なか杉こうの日記
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2005年08月31日(水) ひとこと。

ここんところ、体がおもくてしょうがない、というのは
情けない話だ。朝、一時間ちょっとで電車を降り、地下道をてくてく十五分ばかり歩いて職場に行くが、そのときの階段ののぼりが重くてしょうがない・・・。
疲れが抜けないのだな。
なんだか、面白くない話ですね。


2005年08月30日(火) 大人の旅倶楽部(だったかな)

大人の休日倶楽部だったか、大人の旅倶楽部だったか、名前は忘れたが、今JRで吉永小百合さんがポスターに出ている、あの宣伝。ポスターはしょっちゅう見かけたが、今日テレビのコマーシャルを見た。

いやあ、いいね。スポンサーの意図にはまったと言われればそれまでだけれど、雨の中を吉永さんが一人旅をしている。茶室を眺めてそこに和服の男性が座っていたかと思うと、すうっと消える。吉永さんは湖のほとりを傘をさして歩いている。夜は落ち着いた宿のベッドに体を投げ出して本を読んでいる。きっとあの、消えた男性は昔このあたりに住んでいた文豪だったのだね。

わたしぐらいの女性向きなのである。だからとてもしっとりとくる。こんな風な旅をしてみたいと思うのでまさにJRの意図にはまったわけだ。

考えてみればわたしのすぐ下の年齢層はバブルのまっただなかに二十代を過ごして三十になってもマンションを買ったり独身キャリアを通したり、ゴルフを楽しんだりと、まあ、わたしのイメージだから違うかもしれないが、ともかく忙しかった。

しかしわたしの年代はバブルをフルに楽しめなかったというか、楽しむにはちょっと将来のことがとおく頭をもたげてたという具合。

きっとわたしのすぐ下の年代は、○○小町なんていってJRの、忙しくおトクに仲間と旅するプログラム向きなのだろう、わたしぐらいだとそれは疲れてしまって、しかし連れ合いと年金でも使ってのんびり、というにはまだ遠く、たとえその年齢に達してもそんな気にはなれない。

ひとりでなにか昔読んだ本のストーリーをもいちどたどってゆっくり、しっとりした旅をしてみたい・・・なんて思うのではないかな。


2005年08月29日(月) 今日このごろ

<最近、愚痴っぽくなっています。>

あんたはだめね、といわれるのと
うん、こんなとこあるから
きっと大丈夫といわれるのでは
自分に対する自信が違うから
できないものでもできてしまう
ってなことがあるに違いない
期待されると
十倍も力が出るのだ

今考えているのは
どうも職場がだいぶ自分にあっていないということだ
はたから見たら
この、不況時に
先行きわからないなかに
ぜいたくだよ
と言われかねないが
我慢できる人は、いいのだ
なんとかいいこともあり
いやなこともありして
やっていく人はいいのだ
あまりに、非人間的な感じがして
たまの休みを取ると
肩こりから始まって
圧迫感が全然ない
この暮らしをあと十数年続けていたら
人間性が抑圧されて
おおげさではあるが
一生棒に振るような気がする
第一、体がもたないよ。


2005年08月27日(土) 人を切る・英語の達人(?)・くだくだ考える

むかし私が初めて会社勤めをした頃、先輩の女性が新しいイヤリングをしてきた。得意になって同輩の女性に話している。「いいわね、それ」と相手は言っている。私もおずおずと「いいですね」と言った。わたしはたぶんイヤリングなんて関心もなかったのだが、本人がいいと思っているのだし、高価なものらしかったからそう言ったのかもしれない。よく覚えていないが。

そしたら、しばらくしてその女性はイヤリングをはずして「あげるわ、これ」とわたしによこした。「いいです、いいです」と言ったのに無理やりくれてよこした。つっかえすこともできずにそのまま礼を言ってもらって引き取らざるを得なかった・・・。どうみてもわたしには似合わない、棒のような青い玉のついたイヤリング。

こんなことがよくある。
あたしが「いい」というと、相手が不快に思うこと。

先日も、部下の女性が髪をカットしてきて、わたしはエレベーターの中で「いいよー、それ」とつくづく眺めながら、本心から言った。言ったあとでまずったと思った。きっと彼女は不快に思っただろう・・・。

次の日は休日だったが、月曜出てきた彼女はヘアスタイルを変えてきた。しらんかおでしゃあしゃあといる。「またか」と思った。

わたしがほめると汚いものでもついたような気がするのだろうか、とよく思う。それともあまりに相手に近づきすぎたような気がして相手は不快に思うのだろうか、よくわからない。

女性は細かなことで、相手を「切る」。数年前の女性の部下のはなし。彼女はいつもお茶碗を洗ってくれるのだが、ときおりわたしは自分の茶碗にほんの少し、口紅のあとがついてしまうのが気になってはいた。あるとき、彼女がメークはしているのに、口紅だけしてこない日があった。気味悪いことこのうえない。病気の人のようにも思えた。そのときも、わたしは口紅の少しついた茶碗を洗わねばならぬことに対する、彼女のあてつけだと思ったのである。

女性に、いつも何度も「切られる」思いがする。刃の細い包丁ですらりと女性は人を切る。それはほんの一瞬のあいだで目立たないくらいだ。

わたしは無骨でこのように人を切ることができない。しかし、切ってはみたいといつも思っている・・・。

相変わらず昔から人との距離が取れずにいます。

* *  *


いま、宮本常一の本を読んでいる。一週間に一冊は何か本を読むようにしたいなと思っているが、電車に乗れば眠くなるし、ビジネス英語のテープも聞かなくてはならないし、その二本立てをこなすのがようよう。
できれば洋書も読んでいきたいとおもうがとてもそちらのほうまで手が回らない。
あと、英文をなんとか正確に書きたいと思って通信教育を始めることにした。自分で言うのもなんであるが、職務上の英語のレターを書くのに困ることはない。しかし普通の仕事の専門分野の英文を作ろうとすると、いつも前置詞や冠詞を適当にしている。
今の仕事は監督職(いちおう)なので、また部下が英語以外は全くできないしやろうともしないぼんくら(悪いけど)なので自分が部下でもできる仕事をやるはめになっている。悔しくてしょうがない。
これじゃあ、あたし、通訳職で今の職場にいるのに、力が落ちるばかりだと思い、奮起してやることにした。
ちきしょー、人になんか負けるものか、という負けず嫌いの気持ちだけは誰よりも強い割には、やるかというと、のらりくらりなのである。
しかし日常にはやることが山積していて、親の介護に家のもろもろのこともあるし。しかし、負けるものか! 英文の翻訳なら達人になってみせる。というのがあるんです。ははは・・・。

* * *

あたしはときどき
あたしを非常に憎く思う人がいたらどんなだろうと
余計な想像をすることがある
もし嫉妬の念ひじょうに強く
このやろう、こいつ、と憎しみの目を持って
眺められていたら・・・
しかしわたしはおそらくこんなことはないだろう
わたしには憎む種がないらしいのである
それでいて気味が悪いから
人にうっくつさせるのである
と、ここまでかいて
うんざりしたので、やめる。
あたしはときどき
じぶんと同じように
人を非難する気持ちが
他人にあるのを
自分は信じていない気がする
人はこんなには思うことはないだろう、と。
しかし
人はわたしほど
自らの気持ちを消したり
押さえつけることはないらしい
すること
やりたいことも
宇宙の果てまで跳んでいる
ここに書くのも
恥ずかしいことすら
他人は楽に考える、らしい
こう、ぐたぐた考えている
これは、おそらく心理学の分野なのだと思う


2005年08月25日(木) 宮本常一著「家郷の訓」

今は岩波文庫の宮本常一著「家郷の訓」を読んでいる。なんか固そうであるが
これもなかなか面白い。宮本常一って数年前にブームになりましたよね、今もそうかな。人類学者なのかな、この本を読むとじぶんの傲慢さがわかる。
エゴイスティックというか。現代人みなそんなところがあると思うが。

人類学者の書く本ってその人の観方で社会なり地域なりを眺めるからとても面白い。たとえば、マーガレット・ミードとか。ゲド戦記を書いたアシュラ・K・グウィンも父親がたしか人類学者でいろんな土地に小さい頃連れて行ってもらったということを昔読んだ。

つまり人間の可能性である。それはファンタジーに通じるものである。この「家郷の訓」に描かれる、農民であった宮本氏の父母の教えは、まるでゲドが魔法を学んでいるようだ。土は恐ろしいものだ、土から学べ、と。

えっと、末尾になりましたが、この日記のみご覧頂いている方がありましたら、下記のブログにも詩やら散文やら書いておりますのでどうぞお立ちよりください。

はてさて何を
こう・ストーリーズ


2005年08月24日(水) 雨風・いやな、日

雨風が強くなると
ちょっと
いいこともある
と言って
口笛を吹いている
世の不条理
なんてむずかしいことでも
ないだろう
ただ、口笛を吹けば
存在が明らかになる
雨がざあざあ
心にざあざあ
深い水たまりに
両手を
バシャンと突っ込めば
壊せるかな、
わたしが

***


あたしはときどき
どうしてもくやしいときがある
どうあったって
石のように
くやしいときがある

そんなとき
じっとしている
涙が出てくる
こんなんではだめだ、と思う
仕返しをしてやろう、と思う

だけど
たぶん
したことはない。
今に見ろ、
見返してやる、と思う

しかしながら
見返す力も
器量も
財力もないので

仕事などやめてやる、と思う
やめてもどうなるわけではない
なにかに表現できるかと思う
人生はなぜ
楽しくらくらくそうに生きる人と
うっくつする人がいる、
これは差別ではないかと
ひとり、考える


2005年08月21日(日) 人生相談の回答* 武家の女性」山川菊栄

人生相談の欄で、昔嫌で仕方がなかった上司のことがどうしても忘れられないという質問者に対して、海野純子先生(精神科の医師)が、気持ちというのは、すぐ昇華させないとあとあとまで残ります、というようなことを答えていた。いわゆる、PTSDと同じなのだろう。しかし注目すべきは、海野先生はその場でその気持ちをあらわにしなさいとか、嫌だといいなさいとか、そういうことは言っていないのである。
つまり、なにか掃除をして昇華させるとか、なにかそんな風なことを言っていた。とすれば、私にとってもひとつの解決策となるかもしれない、と思った。
世の中にはぱっと昇華させるのがうまい人もいるし、あとあとまで残るというか、残さざるを得ない人もいるのだ。ぱっと昇華させるのが上手い人はきっと人生を楽しく生きられるのだろう・・・と思わざるを得ない。


岩波文庫の「武家の女性」山川菊栄を読んだ。とても面白かった。幕末の水戸藩の天狗党と諸政党との残酷な争いの中で、男の世界とは別世界といってもいいくらいのほとんど世情についてなにも知らされなかったなかでの女性たちの暮らし。
そこに出てくる、娘、妻、嫁、姑、叔母たちの性格は、今私たちが育った中にもいた人々である。「尼将軍」というヒステリーのような姑、温厚で敵を探しにきた武士たちの言うがままに、おっとりと襖や障子を開けて回った女性。突然捉えられ、子供と共に刑死した人。
「ホラ、あそこのお嫁さんはね、あそこの姑さんはね、あんな風だから・・・」とよく私たちも親戚のおばさんが母に話したりするのを聞くが、そんな感じ。

民俗学の系列の本が好きである。しかしあまり詳しかったりすると最後まで読めないことが多い。少しずつ、読んでみようかな。


2005年08月20日(土) きょうの教訓

先ほどテレビで伊達公子さんが、昔のことを振り返って、「レポーターたちにしやなことを言われるのなら、負けて言われるより勝って言われようと思った」と言っていた。
そしたらそばの人に「気が強いですねー」と言われていたが、わたしもそうしようと思う。どのみち嫌なことを人から言われるのなら自信を持った状態で言われようと・・・。
はい、これが今日の教訓でした。


2005年08月11日(木) 今読んでいる本

今読んでいるのは岩波文庫の「武家の女性」という、江戸末期の水戸藩の
下級武士の家の女性の暮らしを描いた本である。とても面白い。ただちょっと
家系の説明になるとわからなくなるが。
その前に読んだのが新潮文庫「カイン」。中島義道著。自分の「弱さ」に悩むきみへ。と表紙に書いてある。心当たりがいくつもある。自分にとってとても力をもらえる本だと思った。カインはアベルとカインのカインである。「主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、カインにしるしを付けられた」という旧約聖書の言葉の持つ意味は大きい。自分はカインである。そのようにしるしを付けられた。それで生きていかなければならない・・・。


2005年08月09日(火) 思い至ったこと。

抵抗すること
攻撃すること
湧き上がる感情に
忠実になること。
これでも忠実でなかったのだ
すなわちこれが
生きるということである
すこしでも
人に否定的な感情が起こると
それは認めるものの
でも、そんなはずはない、と
打ち消す。
打ち消さずに任せると
自分が広がり
否定的感情はやがて消滅する
そんなことに
気がついた


2005年08月07日(日) 本日したこと。

午後、恒例のクイック・マッサージに行く。肩と背中が凝ってもうしようがないのである。指圧を中心にやってくれる人がいて、いつもその人にお願いしている。治ることはないけれど、やってもらっているとすうっとする。「悪気」が散らばる感じ。

今日は花火大会でまたまた浴衣を着た若い子がいっぱい。男の子も着ている。いいことなのだとは思う。

帰りafternoon teaでサンドイッチと紅茶。紅茶はここのはほんとうにおいしい。飲むとさあっと頭がすっきりする。

その後、同じビルの本屋へ。昨日コンビニでたまたま買った「ダカーポ」という雑誌が文庫本の特集で面白そうなのがあった。それにNHKの「知るを楽しむ」という番組のテキストを買う。

月曜も「男はつらいよ」。その第二作なのでビデオにとらなくては、と思う。考えてみれば自分は48作全部持っているのだから、なぜ取るのかよくわからないが、少なくとも、最後の解説はとてもいい。映画のさりげないたくみさを紹介してくれる。


2005年08月06日(土) ドック

今日は暑い最中、人間ドックに行った。都会の、海のそぱ。
ビルから出たら海に続く川を灰色の船がゆっくり、ゆっくり
陽を受けて走っていた。
公園には日陰というものがほとんどない。人気もない。ぽつぽつと上半身
はだかの真っ黒の若い男性がベンチに座っている。マラソンでもしていたのかな。
暑いなんてものではない。外に出るや否や脳みそがぶつぶつ沸騰をし始め、そのままいたらピシャンと破裂しそうだと思った。目がくらくらする。
だもので、すぐにビルの中に戻った。
ドックに一人で行ったのは初めてである。いつも職場の友人と一緒だった。
昼食付き。松花堂弁当のとうがんの煮物かな、あれがものすごくおいしかった・・・。
人と行ってあれこれしゃべりながらの人間ドックも疲れるが、一人もあたりを気にしたりするのでやはり疲れる。今のじぶんは一人のことが多いので、もしかしてドックぐらい、人と行っても良かったかな、と思った。


2005年08月02日(火) 【詩】花火

ぼぼん、ぼぼんと音がした後は
下駄の足しげく
とおりを歩いていく
花火がおわり
黒々とした山の向こうに
白く煙があがっている
うすら明るい
立て続けの
ぼぼん、ぼぼぼぼぼぼぉん。
からころと下駄の音
家に帰る
ちょうど十時
きのうは近くの海岸で
今夜は
岬をぐるり回った
海辺で
花火が鳴る
とおい、花火
近くの圧倒的な花火
さびしい 花火
ひとを恋する 花火
男の子も
女の子も
遠い目で
灯を見つめている
なにか追い求めているような
まだ
先のことだけど
胸がうずくような
あぁ追いかけなくちゃ
ひと筋の光る糸


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