ、と繰り返し橋下氏は反論しているが、あまりにもデメリットに目を瞑り過ぎではないのか。大谷投手とは違い、できなかった時には、最悪、二つの重職の責任が果たされないのだ。 日本には「二兎追うもの一兎を得ず」という諺がある。彼の主張に筆者が抱く反感は身にしみたこの言葉のせいだけなのだろうか。
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