職場の最寄り駅である京橋駅(僕がよく使うのはその隣の大阪城公園駅であるが)の構内のコンビニでちらちら目に入っていた『鉄子の旅』。少し前にあちこちで絶賛されていたのを聞いており、少し興味を引かれていた。
漫画を買うとき、僕は「知らない世界であるか」というのは非常に重要だ。漫画は取材に基づいたモノがほとんどなので、漫画知識といえども侮れない。むしろどうせ見栄を張って知識本を買ったところで、眠ってしまうだけなのだから、浅くても、ちょっとオーバーに描かれていても、知らない世界の漫画を買いたい。
鉄道はまさに僕の知らない世界だった。 僕は車よりも電車が好きだったりする。というのも、移動中、眠ったり本を読んだり、割と自由な時間が手に入れられるからだ。車は酔うから本が読めない。 遠方への旅は車かバスなのだが、一度列車での旅をしてみたいという願望は割とあったりする。 そんなこともあり、鉄道マニアはいったいどんなところに乗っていくのか? という観点で僕は『鉄子の旅』に興味を持っていたのであるが、今週ついに手に入れてしまったのである。
鉄道マニアならではの視点で旅の様子を書いたルポ漫画なのだが、おもしろいことはおもしろいが、何せあまり駅から離れないので、マンネリ化してくる部分もある。が、そこはゲストを呼んだり(笠井アナとか眞鍋かをりとか結構豪華)、道中に起こった出来事をうまく取り上げることで、それを一生懸命防いでいるのが伺える。 しかしこの漫画を書いたキクチさん。人物はうまくデフォルメされているし、その割に背景はきちんと描けるし、話の構成といい(道中をどうまとめるか)、フィクションは苦手そうだが、かなり実力があるんじゃないだろうか。
ちなみに全巻買った後、横見さんのHPをみて、地元の駅のことで何か書いていないかと思ったら、阪和線のことは一言も触れていなかった。(行った駅の記録の中に駅名が載せられているだけ) 南海本線のほうは「みさき公園」が取り上げられているが、それでも和歌山港のほうが大きく取り上げられているし。(ちなみに南海高野線のほうはいくつか「秘境駅」を取り上げられている駅がある) やっぱり都心から外れているとはいえ、こんな中途半端な地区はテツの心には響かないよなー。僕だってどこを取り上げていいのかわからない。
ちなみにこの漫画で何度かテーマに取り上げられた「秘境駅」。この言葉を作った牛山氏の「秘境駅へ行こう!」ものぞいてみた。が、HPだけではいまいち僕の好きな閑散とした感じがわからない。やっぱり実際行ってみるべきだと言うことだろうか。
この際、この漫画でも取り上げられていた有田鉄道(の廃線後)や紀州鉄道なら近いし、見に行ってもいいのではないだろうか。前からやってみたかった、「和歌山から奈良経由で大阪市に入り、帰ってくる」という一周もついでにやってみたりして。
インフルエンザが職場で大流行している。 隣の部署など、ほぼ全員がここ一週間にかかってしまい、直って出てきている人もマスクをしている。
主任などはインフルエンザを抱えたまま客先を回り、見事に全員感染させて倒れさせてしまったらしい。笑い話にはなっていたが迷惑な話である。 だが、なぜか予防注射もせず、主任の真向かいに長い間座っていた僕が無事なのだろうか。(隣の上司は見事にかかって中国出張をおじゃんにしてしまったのであるが)
客先に送った注文書に誤りが見つかった。 よく見積もりを間違う僕はきちんとすべてに目が通せるようにチェックリストを作っている。それなのに間違うなんて。
「一つ用事をすると一つ間違う」
上司の言であるが、はっきり言って反論できない。 誰か教えてくれないだろうか。要領よく素早く、そして間違いなく仕事ができる方法を。
昨日執り行われた大阪府知事選はあっけなく橋下氏で決定した。 そのことについて今日の日経新聞の25面にかかれていたことは本当に的を射ていると思う。
『「与党か野党か」ではもちろんないし、「橋下氏か熊谷氏か」というのも少し違う。多くの一が自らに問いかけたのは、突き詰めれば「『橋下府知事』はイエスかノーか」。』
まさに僕が昨日投票する際に考えたことだ。 僕はあまりタレント、もしくはテレビに普段出ている人が政治家になろうとするのが気にくわない。知名度の点においては反則的までに有利だからだ。 それでは一筋に政治活動を続けている人はひとたまりもないではないか。世間はそんなストイックなところに目を向けてはくれないのに。
ほぼ2ヶ月ぶりにサイト更新。金曜の夜にアイデアが閃いて、ほぼ半分以上を2時間で書き上げた。はじめは紙に書いていたので、その分打ち込む手間はいるが楽なものだ。
しかもWordで打ち込んだモノをホームページビルダーで編集しようとしたら、なんとビルダーがインストールされていない。 よく考えれば、昨年末あたりにネットにつながりにくいという理由で、一度PCをセットアップし直した記憶がある。まさかあのときから一度も更新されていなかったとは……。
カオぱらはアドレス変更しているし、更新するための場所はわかりにくくなっているし、あまり長く更新をあけるモノではないな。
月曜日には中国出張に出かけてしまう上司にTELをする。すなわち「案件をください」とお願いするためだ。 どう言葉をつなげればよいかを考える。
上司が割とまともに話を聞いてくれるのは、素直に気持ちそのままを、殊勝な風情ではき出すことだ。 こう言って、こう問われたら、こう答える。というふうにある程度シミュレーションをする。(あまり役に立った試しはないが)→深呼吸をする。→電話番号を押す。→「このままじゃ何も進まないんだ」と自分に言い聞かせる。→再び深呼吸をする。 こういう手順を踏まなければ発信ボタンを押せないのである。
ここまでただ話すのに準備がいるのは上司くらいのものである。
何もできなかった。 明らかに上司は何かを待っている。
僕の考えることことごとくにけちをつけ、否定する言葉の裏で、僕の言葉を待っている。「やる気がない」といわれてもなお、「案件をください」と言わせようとしている。 受け持っている物件がない。当然今期の受注予定もない。僕のとるべき道はそれしかない。
正直悔しい。犬みたいに与えられた案件でやっていくしかないなんて。 正直辛い。そんな情けない話を上司にしなければならないなんて。
電話を手に取る。 上司は来週上海出張で、水曜日まで連絡が取れない。おまけに今は客先にいっていて、いつ会社に戻るかわからない状態だ。
できるなら面と向かって話したい。電話だとつながりにくいことがあったりして話しづらいし、おまけに上司と電話で話をしてろくなことになった記憶がないのだ。
でも話さなければならない。 ここで話さなければ上司のいない3日間は絶対に不毛なモノになってしまう。
やる気がないと言われた。 例えば、ある案件があって、ヒアリングしても訳がわからなかった。上司と一緒だったので一緒に聞いているから大丈夫だろう、必要なときに確かめればよいと放っておいたらある飛脚のニーズの理解度を問われ、全く理解していないことを理由に案件の手動を取り上げられてしまった。
正直、どこかに詰まっていた案件だったので、ほっとしていた。上司ならばスムーズに案件が進むはずだ、と。 しばらくすると、上司は「俺が案件主導するっていったらホンマに何もやらへんねんな」と、嫌みたっぷりにのたまわれたものである。
正直理不尽な気がするが、アレは上司なりのテストだったのだろう。あそこで食らいついていくのが正解だったのだ。食らいついても怒られただろうが……やはり理不尽だ。
案件がない。今年の予算がたたない。なぜ毎回こんなにひーひー言いながら営業施策を考えなければならないのだろう。 他の人はみんな自分のユーザーに対する施策を書き込んで、一日で完成させているというのに。
周りの新人もすでにユーザーと案件をそれぞれ渡され、施策発表の資料をまとめている。要するに前四半期に今四半期のことを考えて行動していなかったから今、こうなっているんだと思う。常に先を考えて行動しないと今の僕のように商売の種がなくなり、種が落ちてくるのを探す営業になってしまう。
さて、どうすべえ?
昨日作って客先に送った見積もりに重大なミスが見つかった自分で信じられないくらいの紛う事なき間違いだった。 むろん上司に怒られたが、それが問題にならないくらい今回のことはショックだ。何度も見直して大丈夫、と思っていたのに間違いでは自分で自分が信じられなくなる。
改善案としてチェックシートをつくった。コレに沿ってチェックをすれば、少なくともチェックがもれることはないはずだ。 値段の数値に関してもその根拠となる数字があげられれば、まあ自分を信じることはできる。ただ根本のところで間違えていなければ、の話になるが。
もし、暖房器具がなかったらと考えるとぞっとする。夏に冷房器具がなくても、まあ何とかなるような気がするが、冬に暖房がないとどうなるか。 まず着替えがしづらい。暖房の効いていない朝に着替えるのは命がけだ。次に手がかじかんだりすると手作業ができなくなる。 小学校や中学校のころは、公立で冷房がなかった。しかしそれでも冬には教室のど真ん中にレトロで巨大なストーブが入れられたものである。
暖房といえば昔は灯油ストーブが我が家の主力だった。灯油を入れる手間はいるし、多少危険だが、上の鉄板で餅を焼いたり湯を沸かしたりできるのが魅力的だ。
今、家にある暖房の種類は多岐にわたる。まず、往年の石油ストーブに変わってリビングに暖を提供しているのはガスファンヒーターだ。 石油ストーブと同じですぐ暖まり、範囲も広い。しかも安全だ。およそ暖房としての機能はほぼ完璧である。しかしながら、ガス使用のため、ガス口のない部屋では使えない。オール電化だったり、鍋などでガス口がふさがれている間も使えないという、使用場所の制限という欠点があったりする。
もう一つの主力が床暖房だ。こちらは即効性はないが、範囲は部屋全体に及ぶし、スイッチを切った後の持続性もある。何より元々家を建てられたときに仕掛けられたものなので場所をとらない。
各個人の部屋に据えられているのはオイルヒーターだ。こちらは暖かいし、有効範囲も広い。電気で動くのでどこでも使えるなどの利点はある。しかし、暖まるのに時間がかかるし、電気代を食うのが大きな欠点だ。
自分の部屋で補助的に使っているのは赤外線ヒーターだ。こちらは空気をたためるのではなく、照射したものをあたためるので、即効性に優れ、電気もあまりくわない、 だがいまいち調節がしにくい。直接当たっているとそこが暑すぎるし、長時間使っていれば空気も暖まるが、電源を消せばすぐに消えてしまう。
こう書いていると冷房と違って暖房はモノによっていろいろ長所短所があって結構おもしろいなあ。
コンビニではコミックスよりは廉価だが、紙の質が悪く、広告も多分に含まれているものがよく売られている。 僕は今までそれに手を出してこなかったのは、コミックスだと、新刊を見逃しても後で補えるが、ワイド版だと一つ見逃すと、もう2度と手に入らない気がするし、そもそも完結まで出るかどうかわからないところがある。
しかし、ついに手を出してしまったのである。前からちらちら目についてた「め組の大悟」だ。知識的な問題として、職業ものに惹かれる僕としては「海猿」などと並んで呼んでみたかった作品だ。たしかドラマ化されているのを数分見たことがある。 そのときに取り上げられていた、海猿と似た、危険を顧みない仕事と、心配する家族のジレンマに悩まされるような回はまだないが、かなりおもしろい。 続刊が待ち遠しいものだ。
2月1日に施策発表会がある。それぞれの営業が自分がどのように与えられた数字を達成するつもりなのか、その計画をお偉方に報告するイベントである。 その施策が外れ全く別の方向で数字を稼ぐことも多いため、意味があるのかどうかわからないが、それでも数字の見込みがないと雷が落ちてくることもしばしばであるため、営業マンにとっては恐怖のイベントである。
前四半期の報告も兼ねているため、特に状況のよくない営業マンは必死になるのだ。ウチの会社の営業をこのイベントを無事に乗り切るためにしゃかりきになるといっても過言ではない。 そういういみで営業の尻を火をつけるためにこのイベントは存在するのだろうなぁ。
平常、僕は朝8時に会社にたどり着く。仕事開始は9時だが、僕はあまり遅刻が好きではないため、少し寝坊したり電車が遅れたりしたら遅刻になってしまうような家の出方はしたくない。 かくして、5時半過ぎに起床し、暗いうちに出かけている、という健気な僕の習慣は脇に除けておいて、だ。
ここのところ、まっすぐ会社に出社することはやめている。スターバックス、ミスタードーナツ、そういった飲食店に入ってカフェオレや紅茶を飲んでいるのだ。 やっていることと言えば、前日の日記を書くことと、今日することの確認。それがすんだら“まほゆめ”の追記を行う。
今日することの確認はともかく、日記を書くことや、小説を書くことは会社の机に座っていてはできないことだ。この朝の一時というのが、無理なく時間を有効に使える希少な時間だというのは、24年と少しばかりの人生の中で蓄えられた少ない経験の伴った知識だ。
すでに2週ずつプレイしたはずの『逆転裁判』の2,3だが、今日もつい1話分プレイしてしまった。 たまった日記(紙に書き出してあったが)を打ち出して、“まほゆめ”の続きを書くか、仕事のアイデアを練るかしたかったのだが……。
このハマりっぷりは異常だぞ。どうにかして断ち切らなければならない。……と、思いつつも今度の週末あたり『蘇る逆転裁判』の購入を考えているのだからオソロシイ。 自分の意志の弱さには恐れ入る。
ふっくらとした焼きたてのトルティーヤにしゃきしゃきのレタス、瑞々しいトマト、その上に炒めた肉をのせ、薬味として刻みタマネギを少々、仕上げにタコ・ソースを掛ける。 メキシコの傑作料理、タコスである。
昔はそんなに好きではなかったはずだが、カナダに一年留学している間にすっかり気に入ってしまったのだ。 特に気に入っているのはタコスの要であるタコ・ソースである。微妙な酸味のきいた辛みが何ともいえない。塩すらついていないプレーンなスナックと合わせて食べると非常にうまい。 これなら簡単だし、一人暮らしの際には重宝しそうな料理だ。
上司からここままでは駄目だ、と上司に言われた。 ここのところ、営業に出られていない。何となく12月から続いている物件がどう動くかわからないので動けない、ということがある。
でも、それはただの甘えではなかろうか?
年末から自分はもっとストイックになるべきじゃないか、と思っていた。思っているだけだった。無理しちゃ駄目だよ、ともう一方でささやく自分にただ甘えていた。
でも、もうそろそろいいんじゃないだろうか、なにかためすくらいならやれるんじゃないだろうか? 例えば、ライトのベルを持ち歩くのを止めるのは? 漫画をすべて片付けてしまうのは? 極力インターネットに繋がなくするのは?
勉強の計画を立ててみるのは? こうして先を考えていると、こんな憂鬱な話でも少しわくわくしてくるのだから不思議なことだ。
祝日だったので、両親と一緒に部屋探しに出た。 前述の通り、京都に単身赴任していた父親が帰ってくる今、独立する最大のチャンスである。
一応、家賃の都合もあり、大阪から少し離れた場所などを考えていたが、とりあえず現在の僕の生活の中心である京橋を中心に考えた方がよい。ということで、僕たちはまず京橋に降り立った。 昼食を食べた後、駅前を歩いて一番はじめに目についたアパマンショップに入り、相談を始める。
実はその前に京橋駅で、賃貸マンション用のフリーペーパーがおいてあったのでそれを見ていたのだが、その雑誌にでかでかと載っていた新築マンション。それがポスターにして壁に貼ってあった。どうやら特選物件らしい。 会社から15分という近さ、新築、洋室は8畳、それで家賃が58,000円である。共益費が6千円、水道代が固定で2千円、この上に電気代、インターネット代がかかってくるのであるが、市内に部屋をもてるのであれば安いものだろう。
さて、去年まではただの漠然とした目標だった独立と一人暮らしだが、年が明けてからにわかに現実味を帯びてきた。
ここのところ、異様に寒くなってきた。どのくらい寒いかというと、服を脱ぐのに異様に気合いがいるくらいである。まだ暖房を効かしていない朝の着替え、そして暖房がない風呂など、服を脱ぐ機会は限られているとはいえ、できるだけ楽に服を脱ぎたいものだ。
それには、一工夫をする必要がある。 その一つが今日、思いついた方法で、暖房の効かない脱衣所での脱衣である。むろんそんなところに暖房などをおいていないので、脱衣所に入って風呂に飛び込むまでは非常に寒い思いをすることになるわけだが、少しでも寒い時間を減らすために、暖房の効いたリビングで服を脱ぎ、そのまま脱衣所をダッシュで通過して風呂に飛び込む。 これならば、寒い時間を最短に減らせるはずだ。……むろん、家族に見られる危険を顧みなければ、の話になるが。
昨日一人暮らしのため、桃山台に引っ越したばかりの友人の部屋を訪ねていった。ちょうど僕も一人暮らしを考えているので何か参考になるだろう。 市内から離れているためか、2DKという広さとしては申し分がなかった。駅から20分と、少々遠いが駅からの距離はあまり気にしないタイプではあるので、市内でも駅から離れた場所にならやすくて条件のいい物件があるのかもしれない。
実は、僕の一人暮らしの話はかなり具体化している。現在京都に単身赴任していた父親(週末ごとに帰ってきていたのであまりそういった感覚はなかったが)が、大阪に戻ってくることになった。それで、父が使っていた一人暮らし用の家具の数々が余るので、この機会に一人暮らしに移行できれば、その家具がそのまま使えるというわけだ。 月曜日に両親と物件を探しに行くことになっている。ひょっとしたらそのまま決まってしまうかもしれない。
父親が自分のPCに入れているという「ATOK」を拝借してインストールした。軽くライセンス違反だが……まあ、後ほど自分で買うとしよう。 今まで、わざわざインストールするタイプの変換ソフトを入れたことがなかった。悪名高いMacの「ことえり」とWindows標準の「IME」くらいしか使ったことがなかったのだが。 父親曰く性能は段違いで、使っていない状態には我慢できないのだとか。
確かにこうして日記を書いていると、欲しい漢字がぱっと出てくるあたり、変換ソフトとしての性能の違いがわかろうというものだ。 だが、操作性が著しく変わってしまったため、ちょっと操作に迷いも出ている。
まず、かな入力と英字入力の変換は左上の「半角/全角」とスペースキーのあたりにある「カタカナひらがな」で切り替えていたが、ATOKは「半角/全角」一つで両者を切り替える。 また、よみがなの区切りをかえて変換したいときは、Shiftkiを押しながら変えていたが、ATOKはカーソルキーの左右と上下で切り替えと決定を行うようになっている。
まだまだ慣れるまでには時間がかかりそうだ。
テレビでお金の歴史というものをやっていた。もともと賭博のチップのようなものから始まったものらしい。この何とでも交換できる便利なものが流行し始めたのを発見した幕府は、自分でお金を作ったが、こんどはニセ金が横行し始め、あっという間にお金の信用は失われた。 それをよみがえらせたのが豊臣秀吉らしい、というとてもおもしろい話だったが、その歴史に関連して、「淀屋」という、おそらく大阪で一番有名な橋を立てた一族のエピソードも紹介された。
これが何とも数奇な話だった。 大富豪として栄えた淀屋一族だったが、たかが「商人」のもつお金の力の大きさを恐れ、幕府にすべての財産を没収され、没落してしまう。 ところが、この店の番頭をやっていた男が「淀屋清兵衛」を名乗り、昔のような大もうけではないものの堅実な商いで着実に財力を伸ばす。ところが、その5代目淀屋清兵衛は突然順調だった店を閉めてしまう。 そして、すべての財産をどこに投じたか、それは長州・薩摩藩。その財力を軍資金とした維新志士たちは400年続いた幕府を見事倒し、淀屋は150年前の先祖の主人を没落させた幕府に対する復讐を遂げたのである。 何とも興味深いエピソードである。もう少し深く掘り下げ、あやふやな部分に脚色を加えれば、おもしろい小説になるのではないだろうか。
軽く風邪を引いたらしい。会社が始まるちょっと前から時々鼻水が出るようになった。 いつもなら鼻が詰まってしゃべりにくくなり、鼻をかみすぎて鼻が痛くなるくらいの被害だが、今回のはちょっと濃い。鼻の奥に吸い込み、痰として吐き捨てようとしてものどの奥に引っかかってかなり苦しい目に遭う。
9月にも風邪を引いて1月咳が止まらなかったことがあったが、前より体調に不備があることが多くなった。 運動不足によって免疫が低下しているのだろうか?
電車の帰り道に、ずっと以前に興味の向くままかって、そのまま鞄に入れたままにしてあった『殺人病院−誰も欠けなかった病院の裏側−』(五島誠二・著/彩図社)という本を読んだ。 病院に従事していた人が、どれだけ病院を安易に信用することが危険かを、具体的なエピソードを交えて説いたものである。
そのエピソードの恐ろしいことといったら。「もうけのために患者をだます病院」「手術をしたがる病院」はありがちな話だが、「給水タンクが錆だらけ」、「ゴミ箱に落ちた点滴の針をそのまま患者に刺す看護婦」など想像するだけで背中が薄ら寒くなるような、怪談も真っ青の怖い話だ。 病院を選ぶときには気をつけなければ。
仕事始めの日。 今日という日をどれだけ恐れていただろうか。
しかし、朝起きて、電車に乗っているうちに、不思議となんだかうきうきしてきた。会社に着いたら何をしよう、本で読んだアレを試してみようか、お客さんのところにバリバリ出かけていきたい、など新聞を読んでいるウチに様々な思いが胸をよぎる。
仕事も、わりと順調だったと思う。相変わらず、上司には怒られるけど、何となくあまり堪えなかった。
おまけに帰り道に一つ前の駅から降りて歩いていたら、今まで全く闇の中だった“まほゆめ”の第4部のアイデアが閃いた。クライマックスはコレで決まりだ、というくらい鮮やかで、書き留める必要もないほど明確に。
いいねえ。創作はコレが気持ちいいんだ。
あ、明日から学校……じゃない。会社か。 明日から学校でも、あんまり嫌な感じはしなかったし、GWの連休明けも研修中ということもあってか対して不安がなかった。
だけどなぁ……。
休み明けが楽しくなる方法はないだろうか。 学校に行っていたときは、宿題や世周ができていればその授業は楽しみだったものだが。
やることをやっていれば明日が楽しくなるというのだろうか。
徹夜明けは非常にキビシイ。 基本的に朝帰りをしてそのまま眠りについた場合、通常6時間、昼過ぎには目覚めていてもおかしくないのだが、それでも頭がぼやっとするのか、一日が無駄にしてしまうことが多い。
一時期、「どれだけ寝てなくても8時間寝れば結構すっきりするから、2日間起きて一日分寝れば、平均睡眠時間4時間で生活できるのではないか」という考えはあったが、今では僕はそれを完全に否定している。
そんな状態で、僕は家族と伏見稲荷神社に出かけていった。 正月の3が日は過ぎたというのに、車は龍谷大学より遠くに止めなければならず、駅前などは人混みが激しい。 僕自身はいっていないが、いつか両親がここにきたとき、僕の就職を願って「達成のカギ」をこの神社から手に入れてきたのだが、それを返して、参拝を行う。
伏見稲荷はいかにも総本山といった風情の神社で行きゆく道すがらいくつもの小さな社がもうけられ、個人個人が寄付して建てたらしい鳥居が道に長いトンネルを造っている。 鳥居はともかく、土地いっぱいに無造作に建てられた社の方は、なんとなく高野山に雰囲気が似ているのではないだろうか。
神社の境内にはもちろん様々な屋台が並んでおり、近所の神社では見かけない種類の店もたくさんあった。たとえば、鮎の塩焼きや、七味唐辛子、土手焼きなどはその最たるものである。 エリーも連れていた関係か、両親がさっさか歩いて行ってしまうので、つい食べそびれてしまったが、やはり鮎の塩焼きくらいは試してみてもよかったかもしれない。
さて今夜は「のだめカンタービレ」のヨーロッパスペシャルでも見るかと、夕方のんびりしていたら、後輩から電話で難波まで呼び出された。 というのも、2日に参加できなかった二人と今夜飲みに行くとかで、僕も一緒にどうか、という話だった。 飲みに行くと、高い確率で帰れないので正直つらいと思ったがせっかくの機会だから参加させてもらう。
やっぱり乱れないかどうか心配だったが、体調が悪かったおかげもあってか(なにせ、焼肉屋に入る時に突然鼻血が出たものである)酒を飲むこともなかった。
その後、夜にボウリングに行った。1Gはなかなか良い調子だったが、2Gめはそれが嘘のようにボロボロだ。のちに指摘されて気がついたのだが、ボールが重すぎるのではないかということで、軽いものに変えてみると、調子が戻ったものである。 確かにすっぽ抜けるような感覚で投げてしまうこともしばしばで、コンスタントにいい記録を出すには握力の強化が必要なのだろう。
先月にプレイした「逆転裁判2」。僕はすっかりその世界にハマってしまい、絶対に他のシリーズもプレイしてやろうというつもりになった。 で、年始にプレイしたのが「逆転裁判3」である。「3」は「2」よりたくさんの前作ネタが仕込まれており、すでにプレイしている身としてはニヤリだが、「3」から始めた人は分からないことが多すぎて困るのではないだろうか。
始め検察側から推測される事件、そこからなるほど君がつきつける不可解な点、それを合わせて真相が明らかになるという魅力的な基本スタイルはそのままだ。
ただ、「2」をプレイしていた時はさほど気にならなかったが、ちょっと真相が似たり寄ったりなところが多いな、と思う。 たとえばニセモノネタである。検察側は、被告人を犯人とする証拠としてよく、現場写真を持ち出してくるのであるが、これはかぶり物や衣装を着けている場合が多く、「ここに写っているのは被告人ではない」という流れはもはや定番と言ってよいくらいよく出る。 また、証言でも「自分は○○が××しているのを見た」というところも「実は○○は被告人ではなかった(とは言い切れない)」という結論に持っていく。
まあ、証言や証拠から矛盾をみつけて、状況を逆転させるというコンセプト上、こういったネタになりやすいのは仕方がないが、もう少し捻れないものだろうか。
しかし、「1」から連綿と受け継がれるストーリーと各事件に登場するキャラクターの素晴らしさは相変わらずだ。今回の「3」の場合は、ライバルの御剣検事をなるほど君の代行弁護士として法廷に立たせるイベントがあり、事前にこの情報を持っていた僕はこれが楽しみで「3」を手に入れたようなものだった。
それに、「3」では真犯人を追いつめるあと一歩のところまで緊迫した状況になると証言と尋問のBGMが微妙に緊迫感の加わったバージョンに変わるのがいい。前から思っていたが、逆転裁判シリーズはBGMが結構素敵だ。「3」の怪人のテーマとか探偵のテーマとか結構秀作だと思う。
まだ熱が冷めていないので、まだ何周かは楽しめそうである。 残るは「1」(もしくは「蘇る逆転裁判」)だが、これの見どころは生前の綾里千尋女史の事件と、御剣検事を弁護する事件である。
大学時代の仲間と新年会だった。 毎年二度、お盆と正月に集まることになっているのだが、前回、お盆に集まった時は恐ろしい目に会った。 一次会まではただの結構盛り上がった飲み会だった。ただし、2次会でカラオケになだれ込んでからが大変だった。二人ほど脱ぎだすわ、そのまま個室を飛び出そうとするわ、暴れてテレビを壊しかけるわ、それ以上に公共の場では語れない行為まで飛び出した。 確かその前もとんでもないことになっていた記憶が……。
今回は率先して乱れていたメンバーが都合により欠席していたので、心配していたほど乱れなかったのが幸いである。
思えば、大学時代に考えていたことが会社に入ってからガラリと変わっている気がする。夢は変わっていない。ただ、目指すスタイルが変わった気がする。
大学時代も周りに「すごいな」と思える人がいたが、社会人になった今もそういう存在の人たちがいる。ただし、大学時代の人たちとは全く違ったタイプの人たちだった。 おそらく、目指すスタイルが変わったというのは、その周りの人たちの影響なのだろう。
初夢は見なかった。
ここ一週間は休みだが、7日からは仕事が待っている。 正直、今年も見通しは暗い。
去年は悪いところばかりが表に出て、少しもいいところを見せられなかったのが悔しい。 ひょっとしたら本当に営業に向いていないのかもしれない。能力的にこの会社ではやっていけないのかもしれない。 僕もそう思う。だからこそ、営業ではなくSEを志望していたのだ。
そこは、僕を営業に選んだ人事が悪いとして、見通しの暗いこの一年にどう立ち向かうのか。 弱点は急に克服できるものではない。今年も怒られ通しの一年になるだろう。ただ、去年のように、悪いばかりの一年にはできない。 去年は見せられなかったいいところを、今年は見せたい。ただの役立たずという看板だけは御免だ。
……しかし、僕の“いいところ”って何だろう?
コメント:
すみません。日記をところどころさぼったりした関係で、12月3日分からアップロードしておらず、やっと追いついた今日、一気にアップロードさせていただきました。
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