言の葉孝

2012年03月28日(水) 強迫観念に負けた素人投資家

 昨日の衆院財務金融委員会ではAIJの年金消失事件について参考人質疑が行われ、AIJ投資顧問の浅川和彦社長らが質疑応答を行った。
 その場で朝川社長は虚偽報告は認めるが、断じて顧客を騙すつもりはなかった、と一貫して訴え続けた。

 虚偽の実績を報告した事について、朝川社長は「損をした形で返したくなかった」と弁明する。それは顧客側に聞こえのいい物言いであるが、裏を返せば信用を失い、契約が切られるのを恐れた最低の保身である。年収7千万という自らの私財に話が及んでも、それを投げ打つ姿勢が見られなかった事からもそれは明白だ。

 投資家は資産を増やすために資金を投入する。投資にはリスクが付き物で失敗がないわけがない。だがAIJは預けたお金は増やして当たり前という妙な強迫観念に従って行動していた。
 資金が減り始めた時にAIJが正直に報告しておけば責任の所在はAIJに投資を任せた顧客側、ということで何の問題も起こらなかったはずだ。
 しかし後で帳尻を合わせればよい、と報告を偽ったのは強迫観念を捨てきれなかったからだ。プロの投資家であるはずのAIJ投資顧問という企業は、そういう判断をしてしまうほど投資の素人だったのである。


2012年03月27日(火) ライトノベル手法、広がる

 一昔前「ライトノベル」という用語は、同じようにライトノベルを読んでいる人以外には通用しなかった。それは今も同じだ。だが、ライトノベルの読者層事態が広がっている。
 本日の夕刊に「広がるライトノベルの手法 個性的キャラ、読者つかむ」という記事が掲載された。ここで主に取り扱われているのはアスキー・メディアワークス文庫の三上延著『ビブリア古書堂の事件手帖』、今年の本屋大賞ノミネート作品だ。

 少し前までは電撃文庫等のジュブナイル層を狙ったレーベルの発刊物のみがライトノベルと言われていたが、今やそれ以外にも表紙にイラストを入れ、キャラクター性の強さを売りにした小説が一般文芸書籍の棚に目につくようになった。

 筆者はそれを歓迎している。読みやすいことは読書の敷居が下がる。なによりライトノベルに対して、大人が読んでいると恥ずかしいものという余計な偏見が消えるのは有難い。
 ただ、文章が平易になることはいいが、内容まで平易になるのはいただけない。難しい本が売れないからと言って、読んで楽しいだけの即物的な内容の本が増えると、ますます人は難しいことが考えられなくなる。
 本は人を育てる。ライトノベルはその入口となって欲しい。


2012年03月26日(月) 異人としてのオリンピック

 昨日、AKB48前田敦子の引退報道と並んでYahoo!ニュースのアクセスランキング上位を占めていたのは、猫ひろしのロンドンオリンピック出場決定のニュースだった。決して若くない、芸人に過ぎない男がオリンピックの出場権を手に入れたのである。

 猫ひろしは決してアスリートとしては脚が速くない。市民ランナーとしては速いが、オリンピックへ出場できる基準タイムも満たしていない。
 それでも出場できたのは「基準タイムを満たす選手がいない国は、男女一人ずつ基準タイムに達してない選手でも代表として選ぶことができる」という特例のためだ。カンボジアがそれに該当した。地元の選手でも出場を狙う選手はいただろうに、横やりを入れる形での選手選考への参加である。なりふり構わず、という言葉しか思い浮かばない。

 だが、カンボジア国籍を取得して覚悟を示し、飛躍的にタイムを短縮してそれに見合う努力を示して宣言通りにオリンピック代表の座を掴んだことはまず称賛に値する。
 彼はカンボジアのために戦うことができるか。自国愛をカンボジアに向けることができるか。この評価を変えないで済むかどうかは、カンボジア人としての彼の今後の振舞いにかかっている。


2012年03月25日(日) 遺伝子研究の加速

 先日人工知能ボンクラーズの記事から人間の行動もプログラムなのではないかという話をした。コンピューターソフトの正体は0と1を並べた文字列だ。それが8000個で丁度1キロバイトのプログラムとなる。あらゆる生物が持ち、それぞれの構造の情報を持つ遺伝子の正体は、ヒトゲノムの場合、30億個、らせん構造に並べられた4種類の塩基配列だ。職業柄、この話を聞くとますます生物とプログラムの類似性を考えてしまう。

 そんな遺伝子の研究が今後加速する見通しが立った。本日の朝刊で50〜350万円のコストが掛かっていたゲノム解析が、新しい解析機の登場により10万円でできるようになったと報じている。
 遺伝子情報は有用だ。病気の予防や治療等、医療分野に役立つのはもちろん、情報を比較して生物の成り立ちを明らかにしたり、食物の生産効率を上げることもできる。以前よりはるかに気軽に遺伝子解析ができるようになることでデータはより豊かになり研究もさぞはかどるようになるだろう。

 20世紀はコンピューター技術の躍進が目立つ時代だった。解析技術のさらなる進歩も期待できる。21世紀は遺伝子関連技術が驚異的な進歩を見せる時代になるのかもしれない。


2012年03月24日(土) モノマネで分かるホンモノ度

 今日、珍しくテレビを見ていたら「ものまね紅白歌合戦」をやっていた。

 最近は芸能人に混ぜて、素人からそっくりさんを募集したユニットがエントリーされているらしい。真似されていたのがAKB48とEXILEである。双方今をときめく大人数ユニットの代表格のようなグループだ
 AKBの方はコスチュームと髪型を整えると割と様になっていたが、EXILEはそういうわけにもいかなかったらしい。
 見た目は大分似ていた。歌も素人の耳にはうまく歌っているように見えた。だが、ダンスは明らかにおかしい。まず体のキレが悪く、おまけにリズムに合っていない。それをごまかそうとしているのか顔が笑っているものだから、居た堪れないレベルのパフォーマンスだった。

 AKBはシステムで売っているグループだ。当然何万人の中から選ばれてきたのだから、厳しい目で見れば本物のメンバーに比べれば何かしら劣るのだろうが、素人でもすぐ様になるレベルまで挙げられる。
 だが、EXILEのダンスは素人がモノマネしたところで決まらない。EXILEはシステムだけではなく、そのシステムで動かす人間にも相当高い能力が求められていることが、今日のものまね歌合戦で証明された。


2012年03月23日(金) 感覚で憶えた日本語

 先日、本屋に寄ってみたら「日本人の知らない日本語」(蛇蔵、海野凪子・共著/メディアファクトリー・刊)の3巻が発売されていた。

 この本は本当にタイトル通りの本だ。この本では真剣に正しい日本語を覚えようとする個性豊かな外国人たちが先生にさまざまな質問な質問を投げかけるのだがそのほとんどに答えられる自信がない。
 正しい日本語は分かる事もあるが、「なぜそうなるのか?」「どうやって使い分けるのか?」と聞かれるとお手上げだ。
 例えば「さ入れ言葉」。「読まさせて下さい」が間違いであることは分かっている。だが、「食べさせて下さい」は正解なのに、なぜが間違いなのかと聞かれると答えられない。

 筆者は高校の授業では現国が好きで、全体の正解率は高かったが、活用や文型などの文法で間違うことが多かった。反してシステマチックな理解が必要な古文はかなり苦手だった。

 母国語は感覚で憶えていることが多い。英語などは「動詞」「形容詞」などシステマチックに憶えているので同じような質問に答えられると思うのだが、日本語でそれを当てはめるとなると一苦労である。
 それでも正しい日本語が適当な表現とは限らない。その辺が言葉の実践の難しいところだ。


2012年03月22日(木) 長尺・中尺パター規制論争

 「長尺・中尺パター規制論争」という論争がアメリカのゴルフ界である論争が起きている。
 パターというものは本来、両手に握り、手の延長として振り子のように打つものである。ところが昨今現れた長尺、中尺パターというものは胸や腹にグリップを当て、その部分を支点に振るように出来ている。両手に加えてもう一つ支点が加わるものだからパターのスイングが格段に安定するのだ。
 パターを制するものは世界を制するという言葉もある。これらのパターの威力を実証するように中尺・長尺パターの使い手が去年から各大会で次々と優勝しはじめた。

 これに待ったをかけるのがタイガー・ウッズをはじめとする、これらのパターの使用を好まない「伝統主義者」達だ。曰く「ゴルフの精神とかけ離れている」「体とクラブをコントロールして振り子のように打つのがゴルフだ」という。

 筆者も長尺・中尺パターは規制すべきだと思う。なぜならゴルフは競技だからだ。パターを両手だけで安定させる事は至難の業だ。これを克服してこそのゴルフという競技だろう。
 どのスポーツでも競技に使われる道具は年々進化している。だがそれは選手を強くするためではない。競技を進化させるためであるべきだ。


2012年03月21日(水) 大いに結構、青田買い

 就職活動において青田買いの激しさは募るばかり。ついに経団連は平成13年度入社の新社会人に対しての採用活動の解禁を3年次の12月からとする、という規制を持ち出している。先日取り上げた秋入学ももちろん各社の採用活動に影響を及ぼすだろう。

 独自の理論で採用活動をしているのがユニクロだ、時期に関係なく一年を通じて採用活動を行っている。対象は新卒、中途問わず。求める人材であれば、大学1年生でも内々定を出せる制度であるという。
 筆者はこの採用形態には賛成である。とはいえ1年生で就職が決まると、後々の学生生活がおろそかになりかねない。早いうちから企業が学生に関わるのは構わないが、新卒の場合、内々定ではなくとりあえず採用候補とし、取っておいた方が良い講義や資格などの相談に乗ってやって欲しいと思う。学生も、その方が勉強の方向性が定まり、さだめし勉強のしがいがあるだろう。
 そして採用候補の学生生活をチェックし、単位のとれ具合や成績で本採用とするか決めるような長い目で見る採用活動であれば、採用する人員の質も上がること請け合いである。

 大いに結構、青田買い。買った青田の穂が実るまで、世話をするならなおのこと良し、だ。


2012年03月20日(火) 渡り鳥の羽休め

 12月から長らく長期出張で東京で従事していたプロジェクトでの仕事が本日終了した。プロジェクト自体はまだ続くが、キリの良いところで大阪からの出張組は撤収することと相成った。
 残業、休日出勤は当たり前、時間外はこの三ヶ月の平均で90時間を越えている(その分月収が二倍近くに上がっていたが)。年が明けてからというもの、なかなか大阪に帰れない日々の愚痴をツイートしていたが、ホテル暮らしなど、なかなかできない経験をさせていただいたとは思っている。おかげで7000〜8000円台のビジネスホテルについては多少うるさくなった。
 残念なのは折角東京にいながら職場とホテルの往復以外で東京のどこかに行くことがほとんどなかったことだ。

 エンジニアは渡り鳥のようだと称される。プロジェクトからプロジェクトへとその身を移し、食べるための仕事をしては次の現場へ旅立っていく。
 このプロジェクトとプロジェクトの境目が好きだ。考えなければならないことがほとんどなくなった開放感と、次の仕事への期待と不安で心が落ち着かなくなりじっとしていられなくなる。
 ずっと同じ仕事で安定と安穏を得るのもよいが、変化の多いこの職業を筆者は気に入っている。


2012年03月19日(月) 現代の花咲か爺さん

 全国47都道府県から桜を集めて一度に咲かせようという企画があるという。
 「桜前線」の言葉通り、日本の桜は南から北に向かって咲いていく。その速さはちょうど歩く速度と同じくらいだそうだ。ずっと桜を見ていられるように沖縄から北海道まで歩き続けることを考えた人も多いだろう。
 つまり全国の桜の開花時期はそれぞれ違うものなのだ。それを一斉に、それも狙った日に咲かせることは可能なのだろうか。
 実は桜ならば可能だ。ホルモンの関係で桜という花は2月1日から最高気温を合計し、累積600度となった日の前後に開花する。つまり桜を取り巻く気温さえ調整すれば狙った日に咲かせることができるのだ。これは俗説などではなく、実験によって得られた事実である。
 童話の「花咲か爺さん」でも咲かせる花は桜だという。花咲か爺さんも実はこの桜の開花の法則を知っていたかもしれない。すると、この企画の主催者は現代の花咲か爺さんということか。

 この企画は震災後の日本を元気づけるためのイベントとしている。桜は日本人が魂の花である。全国の魂を一斉に咲かせようというのだ。今年は桜の開花に合わせ、全国の日本人がこの厳しい時代に力を合わせる気持ちを重ねたい。


2012年03月18日(日) その放射線量は本当に危険なのか

 この一年で暗い気分になったニュースのうち、半分以上が「放射線を恐れて何かを拒否する」記事である。筆者は恐れすぎてヒステリーになりかけていることを疑い、本当に危険なのかを調べてみた。

 例えば先日受けた健康診断でのX線による被曝は1mSv/h(ミリシーベルト毎時)以下だった。では各地での放射線量はどうか? 14日朝刊の日経新聞によると、一番高い福島市で1.115μSv/h(マイクロシーベルト毎時)が計測された。つまり1000時間留まって初めてX線撮影をしたのと同じ放射線量なのである。
 放射線量は100mSv/hでガン発生率が上昇するとされる。ここで大事なのは「合計で」ではなく「毎時で」100mSvである。一時間で100mSvもの放射線に曝されなければ健康被害はないのだ。

 ただ、放射線による影響は瞬時に消えるものではあるまい。影響が蓄積されたときの被害はどれだけ調べても出なかった。「ベクレル」の数値で示される食物の放射線量もハッキリしない。
 政府は「ただちに影響はない」というのを耳にタコができるほど言っていた。だが、放射性物質がどれだけ影響すれば健康被害が出るのか、実は誰も知らないのではないだろうか。


2012年03月17日(土) 時間が運ぶもの

 筆者は駅弁が好きである。色とりどりのおかず、工夫を凝らした包装、車窓を眺めながら食べるその雰囲気が旅気分を盛り上げてくれる事が嬉しい。
 先日購入した駅弁は「ありがとう300系引退記念弁当」。長年愛されてきた100系、300系新幹線車両が3月16日に引退を迎えたのだ。弁当は300系の運航開始当時の味を再現した幕の内弁当だった。
 1964年に営業開始した初代0系から48年後の今現在活躍中のN700系まで、時速も200kmから300kmに増えている。無線LANにも対応し、乗り心地もよくなっている。時間が運んでくるのは古い技術との別ればかりではない。

 日経新聞電子版の17日夕刊に「富山・神通川流域、再び農地に」という記事があった。四大公害病の一つであるイタイイタイ病の発生地だ。その土壌はカドミウムに汚染され、農地利用ができない状態だった。汚染された土壌をそっくり入れ替え、農地として再生したのである。
 33年も掛かった。だが33年掛ければカドミウム汚染から土壌は復活するのだ。時間の流れは絶望的な状況をも覆す。カドミウムと放射性物質は違う。だが今回の問題解決の一報が、福島の復興に希望と気力を与えてほしい。


2012年03月16日(金) 二次創作は人形遊びのようなもの

 2ちゃんねるの二次創作用投稿サイト「にじファン」関連スレが沸いている。運営会社ヒナプロジェクトが、権利者が二次創作を禁じている原作の二次作品の投稿を禁止する事を発表したからだ。
 同社が今回の処置に踏み切ったのは著作権法違反への訴訟を恐れてのことだろう。ヒナプロジェクトは広告料で利益を得る立派な営利団体である分リスクが高い。

 このリスクに対して切り捨てる以外の選択肢はなかったか。例えば投稿作品の原作の権利者から許可を得て、そして関連商品への広告を表示するようなシステムにすれば、双方の利益に適う運営ができるだろう。
 もちろん二次創作の度を越さないよう、権利者ときちんと線引きをした上で提携する必要はあるが。

 二次創作はキャラクターの人形を使った遊びと同じで、原作をより楽しむ方法の一つである。これを取り締まることは読者の楽しみを奪うことになり、権利者にもいい影響を与えるとは思えない。
 コンテンツ産業は、二次創作の場も含めて日本の経済の大きな部分を占めつつある。作品をより盛り上げ、楽しめるようにするためにも、業界各社は二次創作活動に対して今までの曖昧なラインに踏み込んだ展開をしていくべきではないだろうか。


2012年03月15日(木) 3.11の影響はどこまで本当なのか

 あえて丁度一年にあたる当日には言及を避けた。といっても深い意味はなく、周りと同じ行動をするのを避ける筆者の偏屈な性格が一番大きな理由であるが。
 2011年3月11日という日は、余程人々の心に影響を与えたらしい。「3.11以来〜」「東日本大震災の影響で〜」「東北の人々のために〜」という文句をこの一年でどれだけ見聞きしたかわからない。偏屈な筆者としては、それらのどれだけが本心からのものであるか白々しく思う部分もあることは確かだが、全てが嘘ではないだろうし、実際に当事者でなくても心に受けた衝撃が相当あったことは否定しない。

 数多くの出版物やブログ等の創作物で東日本大震災を踏まえた描写を頻繁に見るようになった。創作というのは自分の体験が一番の材料だ。あの日の体験は、多くの作家を、否、普段創作しない人でさえも、自分の受けた衝撃を何らかの形にしなければ気がすまなかったのだろう。体験を共有するという意味において今日発達したメディアは大きな役割を果たしたことは確かだ。

 しかし、筆者としては考えざるを得ないのだ。彼らが忘れないために創作し、残したのは「非日常の衝撃」なのか、それとも「教訓としての痛み」なのか。


2012年03月14日(水) 議事録というもの

 昨日の主な仕事は客先での打合せと議事録の作成だった。基本的にPCの持込などはできないので、メモからの起票だったが、内部で確認すると自分の認識と他の人の内容の受け取り方が違っていたらしく、確認していただいたら、かなり赤ペンが入って返ってきた。

 下々の民である筆者が議事録に喘ぐ一方、下々ではない公の方で議事録未作成の問題が持ち上がっている。去年の東日本大震災時、被害への対策を行う15組織のうち10組織で行われた会議の議事録が残っていないというのである。
 会議というのは意思決定の場である。議事録は会議での決定事項の記録であり、参加者間で決定事項を共有するための文書だ。そのためその後の行動の強い根拠となる。
 つまり議事録を作っていなかった10組織は会議で決定はしても、その決定の内容を共有していない。参加者が異動などでいなくなってしまえば会議の内容を確認する手段がない状態であり、参加者に勘違いがあれば、決定を間違って伝達、実行していたということになる。


2012年03月13日(火) ポストPC時代

 日経新聞電子版に「ポストPC時代」と称し、iPadを外に持ち出すシステムとして業務に駆使される例を紹介する記事が掲載されている。
 VPNという公共のインターネットから会社のイントラネットに接続できる技術を使って、社外から社内システムや書類情報を利用することができるので、今までセキュリティ上社内でしかできなかった情報閲覧を外にいる間に済ませられるという。
 データの編集より閲覧に特化してクリップボードのように片手に抱えて操作できるのも、机などの台に据えなければならないノートPCを持ち歩くよりモバイル機器として支持されている要因の一つだろう。

 国内DRAMメーカーとして名を馳せていたエルピーダメモリの経営破綻の大きな原因の一つとして挙げられているのが、スマートフォンやiPadなど新しいモバイル機器の普及である。エルピーダはこれらにモバイル機器のここまでの台頭を予測できなかったのだ。
 筆者もSEとしてシステム業界に関わる身だ。情報セキュリティを守った上で活用できるこれらのシステムとはいつまでも無関係ではいられまい。VPNやiPadを使ったシステムなどを勉強し、いつでも提案できるようにしておかなければ。


2012年03月12日(月) 実践英語の語彙

 週末に東京に単身赴任中の父がげんなりして帰ってきた。聞くと、先週はずっと海外から来た顧客を相手に仕事をしていたらしい。日常会話だけではなくプレゼンテーション(もちろん英語で)もさせられたそうだ。

 出展は定かではないが「各語の90%以上を理解しようとする場合、フランス語なら約2000語、英語なら3000語、ドイツ語なら約5000語、日本語なら10000語が必要」であるという。
 筆者も一年ほどカナダにステイしていた経験があるため覚えがあるのだが実践英語は意外に使う単語が少ない。例えばtakeやmakeだけで恐ろしくたくさんの意味を持っているため、使用頻度が高い分使い分けなくて済むのだ。
 英語を公用語とする企業の中に楽天がある。その後どうなったかを追う記事が毎日新聞が出しているが、その記事を見る限りは以外にうまく行っているようだ。実際に使い始めると、実は英語がそれほど難解な言語ではないことが伺える記事である。

 父も勉強熱心で一時期英語の教材には困らなかったが、ビジネス英語で実践するとなると勝手は違うだろう。先週はどう乗り切ったのだろうか。もう少し突っ込んで話を聞いておけばよかったと少し後悔している。


2012年03月11日(日) 秋入学制度について

 今年に入ってから盛んに議論されていることの一つに、大学の秋入学制度がある。1月20日に東京大学が移行への本格検討を発表したからだ。秋入学制度は、国際標準に合わせたものだ。欧米では大抵秋入学、夏卒業であり、学年間の休みこそが夏休みである。
 だが、高校卒業の後、秋の入学までには期間があるわけで、その間の期間は学問ではない勉学に励む機関にすればよいとしている。しかし、国家公務員試験や就職活動など影響は大きく、教育面について、この秋入学制度議論はいろいろなものの変化を促しそうだ。

 実のところ筆者には何故、それが議論になるか分からない。卒業した大学は、秋入学も春入学も受け付けていた。秋卒業も春卒業もありである。講義を受けた時間が規定の時間を超え、且つ単位が足りていれば卒業できるのだ。
 筆者も最後の一年は単位が足りていたので、全く講義を受けなくても卒業できた。だったら秋に入学して3年半後の春に卒業しても良いのではないか、タイミングを合わせたいのであれば4年半大学に通うのもよいだろう。最も、筆者の母校は学力面では自慢できる大学ではないので、いま議論を交わしている高学力の大学では勝手が違うのかもしれないが。


2012年03月10日(土) 喫茶店について

 友人に文芸談議に招かれて京都は三条の方に赴いた。喫茶店はこういった談議をするのに向いている。なぜなら日本で最初の喫茶店、カフェー・プランタンが開かれた動機が、文人や画家が芸術談議をできる場所が作りたい、というものだからだ。
 話が弾む中で寄った喫茶店は2件。両方とも人気はないが風情のある細い路地にあり、骨董品が所狭しと並べられ、猫の店長が闊歩する店に、レトロな路線なのはいいが、なぜか追加オーダーができない店と双方特色深い店舗だ。昔の喫茶店ブームからそのまま残った店だと聞いた。古いものが当たり前のように残っているのはどこか京都らしい。

 筆者にとって学生時代、喫茶店は縁遠い場所だった。何しろ飲み物だけで何百円も取られるのだから割に合わないと考えていたのである。
 喫茶店の使い方を覚えたのは就職活動の頃だ。いくつもの企業を渡り歩き、次の企業に向かうまで時間があるときは喫茶店でよく休憩していた。机と椅子のある場所というのは都会の中にはなかなかないのだ。そこで喫茶店の飲み物代には場所代も含まれていることを初めて理解した。

 誰かとじっくり話したいとき、ゆっくり座って休みたいとき、そこには喫茶店があってほしい。


2012年03月09日(金) 健康診断に負担減を

 本日、勤め先の計らいで受けさせてもらっている健康診断に行ってきた。視力、聴力検査に、身体測定、内科検診に採尿、採血。それから胸部X線撮影と腹部X線撮影である。ショックだったのは1kg程去年より体重が増加したこと、腹囲が明らかに増えていることだった。
 思い当たる節はいくつもある。東京出張になってから、運動といえばホテルと職場の往復15分足らずの歩行だ。夜中になって間食もしている。カロリー計算はしているつもりだったが、どうやら運動が減った分、目算が甘かったようだ。

 病院側は進行性の病気の早期発見のために定期健診と言われるが、社内で義務付けられたりしていない限り、人が能動的に検査に来ることは中々できないことだろう。
 人が検査を避ける理由はいくつかの苦痛を感じさせる検査の存在だと思う。具体的に言うと、採血やバリウムを飲む腹部X線撮影等の存在だ。
 筆者もなるべく意識しないようにしてやり過ごせたが、それらのことを考えると憂鬱だった。健康なのになぜ体に針を刺したり、バリウムを飲んで苦しい思いをしなければならないのかと理不尽に思ってしまう。
 やはり検診だけならあまり苦痛を与えない方法で検査はできないのだろうか。


2012年03月08日(木) 終の棲家に日本を

 日本文学者のドナルド・キーン氏がついに日本国籍を取得した。戸籍名は片仮名で登録されているが、「人を笑わせたいときに使います」と、キーン氏は「鬼(きーん)怒鳴門(どなるど)」と漢字名で書かれた名刺を持ち歩いているそうだ。「怒鳴る」と「鳴門」をかけて「怒鳴門」とするセンスは流石に日本文学の権威である。
 日本人として外国の方に日本を終(つい)の棲家(すみか)に選んでもらえて大変誇らしい。国籍まで変えるということはお世辞や打算でできるほど軽いことではないのだ。

 筆者も海外に滞在した経験が2度ほどある。2度目のカナダへのホームステイは1年に及ぶものだったが、帰る日が近づくにつれて、日本に帰る日が待ち遠しくなったのを覚えている。あの時は日本に帰り、家族に会い、友人に会うのが何より楽しみだった。
 キーン氏の場合、米国にある家財をすべて処分して日本にやってくる徹底ぶりである。少し調べても彼の家族のことについては分からなかった。友人ならばむしろ日本に沢山いるようだ。会いたい人がたくさんいる場所だから、とは言い切れない。とにかく彼にとって日本は「帰る」場所であり、母国であるアメリカ合衆国は「行く」場所となった。


2012年03月07日(水) つるふさの法則

 特別なものには何でもスーパーをつけたがるアメリカ合衆国民がこの火曜日を「スーパーチューズデー」と名づけている。大統領選挙の予備選で、多くの州が投票日を迎える日である。今回は決着がつかなかったが、残りの州での投票で共和党の大統領候補指名を受けた候補者が現職オバマ大統領に挑む構図となるわけだ。

 一方、ロシア連邦では先週早々と大統領選を終わらせ、圧倒的な投票率をもってプーチン氏の大統領再就任が決定した。
 実はロシア連邦の最高権力者の移り変わりには「つるふさの法則」と呼ばれる法則がある。それはソ連、ロシアの歴代権力者の頭髪の特徴の移り変わりを現しているものだ。一度歴代権力者の一覧を確かめられると良い。大統領制に変わってからだけでも見てみると、エリツィン氏からプーチン氏に移り、メドヴェージェフ現職大統領を経て、再びプーチン大統領時代に戻る流れは完全にこの法則に沿うものだ。

 この「つるふさの法則」には第二法則がある。「つる」の代の権力者は改革的で失脚などの悪い形で権力を失うという法則である。大統領任期を4年から6年に延ばし、さらに長期政権を築こうとするプーチン大統領はこの法則を破ることができるだろうか?


2012年03月06日(火) 現実に近づくSNS

 ソーシャル・ネットワーキング・サービス(以下、SNS)のソーシャルは和訳すると「社会的な」という意味である。このネーミングが馬鹿にならなくなってきたのは、twitterが普及し、実名主義のfacebookが台頭してきてからだ。
 以前はネット上の匿名性に慣れた人が偽名を使って発言していたが、今は普通の人が隣の人に話しかけるように全世界に向けて発言している。「○○が△△している」と他人のプライバシーを公開したり、自社や自分自身の機密情報を漏らしたりする事件も後を絶たない。

 SNSを介して、ネット上の情報が現実とのリンクが強くなったように感じる今日この頃であるが、それで起きるのは悪いことばかりではない。
 就職活動にも便利になったし、コネ作りや宣伝もできるのでビジネスで一旗上げたい野心家には活用したいツールだろう。人に話しかけるのが苦手で、それでも友達を作りたい人にもありがたい存在である。

 だが、自覚しておきたいのは前提として現実の世界があり、SNSはその上に成り立っているということだ。ネット上では上辺の情報しか得られない。発言者がその言葉をどんな顔をして打ちこんでいるか、誰にも見えはしないのである。


2012年03月05日(月) 六本木ヒルズに見る未来都市像

 久しぶりに休日が取れたこともあって、六本木ヒルズに足を伸ばしてみた。
 54階建ての森ビルを中心に、住居を備え、多くのオフィスや店舗が存在し、これで学校でもあれば一つの都市として機能できそうな程、設備は充実している。(流石にスターバックスがヒルズ内だけで4件もあるのには閉口するが)
 目的地に着こうと頑張っても距離は長く、構造も複雑で筆者のようなお上りさんには迷いやすいが、その分デザインとしては見た目は楽しい。蜘蛛のオブジェである「ママン」ををはじめ建物を見て歩くだけでも一日潰せそうだ。

 日経新聞電子版によると、大震災への備えも万全らしい。食料や寝具を地下倉庫に備蓄し、受け入れスペースを確保している。建物自体は免震構造なのはもちろん、自家発電設備も抜かりない。有事の際には、六本木ヒルズは帰宅困難者の支援施設として大きな存在になりそうだ。

 建物の形に不思議な既視感を覚えた。それは昔子供向けの雑誌か何かで見た未来予想図にある建物によく似ていた。
 今はセレブのための建物であるが、六本木ヒルズの真の価値は、これからの都市開発において、都市機能を内蔵した建物のプロトタイプとしてのものにあるのではないだろうか。


2012年03月04日(日) 型に嵌まるディスコミュニケーション

 筆者は短気である。明らかに分ってないのに分っているふりをしたりする人に、筆者は苛立つ態度をあまり隠せない。苛立ちの原因は自分が周囲の人に型を嵌めているからだ。初めから「この人は製造畑の人だからこういう話題に弱いのだ」と思っておけばあまり腹も立たない。

「大人だと思えば腹が立つけど、手間の掛かる子供だと思えば腹も立たないわ」
 人気釣り漫画『釣りバカ日誌』のとあるエピソードで、主人公である浜崎(ハマ)ちゃんの奥さんであるみち子さんが、夫を指して言った台詞である。休日となれば釣りに行くため家庭サービスがおろそかになりがち。おまけにいつまでも出世しないため夫としては落第点であるが家庭はあたたかい。
 その秘訣が冒頭の台詞だと筆者は考えている。「大人だ」「夫だ」と思うと、腹の立つことが多いが、浜崎ちゃんは浜崎ちゃんだと受け入れれば苛立つこともない。

 コミュニケーションによるストレスの大半の原因が、お互いに相手を型に嵌めることにあるのだと思う。自分が自分勝手に作った型に嵌まらない原因を相手に見ているのだ。これではあまりにももったいないではないか。もう少し相手を見れば、腹がたたない程度に型が修正できるものを。


2012年03月03日(土) 不釣り合いな注目と戦う人

 いい加減かわいそうじゃないかな。記事が出るたびにそう思うのは日本ハムの斉藤祐樹投手である。今年は不動のエースが大リーグに飛び立ったため、日本ハムの先発投手陣は目の色を変えて開幕投手争いをしている。
 ところが彼の対外試合の戦績は振るわない。今日のオープン戦では5回3失点である。オフシーズンの間は「今年こそは芽が出る」と言われていただけに、残念がる人は多いだろう。

 今、マスコミが彼の記事を取り上げるのは、2006夏の甲子園において、大阪桐蔭の中田翔選手を打ちとり、決勝戦では駒大苫小牧の田中将大投手を相手に合計24回を投げ抜いて優勝し、ハンカチ王子の名を不動にしたスター性によるものだ。
 早稲田大学でも相当活躍をしたようだが、目立った活躍ができなくなったのはプロに上がってからである。

 本人は心苦しいだろう。実績がないのに、どうしても自分に注目が集まっている。オールスターゲームでも人気だけで選ばれたと一番揶揄していたのは彼自身だろう。
 だが、注目を集める選手は何かしら「持ってる」ものがあるものだ。開幕投手は厳しいが、今年こそはハンカチと一緒に忍ばせた何かを取り出して大いに日本野球界を盛り上げてもらいたい。


2012年03月02日(金) 幸せの対価

 幸せとは何なのか。グリーの「探検ドリランド」における複製カードの現金取引事件はそれを考えさせられる。
 ゲーム内で有利になるため、お金を支払うことは理に適っている。少し前に「Darkorbit」というオンラインゲームのアイテムを10万円で販売したところ2,000個も売れてしまったという事もあった。こういう事例でも求めるものを提供し、購入者が満足するなら商業上は問題ない。

 アイテム課金をするのは「強くなりやすい」からだ。現実ではどんなに努力してもうまくいかないことはあるものだ。その点、ゲームの世界では対価を払って所持品の質を良くすれば簡単かつ確実に強者になれる。自分の活動において良い結果が得られたときは快感だ。快感を得るために努力やお金などの対価を払い、その結果を人は常に求めている。その心は射幸心という。
 自分の財産をどう使うかは自由だし、ゲームのためにお金を使うことの不毛さを論じるつもりはない。だが、ゲームはゲームと分っていなければならない。
 ゲーム内での有利を現実社会での地位向上と混同しているようであれば危険信号だ。気分は幸せかもしれないが、幸せの正体は気分ではないと一言忠告させていただこう。


2012年03月01日(木) 2,000億円の詐欺事件

 2月の下旬から日経新聞を賑わせ続けるニュースがある。AIJ投資顧問の約2,000億円の企業年金資産消失事件だ。
 この事件で狙われたのは企業年金だった。確定拠出年金や厚生年金基金として、企業の運用する私的年金、つまるところ我々が働いて得た月給から控除されている老後のためのお金である。それがそっくり消えたというのだから惨い。

 AIJは巧みに損失を隠し、リーマンショックの時でさえ利回りがよいように偽装した。そして「儲かります」「実績があります」と言葉巧みに営業を掛け、契約企業を増やしていたのだ。こうしてみると、そこらに転がっている詐欺事件と変わらない事件ではないか。
 詐欺事件の性質の悪いところは、犯人が捕まったところで失ったお金が戻る保障は全くないところだ。いくら返還請求をしたところでない袖は振れない。家を売ろうが、女房を質に入れようが、形振り構わず金策したところで2,000億は補填できまい。結局泣きを見るのは被害者である企業か、もっと悪ければ社員である。
 老後働けなくなった後に当てにしていたお金が消えることがどれだけ絶望的か。AIJ投資顧問のこれからの落とし前の付け方にはこれから注視していきたい。

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