28日付の日経新聞の朝夕の社会面に並んでいたのは新潟のトンネル爆発事故と、関越道のバス事故の記事だった。 全く異なる事件ながら、この二つの事件には大きな共通点がある。それは企業の業務上の違反性が大きく扱われているところだ。バス事故では過重労働なども指摘されていたが、以前から監査にいくつもの違反項目を指摘されてきたらしい。新潟のトンネル事故はガス測定の記録が残っていないなど計画通りに作業を進めなかった点が明らかになっている。 企業が何らかの問題を起こすとトップが逮捕される。“民間”企業では割とよく見かける光景である。それは企業をギリギリ生かすための違反だったのかもしれない。あるいは欲張った利益の追求の結果なのかもしれない。
筆者の勤める会社では勤怠システムも取り扱っているが実はあまり入れたがらない企業も多い。管理して明らかな数字になるのを嫌がっているのだ。この世のどれだけの企業が労働基準法に違反しているか筆者には想像もつかない。赤字にしないため、あるいは職を失わないための利害一致の結果、問題にされない企業がほとんどなのが現実だろう。これは日本の資本主義のひずみと呼ばずに何と呼べばいいのだろう。
筆者が住むのは大阪府南部にある阪南市である。この阪南市で本日早朝に激しい雷雨に襲われ、その結果5千世帯に及ぶ広範囲が何時間もの停電状態となった。
こういうときは何かを残しておきたいと思った筆者が取った行動はツイッターである。関西電力ホームページの停電情報を逐一チェックしたり、停電ならではの体験などを実況していたのだ。 ニュースとしての価値がないのか、問題にする人間がいないのか、確認した限りこの阪南市の停電についてのツイートは他にあまり見られなかったし、速報などでニュースとして取り上げられることもなかった。こうなるともはや使命感が湧いてきた。気分は台風の中で雨に打たれながらカメラに向かって必死で状況を伝えるTVレポーターである。 東日本大震災の時、ツイッターが大活躍した話は記憶に新しい。あの時は当事者ではなかったが、今回のことで実感が湧いた心地がする。今回の筆者のツイートは大した役に立ったとは思えないが、自分の体験は自分にしか発信できない。そして後々その事件について情報を探している人の助けになれれば良いと思っている。見間違いや勘違いで事実とは違う情報をツイートしてしまっていることもあるけれど。
もう一週間ほど前になるだろうか、難波の一角にある小さな画廊で絵を買った。といっても、ポストカードが2枚とそれを飾るための額であるが。
その画廊は小さいとはいえ目立つ場所にあり、熱心に客引きをしているので難波駅の高島屋から日本橋へ歩いた人なら心当たりはあるだろう。 画廊の絵はシルクスクリーンと呼ばれる手法で印刷された版画だ。シルクスクリーンとは何たるかのレクチャーを興味深く拝聴しながらも、何十万もする絵を筆者には買う気は当然起こらない。 最後に案内された1階では、階上に飾られた絵を縮小印刷したレプリカやポストカードなどが売られていた。小物類なら2つ選んで千円というのが殺し文句だった。
軽く冷やかすつもりで入った画廊なのに、何故ポストカードとはいえ絵を買うに至ったのか。 営業トークに乗せられて要らないものを買う愚を犯したのではないか。いやいや元々綺麗な絵を部屋に飾ってみたいという欲求は確かにあったが、何十万も掛ける気はなかった。そこにポストカード、形は安いが多少なりとも願望を満たす方法の提示だ。それが購入に至った決め手だろう。 手本にできるかどうかは分からないが営業として学ぶべきことのある体験だった。
本日の仕事は大阪はインテックス大阪で開かれた「居酒屋産業展」への出展である。居酒屋と謳いはするが、それは「INTER-FOOD KANSAI」という大きなイベントの一面であり、外食業企業を顧客とする企業の展覧会である。
外食企業が買うものといえば、まずは食材だ。産業展の中でも一番賑わいを見せていたのは試食・試飲を行っているブースだった。 その他で目についたのは、餃子製造機などの機械や、顧客である店のオーダーでその店のためのスープを作る企業。スープといえば麺モノのこだわりどころだけに、それすらアウトソーシングとは時代も変わったものである。
試食で昼食を済ませようと考えていたが、混んでいる上に、ビジネスの場だけに名刺の提示を求められるケースも多い。まさかコンピューター屋の名刺を出すのも躊躇われ、普通売店で売られているきつねうどんで済ませた。 その際、一人の男性に相席を願った。男性は麺のメーカーだと名乗り、品質にこだわって作っているのに人が安い方に惹かれる現状をため息交じりに語られた。
良いものは分かる人にしか受けない。創作でもしばしば聞かれた愚痴が、外食産業展でも聞くことになるとは思いもよらなかった。
使っていた携帯電話の通話機能が故障するという致命的な出来事をきっかけに携帯電話を新調した。 買ったのは米AppleのiPhone4Sである。筆者はIT企業に勤めている割に頭は固いほうで、長年、スマートフォンなんて要らない、使いこなせる自信がないと言って来た。ところが今ではすっかり夢中になってしまった。
もともと携帯電話でもブラウザ機能の使用頻度が高かった筆者は携帯電話ゆえの不便を常に感じていた。スマートフォンに変えて一番に感じたことはその不便さがほぼ取り払われていることだった。特にmixiなど、専用ブラウザアプリのあるサイトの読み込みの軽快さはPCをも凌ぐ。流石に電話機よりPCに近いと言われるだけはある。
とても心配だったのはキーである。ボタンは押す感触があるほうが好きな筆者だ。実際そんなニーズを拾い、キーボードが取り付けられた機種もある。その心配も取り越し苦労だった。確かに打ち間違いやすいのは予想通りだが、画面上のキーボードもすぐ慣れたし、何よりローマ字入力ができるのは大きい。携帯電話では文字を打つのにもっともどかしい思いをしていた。今ではこの通りこの記事もスマートフォンで入力できている。
2012年05月22日(火) |
大飯原発は再稼働すべきなのか |
関電管内では7月からピーク時の電気料金を夜間の6倍になるという。今年の夏にも予測される電力不足を睨んでのことである。 そんな中、議論が白熱しているのが大飯原発の再稼働だ。夏のピーク時に間に合わせるためにはそろそろ決断をしなければならない。 筆者も電力的に安心感を得るためには原発の再稼働は必要だと思う。経済的にも去年は再び主役になった火力発電のための天然ガスの輸入増が響き、貿易赤字を出してしまったこともある。
だが敢えて筆者は原発再稼働をしないことを提唱したい。かつて中国にレアメタルの輸出を止められた後、日本は反省を生かして代替品を考案し、レアメタルの使用量を大幅に減らすことに成功した。無ければ無いで何とかしてしまうものだとその話を聞いたときに感心したものだ。 電力も同じである。例えば、太陽光発電を備えたスマートハウスが普及すれば、家庭で利用する電気は自家発電で大抵賄えるようになる。
「MOTTAINAI」の発祥地・日本はエコに関しては世界トップクラスの国だと筆者は信じている。ここはその意地を見せる時だ。世界に先駆けて効率のいいエネルギーの生成・利用方法を模索するチャンスだと捉えるべきではないか。
よく検索サイトやSNSでは当日よく検索される検索ワードなどを表示しているが、本日注目の検索ワードは疑う余地もなく「金環日食」だろう。 完全にリング状になる時間も、通勤前と比較的見やすい時間であるため、大阪城公園の橋の上には背広姿で日食メガネやカメラを構えている姿も多く見受けられた。ツイッターのタイムラインも金環日食の話題で持ちきりだ。かく言う自分も天王寺で電車を乗り換える折りに、雲の隙間から欠け始めた太陽を見たし、この曇り具合にしては妙なうす暗さにいつもとは違う雰囲気を感じて楽しんだ。
この金環日食というものを皆さんはどう捉えられているだろうか。太陽がリング状に見えるとても珍しい現象といったところだろうか。いや、知識としては太陽と地球の間に月が入るため、その分太陽が欠けて見えるということはご存知だろう。 その知識をもって想像してほしい。我々はリング状になった太陽を見ている。その視線を遮るように月が存在している。太陽はその先だ。 そう、今日太陽のリングの穴を形作っているのは月という天体なのである。忘れがちだが、いつも見える太陽も月も天体だ。空の遥か上では途方もない体積を持つ球体が空を浮いている。
2012年05月07日(月) |
ますます災害が増えるニッポン |
文学フリマの途中、ツイッターでは突然の雨や突風に泡を食ったメッセージが投稿されているのには気付いていた。天候が悪くなる前に家に帰り着くと、待っていたのは竜巻による災害のニュースだった。 屋根が吹き飛び、電柱が折れ、土台ごとひっくり返った家では若い命の犠牲もあったという。逆に、あれだけの被害で死者1名というのは不幸中の幸いといえるかもしれない。 日本で使われる竜巻の指標「藤田スケール」で、今回の竜巻は4番目に強いF2であると報道されている。F2は屋根が吹き飛び、弱い建物が崩壊する強さなのだそうだ。ニュースの映像を見ると、結構な数の建物が半崩壊している。藤田スケールに従うと「弱い建物」だということか。 朝のニュースでキャスターが言っていた。阪神大震災では揺れの怖さを学び、関東大震災では津波の怖さを知った。次は風の怖さだ。 震度5程度では、瓦一枚落ちない日本の建物は世界で一番耐震に優れているのは間違いない。関東大震災を受けて海に面した街では大きな津波に対応した防波堤作りに追われている。竜巻にはどのような方策が採られるのだろう。そして、日本という国はあとどれだけの自然災害に耐えてゆかねばならないのか。
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