なか杉こうの日記
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久しぶりに平日に休みを取った。といってもひと月ぶりか。 平日に休みを取るとものすごく得をしたような気がする。祝日が続いてもこんな気持ちにはならない。 肩からストレスというのかな、抑圧がすっと取れている。体も軽いし。こんなときはぱあっとどこかに行くとかしたいのだけれど、一応用事がどっさりあって銀行、郵便局、病院その他もろもろをあちこち行ったりして、おしまい。 道に目立つのは奥さま方である。銀行でも郵便局でも道端でも。 この町に遊びに来たのだろう、数人連れ立って「ねえー、車で来るとわからないけど、いろんな店があるのよねー。ホラ、この魚屋さん、たくさん買うといいのよ、安くて」などと言っている。私よりも年は上のようである。 あるいはやはり数人、連れ立って駅の階段を昇っている。これはわたしと同年代ぐらいだな、と思う。服装がいかにもこの年の婦人であり、わたしもこんな服を着るべきなのだな、と思う。 こういう人生ってどんなのだろう。おそらく子供も大学ぐらいの年だろうし、ご主人は定年にはまだちょっと。時間が膨大にあるのだろうな、と思った。カチカチ、カチカチ、時計の音を聞いて。掃除機をかけて。なーんという、暮らしなのだろう。それでも、老親の世話とか、病気とか、いろいろ苦労はあるのだろうが。 一概にいいなーとはいえないことはわかるがたまにこうして平日に休みを取って、一見、ヒマそうな奥様方を目にするにつけ、そうだ、こういう人生もアリだったのだ・・・と思ってしまう。
きのう本屋でたまたま積み重なっている新刊本を手に取ったのが 石原吉郎詩文集(講談社文芸文庫)だった。帯の「憎むことは 待つことだ きりきりと 音の するまで 待ちつくすことだ」という言葉に惹かれて 開いた、そして目に飛び込んできたのが「酒がのみたい夜」である。 あれ、どっかで聞いたな、このリズム・・・と思ったその歌は 高田渡の歌である。
酒がのみたい夜は 酒だけではない 未来へも罪障へも 口をつけたいのだ
やはり目で見るときと、歌となって聞こえてくるときと、詩の感触はだいぶ違うのだが、それでもこの詩が魅力あることは変わりない。この石原吉郎氏は、太平洋戦争敗戦後、シベリアの収容所で八年間過ごし極限状況を体験した。
まだ途中までしか読んでいないのだが、そして必ずしも意味がわかるわけでもないのだが、その力強いリズムがとても好きである。
おれが忘れて来た男は たとえば耳鳴りが好きだ 耳鳴りのなかの たとえば 小さな岬が好きだ (耳鳴りのうた)
詩の繰り返しのリズムは、たとえばこの方の文章「ある<共生>の経験から」にも現れているような気がする。これは強制労働中に暮らしを共にした鹿野という男のペシミズムの態度について描かれている。
石原氏がここで描く収容所の人々には顔がない。見えるのは彼らの影。手。足である。わずかな食物が入ったひとつの飯盒をいかに二人で食うか。その時、相手は性格もなにも見えない、ただひとつの影、である。(これはわたしのイメージである。)
鹿野という男も、感覚のみ感じられる、影のようである。
まだ途中までなのでうまく感想がかけないけれども、次の詩も好きである。
さびしいと いま いったろう ひげだらけの その土塀にぴったり おしつけたその背の その すぐうしろで さびしいて いま いったろう (さびしいと いま)
この文庫本の価格は1,400円と少々高いが、それだけ内容が得がたいものなのだろう。
帰り電車の中から窓の外を見たら 空が淡むらさきだった。こんな言葉あるかどうかわからない。 むらさきと赤と紺と混じりあったような混沌とした色。 絵の具を混ぜたらこんな色になるかと思った。 しばし見とれていた。 昼の水色から黒に次第に変わる、そのグラジュエーションが わかるような空はあるが、今日の空は全体が その、淡むらさきだった。 筆でぐじゃぐしゃぐじゃと描き回したような。
むかしアメリカの大学にいたころ、美術室で夜遅くまで絵を書いている 少女がいた。抜群に絵のうまい人で、名をアリスと言った。金髪の長い髪。 おじょうさん、と言った感じで不思議の国のアリスのように、かわいい。 信じられないくらい、かわいかった。 美術室で夜中まで絵を描いていると言っていた。いくらその頃とはいえ、よく恐くないなあと思ったものだ。 絵の模写をしていたときだったか、彼女に誰の模写をするの、と聞いたらなんだかわからない名前をいった。「あ、そう」と言ってあとからよく考えたらレオナルド・ダ・ビンチのことだった。発音が全然違うからわからなかったのである。きっと彼女は東洋人だからダビンチのことも知らないのかも、と思ったかもしれない。 大学のキャンパスでは夜中まで小さな噴水が水を吹き上げていた。七色に光る噴水。そのそばを通って寮に帰った。
2005年06月08日(水) |
Take a rest. |
駅でソフトクリームを食べてから 電車に乗り、すうっと寝入るのが 唯一のrestになってしまった。 電車を乗り換えて、自分の駅に着く列車に乗ると 揺れるので、もう眠れない。 ほんの40分ぐらいのこくりこくりの眠りである。 これが心地よい。それ以外は 世界が、ぐるぐると回転している。 やすみ、というのはないものか。
いろんなことがあって 生きている気がしない、というのは大げさだが 人生がいまのところ うわすべりをして その車輪の上をすべりながら 歩こう、歩こうとしている。 疲れた、と思うが 横になる場所がない 寝た気がしない。 だめだ、これでは、と思うが ちょうどビジネスで旅行をしているときの気分と言っていいかも もっともここ二三年、軽くはあるが この気分がずうっと続いていたと言っていい いまはせめて詩を綴っている時が トリップできるときかな あとはもう、だめである。
ずいぶん疲れて京都から帰ってきた。 京都の人の言葉はほんとうにやわらかいので じぶんは決してじぶんの言葉をふだんきついとは 思っていないのだが、あの地へ行くと ずいぶん角が立っているように聞こえて しょうがなかった。 朝、人々が自転車を颯爽とこいで現れる。風を切って。 これはうちの近所と違うところだ。
とんでもない理由で(というかある程度予測はできたかもしれない) 京都に出かけることになった。明日の夜。 仕事のあと。どうなるのかなあ。人生はいろんなことがあります。
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