なか杉こうの日記
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2005年07月30日(土) 花火

きのうは夜
郵便局なんかに行ったら
ちょうど花火大会で
駅から群集といっしょになった。
みな、若いひとである。
腕をくんであるいは
ともだちどうし
浴衣の裾を
わざとのように
手でぱたぱた
はたいている女の子もいる
だらしない浴衣の着方を
知らないのか
知っていてもわざと適当に着ているのか
びっくりするような子もいる
そんなのが
冷たい風の吹きすぎる
車を通行止めにした
ギンザ通りを
海岸にむかって
どうどうと
どうどうと
流れていく
どちらかというと
静かな晩である
人もさざめいているのだが
声は夜空に吸い込まれてしまう
わたしの子供の頃は
家族で行ったのを覚えているが
みな若い子
それも十代後半か
二十代前半の子ばかりのようである
家に帰って夕食を取っていたら
ぱあん、ぱあんといくつも音がする
やがてばんばんばんと連続してきたから
たまらず二階のベランダに行って眺めたが
とお向かいのツーバイフォー住宅の屋根の向こうに
煙がいくつも上がっているのが見えるのみである
海は、ここからは遠いのである
それっきり、静まった。
だもんでわたしは
父と静かに夕食を済ませた。


2005年07月26日(火) 思い出とは。

考えてみれば
わたしもいもうとも
ずいぶんとかわいがられて育った。
親はそりゃふつうの親と同じく
きびしいときにはきびしかったし
うちは別に豊かでもなかった。
しかし、いとこがたくさんいたし、
父母の知り合いも
近所のおばさんたちも
ともかく
○○ちゃん、○○ちゃんと言って
わたしたちきょうだいをかわいがってくれた。
そんな人々がひとりふたりと亡くなり
あとに残るのは
思い出だけである。
いい思い出ばかりなので
ずいぶんとあたしたちは
愛情を注がれていたのだと気づいた。
そんな人々の顔が目に浮かぶ
つい最近もそんな一人が亡くなったが
それはうちの親とはいろいろ確執があった人なので
病に臥したときも
会いに行く気になれなかった
それにかわいがってもらったばかりの思い出ではなかったし
しかしそれでも
残るのはほんわかした思い出のみである
人は亡くなっても
周囲の人々の中に
思い出として永遠に残るのである
それが、人の中で
芽を出し
育ち
だから人は
不滅なのである
思い出・・・
それはひとすじの
遺伝子みたいなものかもしれない。


2005年07月24日(日) しばし休止中、かな。

ここのところ、何か書きたいという意欲が起こらなくって、なかなか。
だから書かずにいるのだけれど。当然かあるいは別の理由か、ブログの訪問者数は非常に少ない。もしこちらを読んでくださる方がいらっしゃったら、今、しばし休止です! わたくしめの「精神活動」は現在、仕事でemergency worksに関する翻訳をすること、電車の中で「ビジネス英語」を聞くこと、たらたらと本を読むこと、テレビを見ること、に限られております。

あとは日々のごたごたをひとつずつクリアするので精一杯! 

きのうは男はつらいよ第14作を見ながらこっくり居眠りをしてしまった。PC教室ではMicrosoftのMOS試験の準備のテキストをもらった。うれしくなる。しかし職場ではわたしはExcelをとくに使っていないのである。何のためにやるのか。ただ、面白いからである・・・。時間もないのに。


2005年07月12日(火) 高田渡さんのCD

高田渡さんのCDを電車の中で聞くと、なんかとても場違いな感じがする。
仕事に行く雰囲気じゃないのである。
聞けば聞くほどいいなあと思う。
ひまわり、の歌。ぼくの近くに丘があって、夏になるとひまわりたちがやってくる。知らないうちに丘を黄色に染めて、そして黒く、しんでゆく。
アリランじいさんの歌。ずん、としたリズムが心地よい。アリランじいさんが病に臥せった。貧乏くじはいらないかい!
あと、ひがな一日、釣りをする歌。釣りざおの先が夕暮れを引いてくる。
だんとつは、もちろん、「ブラザー軒」と「トンネルの唄」だ。
最後の「生活の柄」はおもしろい。
* * *

それにしても、わたしのやっているブログの訪問者の数が激減した。理由はよくわからない。やはりがっくり来るのだが、それでも、少数の人は見てくれるのだ、その人たちのために、というとおこがましいが、数人はいるのだから、続けよう、と思う。


2005年07月09日(土) 懐かしの洋食

きのうは初めて、ほんとに初めておいしいエビフライを食べた。
つまり、よく池波正太郎氏がエッセイに書くような定食。それを出す店に
ついに遭遇した。

池波氏のエッセイで思い出すのは、彼がまだ子供の頃、空き地で子供たちがそれぞれ、キャベツやソースやとんかつを持ち寄って野原で食べるとんかつの描写である。それがおいしそうで・・・。

よく雑誌に池波正太郎の通った店が紹介されているが、噂によるとそういう店の中には、全く初めての客が行くととても冷たいところもあるらしい。

しかし、わたしが行った東京のど真ん中のTという洋食屋は、おいしかった。ビジネス街の真ん中。入口にあまりあいそのよくないウエイターのような人がいて案内してくれる。入っている客は高齢者が多かった。昔懐かしの・・・という感じで来るのだろうか。あるいは若い女性。向こうが厨房で料理人はみなコックの白い帽子と白い服を着ている。丈の高いコックの帽子で、忙しそうに幾人も立ち働いている。そんな広くもないのに、四、五人はいるだろうか。

また、ウエイトレスがその辺にいるような太ったおばさんで。壁とか周囲はしっくりした木のつくりである。つまり、いかにも昭和初期の雰囲気。
メニューを見るとこれまたびっくり。安いのである。コールスローがたった五十円。あと、定食など六百円ぐらいか。

しかし、周囲の席に運ばれるのは、なんとおいしそうなオムライス!
それで最初コールスローを持ってきてもらったら、わたしはこんなおいしいコールスローは食べたことがないと思った。冷たくて、キャベツがやわらかいのにしゃくしゃくしていて。

 次に運ばれたエビフライのうまかったこと。わたしは残念ながらもともとシーフードはあまりだめなのである。だから沢山は食べられないが、そのエビフライは長くて大きくて、あつあつで、しゃりしゃりしている。中身はやわらかいし。

 つまり、素材を最大限生かした懐かしの洋食を出しているのだ。

 きっと池波正太郎さんが好きだというのも、こんな洋食なのだろうなと思った。
 もいちど行きたいな。日本橋の旧東急デパートの「コレド」のすぐ近くです。店に入れるのは八時半までみたいです。


2005年07月05日(火) 居眠りのひととき。

万年寝不足なので、これはいけない、長年にはきっと体に出る、と思いながら
なかなか直せない。今は帰り、東京駅から乗る東海道線での居眠りがほっとできる
ひとときである。通常の通勤ルートである横須賀線は、高架が多いせいか、車体が揺れるせいか、全く眠ることはできない。

東海道は、揺れない。かたかたかたと静かな音をさせて走る。そのせいか、東京駅を出て新橋に着くか着かないかぐらいに、すうっと寝ている。もっとも東京駅での停車時間が長いせいもある。

それでふっと目が醒めるとたいてい横浜あたり。もうすぐ乗り換えの駅だ、と思ってまたしばらくすっと寝入る。

乗り換えの駅に降り立つと頭がすっきりしている。「あー気持ちよかった」と思う。風が頬に冷たく心地よい。


2005年07月04日(月) ひさびさに百寮萓犬砲弔い

内田百寮萓犬両説が、なんという雑誌だったか、要するに幽霊とかそんなものに関する小説を載せた雑誌に特集で掲載されていた。活字からしておどろおどろしい感じの本である。

これは非常に間違っている。百寮萓犬両説はそんな安っぽい単純なものではないからである。幽霊とはもっとも程遠い、と思う。先生が聞いたら「やめてくれ」と言うであろう。

百寮萓犬両説の世界はわたしにはとても馴染みのあるものである。さみしい感じ。なつかしい感じ。なぜそんな幽界のような感じがするかというと、たぶんそれは人の無意識の世界が現れているからだろう。脈絡のなさ。なのになつかしい。いつかしら、いや、しょっちゅう夢のなかに現れる世界である。


2005年07月03日(日) Visit to Kyoto

ここんところ、京都に通っている。というのは大げさだが、まったくの用事で先月と今月と行った。またしばらくして、日帰りで行く。京都に行くと町の名前の読み方が全くわからない。四条、三条、二条と数が少なくなるほどに北なのですね。
そして加茂川沿いに北上し、下鴨の方に入るとこんもり山の中という感じ。山の斜面の木々のなかを霧が這っている。

タクシーの運転手がほんとに親切で、まるで観光タクシーのごとく、説明してくれる。「五条の橋ってなんだかわかりますか」「えーと義経と弁慶が出会った・・・」「そーです。あそこに像があるでしょう」とか、「ここが歌舞伎座。歌舞伎を始めたのは誰でしょう」「えーとなんとかのおくに」「はーい、そう出雲のおくにです」しかし、疲れた。ともかく京都というのは修学旅行とあと、三、四回ぐらいしか行ったことがない。

低い瓦屋根。どこに行っても荘厳な寺院。あちらが銀閣寺、こちらが京都御所、ほんとに日本史の教科書のようだ。観光で行ったならどんなにいいだろう。

帰り、新幹線のホームでぼうっとしている。頭のなかは続く用事のことばかり。こんな古都を訪問しているのに、いったいこれはなんだろう。

今日は「新日曜美術館」で源頼朝の肖像画のことをやっていた。なんだかとても興味が湧いてしまった。


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