ひよ子の日記
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2004年05月31日(月) 五線譜

空を見上げる。

電線に輝く月が重なっている。

空を横切る五本の電線の上で月は音楽を奏でる。

時が進むにつれ、一つまた一つと旋律を刻んでいき
太陽が遠くに沈んだ後に聞こえる懐かしいメロディ。

月が残していく旋律は、青い世界をこんなにも懐かしく切なくする。



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現在図書館で借りている本。
・猫殺しマギー←読了
・黒後家蜘蛛の会4、5←読書中
・経済ってそういうことだったのか会議←読書中
・いしいひさいちの経済概論I,II,III


2004年05月30日(日) グレープフルーツジュース


 ある金額のドルを選びなさい。
 そして想像しなさい。
 aその金額で買えるすべての物のことを。

 想像しなさい。
 bその金額で買えないすべての物のことを。
 
 一枚の紙にそれを書き出しなさい。

 Select an amount of dollar.
 Imagine all the things that you can buy with that amount.[a]

 Imagine all the things that you cannot buy with that  amount.[b]



グレープフルーツ・ジュース オノヨーコ(著) 講談社文庫 より引用。


2004年05月29日(土) 予感

今は特に予定はないけれど、これから夏に向けて予想される予定が徐々に形になり始めています。恐い‥予定は大歓迎だけど、予算がない!今からどうお金を捻出するかについて日々頭を悩ませていることはなく、たまに「どうしようかなー」と考える程度です。遊びの予定の合間に仕事が入ってくれればいいけれど、かぶったりしたら涙チョチョ切れます。゜゜(>ヘ<)゜ ゜。チョチョぎれます

最近速読日記をつけていませんが、なぜかというと答えは一つです。さぼっているからです。1か月ほど間が空いてしまいました。やめたわけではないので、また始めたら速読日記も付けはじめようと思います。

今MTVでMTV Video Music Awards In Japan 2004が放送されていますね。毎年、最初だけ観てます。(段取りが悪いなあって思うのは私だけかな。)今中島美嘉がbreak-throughを受賞したところで雰囲気に耐えられず、いや〜んと消してしまいました。中島美嘉の着物姿が可愛かったです。プレゼンターのオズボーンズ(w/o Ozzy)は恥ずかしそうでした。プレゼンターとしてのコメントが英語で分からないから、みんなリアクションできずにいましたよね。

私も字幕がなかったら分からなかったはず(゜ー゜;A

アメリカのVMAも毎年どんどんしらけてきているような気がするんですが、みんなはどう思っているのかな?分からないけど、2000年過ぎてからはあまり観なくなってしまいましたo( _ _ )o しょんぼり 結構毎年楽しみにしているんですけれど。また面白くなることを願って。日本のVMAもまだ3回目?4回目?なので、これからどんどん面白くなったらいいなぁと思いました。

偉そうに‥でも楽しみだからこそですm(._.)m


2004年05月28日(金) おとうさんがいっぱい

昨日『約束された場所で』を読み終えて、『象と耳鳴り』を読もうと思ったのですが、『カンガルー日和』を手にとっていました。村上春樹の短編は初めての体験です。途中まで読んで、なつかしい村上春樹の作品の雰囲気を楽しみました。でも私はやっぱり長編の方が好きだなぁ。それで『カンガルー日和』の挿絵は佐々木マキなんですが、挿絵を観ていたらずっと昔の記憶がムクムクと動き始めたのに気が付きました。なんだろうこの感じ。私は挿絵をぼんやりと眺めながら、忘れられた記憶置き場を様々な記憶の合間を縫って進みました。



『壁の中におとうさんが入ってしまう。おとうさんは自分で入ったのか、記憶が曖昧だが少年は壁の中のお父さんと話している。ある日おとうさんは言う。「もう出られない」それから時間が迫っているというようなことも。お父さんは壁の中に消えてしまった。もう声は聞こえない。』

これ、小学生のころに読んだ本だ。ということに気が付き、さらに記憶置き場をさまようとなんとかタイトルを思い出すことが出来ました。あの頃この本を読んだ時に受けた恐怖は忘れられません。絵が、少ない線で書かれた挿絵がまた無機質な感じがして、淡々とした恐怖を与えていたように記憶していました。


そしてネットでしらべてみたら、挿絵は佐々木マキでした。


佐々木マキの挿絵が引き金になって、今まで記憶置き場に埋もれていた記憶が蘇ったんですね。もちろん佐々木マキが挿絵をしていたなんて、覚えていませんでした。それでもあの話を読みながら挿絵を観た時の記憶が、無意識に『カンガルー日和』の挿絵に結び付いたなんて、不思議な感覚でした。


2004年05月27日(木) 読了&読始--恩田陸&村上春樹などなど

読む気がしなくて先延ばしにしていた恩田陸著の『ライオンハート』を読了。思っていたよりも甘い雰囲気はなくて、綺麗な物語だった。それからその間に、村上春樹のエッセイ(『使い道のない風景』『ねじまき猫の見つけ方』)を借りて読みました。村上春樹の作品は、中学1年生の頃に初めて出会ってから、ずっと読み続けています。(長編しか読んだことがなかったので、エッセイも読んでみようと思いました。)

今借りているのは

『約束された場所で』『カンガルー日和』いずれも村上春樹著。それから長野まゆみ(色々な方のブログで見かけて読んでみようと思いました。図書館にたくさんあったので、とりあえずタイトルに猫がついているのを選んでみた。)の『猫道楽』。そしてもう一度読もうと思ったのはいいけれど、家のどこにあるか探せなかったという森博嗣の『そして二人だけになった』。それからお気に入りに登録しているブログで紹介されていた本『The Alchemist』。

今読んでいるのは『約束された場所で』で、これは村上春樹の『アンダーグラウンド』という著書の続編。ある宗教団体による地下鉄毒ガステロについて、何らかの関わりを持っている方へのインタビュー。『アンダーグラウンド』では被害者側、今読んでいる『約束された場所で』では、宗教団体側のインタビューを載せている。あの当時ひたすらテレビで放映されていた視点とは違った切り口で、話が聞けるので良いと思いました。私は前にも何度も書いていますが、マスコミの力は恐ろしいと思います。私の記憶では事件前から団体は何度もテレビに出演&紹介されていましたし。放送されたことばかり観て信じていたから、分からなかったことがたくさんあると思います。事件とは関係ないですが、放送されない事実もたくさんあるんだと念頭におくことは大事だなぁと思いました。

恩田陸の『象と耳鳴り』は6月頭には返却なので、先に読まねば。『約束された場所で』がもうあと少々で読了なので、次ぎに読みはじめよう。それから、予約していたアイザック・アシモフ『黒後家蜘蛛の会 4と5』に『猫殺しマギー』が用意できたらしい。『自然界における左と右』は途中まで(たしか人間のからだ)読んで、返しました。これは分からないところを考えながら読むので時間がかかり、他の本が読めないからひとまず返してしまったのです。またいつか借りよう。(こういう本は自分のものに出来たらいいのになぁ!)

この間『かってに改蔵』という漫画を久しぶりに読んでいたら、『声に出さないと漫画が読めないやつ』という文が出てきました。でも私はそんな人に出会ったことがなくて、あまり共感できなかったんですけど、先日図書館で本を読んでいた時に隣に座った男の子が『ちびまる子ちゃん』を声に出して読みはじめたのです。(面白かった)あぁ、やっぱりいるんだなぁと思いました、それだけです。

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それと『10日間で男を上手にフル方法』(How to lose a guy in ten days.)をママが借りてきたので観ました。ケイト・ハドソンが可愛かったです。『200本のたばこ』で観た時よりもずっと可愛く感じました。お母さんのゴールディ・ホーンはうちのママに似ています。(あ、逆か)だからといって娘のケイトと私は似ても似つかん。

今日の記事はほとんどメモの羅列でした。


2004年05月26日(水) 無理矢理こじつけているような、そんな話--Gossip

作者自身による作品解説を本を読む前に見ることは、クイズで考えもせずに解答を見てしまうことに似ている気がして、あまり好きではない。もし本人による作品を解説読むなら、自分なりに色々考えた上で読みたいなぁ。これはどんな作品なのかと本人に紹介されてしまったら、読まずに『あ、そうなんだ』と思ってしまって、その先に自分の考えが広がらない気がする。(私の場合)

大好きな作品であるほど、裏話が聞きたくない。ドラマなんかでよく言われる、出演者同士のゴシップなんかはもってのほか。ある作品のゴシップ(しかも本人達は否定しているのに、周りが憶測で色々噂をしているだけで、無理矢理こじつけているような、そんな話)を偶然目にしてしまったことがあって、いまだに見たくなかった‥と思っている。少なくとも作品の上では出演者同士の素晴らしいケミストリーを感じたし、例えばゴシップが本当でも、知らなければそのまま作品を楽しめた気がする。知ってしまった今は、そうなのかなぁ‥とゴシップが脳裏にちらついたりして、少し悲しみすら覚えたり。

多分私はそれはそれ、これはこれで観れないんだろうなぁ。お芝居の世界が現実のゴシップや裏話を聞くことで崩されちゃうんだろう。崩されない程度の話だったらいいけど、私が高校生の頃流行っていたビバリーヒルズ高校白書なんかは、ゴシップの方がすごすぎて、そう言う目でしか観れなくなっていたから、すぐにつまらなくなって見なくなっちゃった。

ゴシップなんて信憑性に欠ける話だし、実際その人に会ってみないと分からないからとどんなに自分が思っていても、周りがそればかり取り上げて騒ぎ立てると、真実っぽく聞こえてくる。惑わされてしまうってことは、弱いのかもしれない、私。あるいは、興味ないだけかも。

あ!でも、昔はBlurとOasisがどうのこうのとか、エラスティカのボーカル(名前忘れた)とデーモンが破局の後どうのこうのとか(例が古すぎる)、UKシーンのファンだった友達に聞いたり、INROCK(雑誌)を買ったりして一応ついて行ってた気がする。一体何年前の話だ(; ̄ー ̄A


2004年05月24日(月) 快適なInternet Radioを探して

Live365 Internet RadioのソフトRadio365のフリートライアル版をダウンロードして、今聴きながら日記を書いています。(100時間無料)音がいいなぁ。iTuneでも十分に色々聴けるのだけど‥。
Radio365では
Enjoy 20,000 stations from 200 countries.
Search stations by artist, track or album.
Hear CD-quality audio on hundreds of available stations!
Click from any playlist track to the iTunes Music Store!

メンバーシップになってお金を払えば、広告もなく音楽が聴けるらしい。2年で87ドル60セント1年で47ドル40セント6か月で26ドル70セント3か月で14ドル85セント、毎月だと5ドル95セント。うーむ。お金を払って、聴くだろうかと考えると‥(゜ペ)?ただ世界のラジオ20,000局が聴けるのはちょっと魅力的。

色々調べて、また後ほど!


2004年05月23日(日) カマドウマ多発地域

今のあばら家に引っ越してくる前に住んでいたマンションでは、よくカマドウマが出現しました。実を言うとそれまでカマドウマにお会いしたことはなく、それはそれは幸せな日々でありました。その家ではなぜか私の部屋に限って、カマドウマファミリーが多く出現し、ファミリーに気に入られてしまった事実を真剣に悩んだものでした。カマドウマファミリーだけでなく、ダンゴムシ一家にまで好かれてしまった部屋は、そのうちキノコでも生えるんじゃないかというほど、じめじめしていたに違いありません。

(ただ後に考えてみると、そこまで私の部屋に集中して発生するのはおかしい。新築のマンションだったことを考慮すると、”カマドウマファミリー”に魅入られやすい欠陥を持つ、欠陥住宅だった可能性も捨てられません。さらに”カマドウマファミリー”に魅入られやすい欠陥を隠していたとは、悪徳業者だったか、もしくはカマドウマファミリーのシンパであった可能性も捨てきれません。)

(さらに後に考えてみると、私の部屋の壁には穴が二つ開いていましたので、ひとつの穴はカマドウマファミリー専用、もうひとつの穴はダンゴムシ一家専用出入口となっていた可能性もあったわけです。カマドウマファミリーが勘違いするのも無理はありません。

壁に穴が開いたのは、私が寝転がった状態で両足で、ほんのちょっと、すごく軽く、怒りに任せて壁を蹴りつけたせいなのですが、非力な私が軽く壁を叩き付けたくらいで破れる壁なんて、私が蹴破らなくてもいつかカマドウマファミリーに突破されていたに違いありません。)


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カマドウマ研究室

今回上部にアップしたカマドウマのシルエット(都合によりシルエットとさせて頂きましたことをお許し下さい。カマドウマファミリー御一行様、どうか根に持たないで下さい。)を書くにあたって、参考にさせて頂きましたサイト様です。カマドウマファミリーの危険な香りが漂うにもかかわらず、丁寧な解説にめんたまとびだしちゃうくらいのカマドウマファミリーのポートレートなどなどやみつきになってしまいそうな魅力で溢れています。


2004年05月22日(土) 紅茶を注文する方法


あなたは自分しか愛していないのではないですか。こういう相手じゃいやだなどと、自分で愛を拒んでいませんか。自分以外のものを愛しなさい。犬でもゴキブリでも、愛すれば友達になってくれます。



『紅茶を注文する方法』 文藝春秋 土屋賢二(著) より引用


私は高校生の頃、自分で自分のことを『自己完結型』だなぁと思っていました。いまでもその嫌いがあるとは思いますが、この文章を読んだ時に「あ、そうなんだ」と嘘みたいに力が抜けていくのを感じました。あの頃は必死に周囲を拒んでいたのかもしれない。(『愛する』観点から私の世界を見ると、ミジンコみたいに狭いんじゃないかな‥)

いやだなって思うと相手にそれが伝わって、ぎくしゃくすることがあると書きました。(対人にもいえる気がする)この文章と反対のことを言っているのかな。逆に愛すれば、好きに思えてくることもあるのかもしれません。(どう考えても思えないこともあるかもしれませんが)


2004年05月20日(木) ナマケモノに哲学を

たったいま、あなたがこのページをめくってから、7分後、ひとつの生物種が絶滅。本を読み終え、どこか別の場所へと移動しているかもしれない1時間後、8種の生物がこの地球から姿を消してしまう。

Think the Earth『一秒の世界』より引用

人間 vs. ゴキブリがテーマになった映画『Joe's apartment』のように、叩いても潰しても毒ガス攻撃をしても、決して死に絶えることのないゴキブリもいるかと思えば、こうしている今もどんどん絶滅していく生き物がいるんだなぁと思うと、それが実感できないだけに、不思議な感じです。

熱帯雨林の破壊が主な原因となって、1日に200種の生物が絶滅しつつあるという。その説が正しいとすると、地球はいま、6500万年前の恐竜大絶滅以来、最も激しい種の大量絶滅に直面していることになる。

今のスピードでは1000年ほどですべての生物種が絶滅する、とも書いてあるんですけどそれはやっぱり人類もふくめてなのかなぁ。ただ例えば生命がすべて滅びたとしても、地球の寿命が尽きない限りは、またいつか小さな生物が誕生して、ものすごい時を掛けて進化して、地球の環境も人類が絶滅したことで徐々に回復し、そこで再び人類が誕生するのかな。そしたら、人類はまた文明を作り、戦争をして、今と同じ時代が訪れるのかもしれない。そして、いつかまた滅びていくのかな。

もしかしたら、そうやってこれまでの宇宙のどこかの星でも、地球でも、同じようなことを繰り返してきたのかも知れないなぁって考えたら、その果てしなく大きな輪の中にいるわたしが、生きてる理由がなんとなく分かった気もしました。(ただしなんとなく)


以前ナマケモノの生態をテレビ番組で観ました。もう大分前の番組で『神々の詩(うた)』でした。そのころ友達と交換日記を付けていて(懐かしい)わたしはテレビで観たことを日記に書きました。それをそのまま書き写しますね。


1999年7月11日 9:00p.m. 再び

今ね”神々の詩”を見終えたところなんだけどね。むっちゃブルーになってる。今回はナマケモノでした。なんと申しますかね、私のまわりの時まで止まってしまったかの様な。そんな空気が流れてます。

約30年を木の上で過ごし、1日3〜4枚の葉を食べる。長い3本の爪。争うことを嫌い、1週間に1度だけ地上におりる。うんちをするためにたった数分。

どんな時でもな、無表情で空をじっと見てる。1日20時間はまどろみの中で過ごして。何を思っているのか空を見てる。何のために生きてるとか、考えるのは愚問というもの。でもあたしはナマケモノを見ていたらそう思わずにはいられませんでした。”何のために生まれたんだろう”この地球に生まれたすべてのものは何のために生まれたのか、考えずにはいられなかった。生まれてくるものにその存在使命はないけれど(というより、生まれたからには命を全うすることが使命?)生物の本能的な部分での使命じゃなくて、どちらかというと哲学的な部分で疑問を持った。ナマケモノに哲学を感じた。



1999年なので、6年前だから20歳の頃です。大きな輪の中にいる自分が生きている理由がなんとなくわかったと同時に、このナマケモノ哲学の(自分で納得する)答えへも辿り着けた様な気がしました。

ナマケモノって人間が勝手につけた名前だから、何もしないから『ナマケモノ』だっていうわけじゃないんですよね。何もしないのはなまけものだというのは人間の定義だから、何もしないで『ただ生きる』ことがナマケモノの『生きる』なわけですよね。(言ってることが意味不明だったらごめんなさい。)

大きな輪の中でもがいているわたしも、6年前哲学を感じたナマケモノも同じなんだなぁと。人生に深い意味があるように感じるけれど、毎日『生きる』こと以外には意味はないのかもしれない。悩みがあったり、嬉しいことがあったり、色々ある人生も、毎日の生活の単なるスパイスで。

いつか死んで、みんなも死んで、ナマケモノも死んで、また小さな生物が生まれてくる。大きな大きな輪がぐるぐる回って生きていて、わたしもナマケモノもそのなかの一部なんだなぁ。例えると、、
人間の体って、脳みそや心臓や肺やいろいろな機能が働いてちゃんと動いている。『大きな輪』が人間で、『わたしやナマケモノが生きる』ことがいろいろな機能が働いてるってことかな?

宇宙はきっとぐるぐるまわってるんだ。ぐるぐるのなかにわたしがいる。


2004年05月19日(水) 他人は自分を映す鏡

このブログでちょっと前(いつだったかはさっぱり覚えていません)に書いたことと似ているんだけれど、土屋賢二の『汝みずからを笑え』を読んでいたらギクッとすることが書いてあった。

"他人にはたいした価値がないということは、簡単に知られるが、冷静になってみれば、そういう自分もせいぜい他人と同程度の価値しかないと思えるはずである。もっと冷静になってみれば、そもそも個人の価値を測ることに意味があるとは思えないはずである。"

『汝みずからを笑え』 文藝春秋 土屋賢二(著) より引用

ユーモアが私のつぼをゲットする以上に、当たり前のことが上手に織り交ぜられていて、読んでいてハッとさせられることもしばしばです。(そういうものばかりではありませんが)


2004年05月16日(日) バックマスキング

土屋賢二の『人間は笑う葦である』を読み終えました。あぁ、面白かった。風呂で再び『新版自然界における‥』を読んでいると、バックマスキングという初耳の言葉が出てきました。バックマスキングとはレコードに録音されている音に隠れているメッセージのことで、逆まわしに再生した時にのみ聞こえてくるそうです。

80年代において、ファンダメンダリスト(根本主義者)たちの間では、このようなバックマスキングはサタンの仕業であり、ロックミュージックは悪魔のささやきであって、信仰の根本要素を危うくするものの一つだと激しい非難が巻き起こったそうだ。82年には下院議員が議会に対して『このレコードは背景にマスキングがしてあり、レコードを逆再生するとそのメッセージが聞き取れます』というラベルを貼る義務を主張したらしい。悪い噂だろうが話題になれば、その人の関連商品が売れてしまうことと同じで、そういう行為はそのレコードの売り上げを伸ばすだけの様な気もします。私はそれがサブリミナルメッセージとしての影響力を持つとは到底思えませんが、まじめに訴える人がいることもまた、事実なんですね。

ボウリング・フォー・コロンバインでも描かれていましたが、未だにマリリン・マンソン(ただの人間)を悪魔に仕立て上げ、殺人事件をマンソンのせいにする人々がいました。それは、そういう思想の持ち主なのかなぁと思いました。

それから5章では他に、音楽、詩、絵画、数字においての対称の話が書かれていました。音楽の対称も面白かったけれど、私は詩(回文など)についての対称が面白いなぁと思いました。数字については、理解するのが精いっぱいでした。

『オタワのノーマン・グリッジマンは回文的な素数について、ある一つの発見をした。回文的な素数(15451、15551etc.)をよく見ると、真ん中の桁の数字だけが一ちがいで他はすべて同じである様なペアが数多くある、というのである。例えば小さいほうからはじめて四七個の回文的な素数をとると、その中に十二組ものそのような素数の組が見つかる。それではこのような、まん中の桁の数字だけが一ちがいの素数の組み合わせも無限にあるのだろうか。グリッジマンは「ある」と考えるのだが、今のところこれを証明した人は誰もいない。』

これは数字の回文についてから一部引用したものですが、これをどう証明するのか、見当も付かず、ちんぷんかんぷん。

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○TalkBackwards.com
サイトへ
audioファイルをアップロードすると、逆回しで再生してくれるサイトだそうです。audioファイルがないのでまだ試していません。


2004年05月15日(土) 人間は笑う葦である

土屋賢二の著作「人間は笑う葦である」を読みはじめました。土屋賢二の本を読むのはこれが初めてで、今まではなんとなく読まずにいた作品。それが読んでみたら面白くて、読みながら一人でくすくす笑っています。その他にも同著の「汝みずからを笑え」「紅茶を注文する方法」の2冊を図書館で借りました。いずれも随筆で、そのユーモアのセンスが私のつぼをゲット。(ローカルネタ)恩田陸の蛇行する川のほとり3巻を読み終えて、思っていた雰囲気とは違った結末に驚きつつ楽しめました。それほど文字数もなくて読みやすく、展開が早いにも関わらず、少年少女たちの個性がぎゅっとつまっていて、心に響くのは話がしっかりしているからかなぁと思いました。他には「象と耳鳴り」を借りました。既に借りているライオンハートは、まだ読む気がしません。

しばらくは「自然界における‥」と「人間は笑う‥」を同時進行で行く予定。

気になってはいるけれど、なんとなく避けている作品が他にもたくさんあります。しかし、ほとんど思い出せません。「どこかで耳にしたり見かけた時に思い出し、その時ちょうど読みたいと思う」などの様々な要因が重なった時に、出会えるかな?

他にも今のところ読む気は全くないけれど、本屋でよく見かけるので、名前は知っているもので、勝手にイメージを作り上げている本があります。

例えば「チボー家の人々」シリーズ。

私の中ではサザエさんのようなものを想像しているのですが、おそらく違うでしょうね(笑)このような勝手な想像や先入観が、幸運な偶然を逃しているのかもしれません。


2004年05月14日(金) めぐりあう時間たち

レンタルビデオ3本のうち1本、めぐりあう時間たちを観ました。どよーん。そこはかとなく、どんよりしました。(変な日本語)ただ、面白かったとか悲しかったとかそういう感想以外にも、思うことがたくさんあった映画なので、また後日映画を思い返して考えてみたい。

今はどんよりしすぎて、何がどよーんなのか考えられそうにありません。ニコール・キッドマンが出ていると分かっていたのに、映画を観始めてからしばらくどれがニコール・キッドマンだか分からなかった事だけは、面白かったです。それから私が好きなクレア・デーンズも出演していて、おぉ、幸福な偶然。(か?)
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めぐりあう時間たちのサイト



*『新版 自然界における左と右』/鏡はなぜ左右逆に映すか

『新版 自然界における左と右』を風呂で14ページから読みはじめて、29ページまでしか読めなかったのに2時間くらい経っていました。汗をびっしょりかいて、何のために風呂に入ってるんだか分からなかったりします。こうして書いていても汗がダラダラ。でもなぜ左右逆に映すかという問いに対する、マーティン・ガードナーの答えはやっと理解できました。

鏡ははじめから左右逆になんて映していません。南北軸(鏡面に対して直角に通っている)を逆転しているだけなのでした。つまり、左右ではなく前後が逆になっただけ。答えはすぐに出たんですけど、これを自分で理解するのに時間が掛かりました(×_×)自分なりに分かりやすく考えて、これだ!と思ったところで、ようやく風呂からあがりました。暑かった。

まず右手の掌に『へのへのもへじ』を書きます。
そして鏡の前に立って、右手を挙げます。
鏡の中では左手を挙げているように見えますが
鏡にうつった掌にも『へのへのもへじ』が書かれています。
ということは、これは右手です。
これが、左右を逆に映してない証拠です。

鏡像を観た時に自分が鏡の向こうに立ったと考えてしまう為に、右手を挙げた時には鏡の中では左手だと考えてしまうようです。そしてそれも人間が『ほぼ』左右対称である為に、『左右を逆に映す』と言う言い方をした方が分かりやすいから、習慣的にそういう言い方になっているだけだと述べています。左右だけを逆に映すわけではなく、たんに言い方の問題であるとも言っています。

左右と言ってしまうのは、分かりやすいからであって、鏡の前に立ってへのへのもへじが書かれた右手を挙げている私をそのまま映しているだけなんですね。。鏡にペタって張り付いて、スタンプのように写っただけ。

鏡の中では右が左で‥と、自分を鏡の中に置き換えて、言い直しているだけだったんですね。これだけのことを理解するのにこんなに時間がかかってしまった。この本を返すまでに読み切れるのかな(・・?))(((;・・)?オロオロ


2004年05月13日(木) 自然界における左と右

蛇行する川のほとりは2巻まで読み終えて、ものすごく気になるところで終わっていました。すぐさま図書館で予約したので、昨日には3巻が用意できましたと図書館からメールが来ていました。いったいどうなってしまうんだー(゜ペ)?

劫尽童女は昨日読み終えました。この作品は恐さはそれほど感じず、どちらかというと悲しいなぁと思いました。主人公の女の子が感じている悲しみが、指に刺さったトゲのようにちくちく痛かった。全てを焼き尽くす、劫尽火(こうじんか)。

世界が崩壊する時に、世界を焼き尽くす炎のことをそう呼ぶのさ

作品中でそう説明していたのですが、タイトルの劫尽童女どういう意味だったのかが、読んでみたら分からなくなりました。後で考えよう。

それから恩田陸の作品では、ライオンハートが残っているのですがそのまえにマーティン・ガードナーの自然界における左と右を少しずつ読みたいな。難しそうなんだけど、”鏡は普通の状態では左右逆に映すが、なぜ上下はいれかわらないのか”という疑問が初めにあって、ぐぐっと引き付けられてしまいました。なぜだーって考えながら読むから、時間がかかりそう。いざとなったら少しずつ、同時進行で読むぞ!

それから昨日再び我が家にレンタルビデオが借りられてきたので、それも観たいなぁ。自分だとなかなか選ばないものばかりだから、人が借りてくる作品を観るのは面白い。普段は出会えないものに、出会える感じ。幸福な偶然も、あるかもしれません(*'ー'*)♪

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○覚え書き
劫尽童女を読んで。恐ろしく、残酷で、迷いがない子供だった彼女。そのうちに悲しみを頻繁に感じるようになり、境遇に孤独を感じはじめ、迷いが出てきたことが彼女の成長(進化)のしるしだった。(もしかしたら成長の副産物なのかも?)”迷い”は足踏みをさせてしまうこともあって、身軽ではなくなるのかもしれないけれど、やはり”迷い”は大事だと思った。成長のあかしなんだなぁ。


2004年05月12日(水) スタンプあるいは印鑑の体

印鑑は凹凸で形を作り出しています。名前の印鑑は凸の部分が文字になりますが、絵などのスタンプは凹の部分で絵を表現するものもあります。凹があって凸が浮かび上がる、光があって影があり、そこにあなたがいるからわたしがいる、のかどうかは知りませんが、凹があって凸が生きてきます。凸ばかりだったらべったりとインクがついてしまって、何がなんだか分かりません。

例えば私が全身タイツを身に付けて、朱肉の上をゴロゴロしたとします。人間スタンプと化した時、紙に押された私は凹凸のはっきりしたすてきなスタンプかしらと考えた時、最近特に腰回りがぷにぷにしてきたことを思い出し、胸二つだけならいいものをその少し下当たりに大きな丸がポンッと押されるような気がして、深夜に身震い一つ。

そしてべったりスタンプになってしまったらと思うと、身震い三つをするのでした。

(追記:しかし右手にはカフェラッテ、左手にはポテトチップスの袋があったりして、まぁ、なぜ私の手におやつがあるのかしら?あら、ここにも、あそこにも。くんくんくんくん、これっていつのお菓子だったかな、心なしかベタついているわ。パクリ。
・・といった具合に次々とお菓子が発見されるのであった。)


2004年05月11日(火) 図書館から借りてきた本

借りてきた猫のよう、と言うとおとなしいようななんとなく上品なイメージがあるけれど、実際猫を借りてきたら、しっぽを膨らませて体勢を低くしたまま物陰から物陰へ移動し、恐怖の絶頂に達したら”シャーッ”と唸る気がする。激しく攻撃的になってびくびくおどおどするのでは?そもそも猫を借りるってどんな時?どんな例えなんだろう。

借りてきた本というと、手垢、クッキーのかす、ここは最初から破れてた等の言葉をイメージする。(か?)そこから人生経験が豊富な、世間を苦労して渡り歩いてきた人間のことを例えるのに、使う言葉である(というのは私の勝手な作り話。)

トムキンスの冒険、蛇行する川のほとり1・2、ライオンハート、劫尽童女、グレープフルーツジュース、自然界における左と右、ホーキングの最新宇宙論が借りている本。

恩田陸の話をまずは読みたい。



*タイトルを忘れた話を思い出した話

二つくらい前の日記で書いたタイトルを忘れた話のうちの一つを思い出しました。講談社のシリーズ、ミステリーランドのぼくと未来屋の夏だったと思います。あー、すっきりした。

私はこのシリーズ第一弾から読んでいたのですが、お金がなくて今滞っています。森博嗣の「探偵伯爵と僕」が発売されたので、それは購入して読もうかな?と考え中です。

劫尽童女を読むつもりが蛇行する川のほとりを読みはじめました。たった今、かぶスープを飲みながら1冊目を読み終えたところで、この話が始まった時から水面下に潜んでいる不安と謎が、少しずつ現れてきました。うー、気になる!そして面白い。この話は3まで出ているから、今日たとえ2を読み終えても続きはすぐに読めません。

図書館にはなかったので、おそらく貸し出し中でしょう。
図書館で予約しておかなければ。('-'。)(。'-')。ワクワク


2004年05月10日(月) 覚え書き

木曜組曲、MAZEを読み終えた。
MAZEの途中で恐くて小さく悲鳴を上げた。
(お風呂じゃなくてよかったー)
深夜に読むのは危険だ。

今日からはトムキンスの冒険と劫尽童女(こうじんどうじょ)を読みたい。

昨日はクレヨンしんちゃんのヤキニクロードが一本だけあったから
借りて、見ながら母の日ディナーを作った。

トゥーウィークス ノーティスをママが借りていたから、今日観てみよう。
また、ヒュー・グラントだ。



*タイトルの思い出せない話

5月7日の「木曜組曲」記事内で書いた、タイトルが思い出せない話を思い出してみた。

○殺したい人を殺しているのに自分では実際に手を下さない。人が死ぬところに必ずいるから、疑われそうなものだが何もしていないので逮捕されない。何もしていないというのは語弊があるかな。因果の法則?直接殺していないんだけど、間接的に殺している男。例えば道路を横断途中の人を「危ない!」と言うことで立ち止まらせて、車にはねられるようにする。

○誰かを追いかけていたら、学校に逃げ込んだ。学校に確かに入ったのに、その誰かは煙のように消えた。実は学校とある場所は通路でつながっていたのだ。戦争中ある酔っ払いの亭主を使って、町ぐるみで実験台にした話。

話自体うろ覚えだ。最初の話しは多分江戸川乱歩じゃないかなと思うのだが、二番目のが思い出せない。比較的最近読んだ作品だとは思う…

うー、思い出せない( ̄ヘ ̄)


2004年05月08日(土) ちょっと笑ってしまった看板

今日仕事に行く途中でへんな看板があった。いや、一見普通の看板で内容もさらりと流せば、別段おかしくはないのかもしれないけど。私は笑ってしまった。

”犬にフンをさせないで下さい”

え、無理じゃないかなぁ。もしその看板の前で腰を低くして、フン体勢に入ってしまったらどうするんだろう。


2004年05月07日(金) 木曜組曲

恩田陸の木曜組曲を読みはじめた。
冒頭の部分に「たけくらべ」の引用文があって、現代語訳ではなくて原文で載せられているのであまり意味が分からなかった。同じ日本語なのに、昔の言葉になると何度も何度も何度も同じところを繰り返して読まないと頭に入ってこない。たけくらべは小さい頃に現代語訳を読んだはずなのに、今回この冒頭の引用を読んでも少しもピンとこないなんて。だいたい‥どんな話だったかな、たけくらべ。

下駄の鼻緒がうんちゃら、文がうんちゃら‥がーん!全然覚えてないじゃないか Σ(゚д゚lll)

昔読んだ作品で、読んだことがあるのにあらすじすらいえなかったり、タイトルさえも思い出せないものもあるのかもしれない。(これこれこんな話なんだけど、タイトルなんだっけ?ということはよくある。)さらには読んだ事実すら忘れてしまった作品もあるんだろうなぁ。

思い出せないだけで、忘れたわけではないのかも。


2004年05月06日(木) 光の帝国/デス トゥー スムーチー/ブリジットジョーンズの日記

図書館で借りた恩田陸の光の帝国も読み終えた。サブタイトルが常野物語で、常野の人々の話が10話収められている。「常野」とは何かが読み進める毎に分かって行くのだが、どれも独立した話としても理解が出来る。(独立した話としてもう少しその世界を知りたい、その物語を読んでみたいと思うものばかり)

ランダムに書かれた常野の話を読むことで、タイムトラベルをしているような不思議な雰囲気が漂う作品。ランダムに書かれたというのは、数えきれない程の歴史がある常野から、恩田陸さんが選んだ10の常野の話ということ。

もしバラバラに読んだらどんな印象を受けたのかなぁと、ふと思う。

それから、感動して泣ける部分もたくさんあり、またやっぱり怖さもありで、ただの短編集よりも長編を読んだような満腹感があった。短編だけど読み終わる頃には頭の中で世界が繋がるから、長編に近いのかもしれないなぁ。

やっぱり恩田陸さんの作品の世界は好きだ。

それからデス トゥー スムーチーという映画もみた。子供番組を皮肉った作品。というよりは子供番組に関わる大人達を皮肉ったと言った方が近いかも。汚い大人のお金と権力とマフィアの世界に汚れたテレビ業界で、きれいな方法で子供の為の番組を作っていく奮闘が、コメディタッチで、そしてまたシビアに描かれている。純粋な若者がいかに汚されないように自分の信念を貫いて行くか、重たくなりそうなテーマにも関わらず楽しく見ることが出来る。ロビン・ウィリアムズがひとくせもふたくせもある落ちぶれ役を演じている。サイのスムーチーや子供番組のキャラクターが、なんていうか‥ばかばかしいんだけれど、可愛くて面白かった‥気がする(゜ペ)?

ブリジット・ジョーンズの日記は一番最初の作品が出版された時に本で読んだ。でもいまいち面白くなかったので、その1冊しか読んでいない。で、ママがたまたまビデオを借りて来たので観てみたけれど、やっぱりあまり面白くなかった。高校時代、友達とモーリスのヒュー・グラントがいいね(*^m^*) ムフって話をしていた頃もあった。


2004年05月05日(水) クエン酸

小学生の頃、週一度それぞれが希望するクラブに参加する授業がありました。手芸クラブ、読書クラブ、科学クラブに所属していた記憶があります。五年生の時に一年間所属した科学クラブでは、食べられるものを色々作ったりと主に実験だったので楽しみでした。

そこで、何に使ったのかは忘れてしまったんですけれど「クエン酸」に出会いました。透明又は白く、塩よりも粒が大きいクエン酸はなめると強い酸味があります。わたしは小さい頃から、普通の「酢」をキャップ一杯飲むのが大好きだったのもあり、酸っぱさには目がなかったのでクエン酸も大好きになりました。

薬局に行くと瓶/1000円以下で買えます。普通は飲物に混ぜたりして摂取するそうですが、私は舐めるのが好きです。ただなめ過ぎると口の中がただれます。(胃にも悪そう)


2004年05月04日(火) ネバーランド/恩田陸

一つ前の記事の覚え書きに書いたことは結局思い出せなかった。読み終えてみると、怖さは消えていた。結局あの怖さはなんだったのか。多分人間の闇の部分の怖さだった気がする。表に現れないけれど読んでいて感じる暗い感情だったのかな。悪態をついて分かりやすい嘘を吐く子と、一見優等生で気持ちが優しそうな子が笑いながら平気で吐く嘘だったら、私は笑いながら平気で嘘を吐く子の方が怖い。

ネバーランドは男の子のものだってイメージがあるなぁ。女の子には分からないキラキラと輝いている永遠の世界。年を取ってもいつまでも色あせないネバーランドが、この時を一緒に過ごした仲間のなかには存在し続ける。

4人の男の子の光の部分と闇の部分が描かれていた。光の部分は誰にも汚すことが出来ないキラキラした世界で、闇の部分は最初にも言った少年が抱えている暗い現実。光の部分と闇の部分を一つにすることが出来た時に、少年達は何かを乗り越えた後の様に少し大人の顔になるのだろう。

こういう風に言うのはいけない気がするけれど、漫画「ここはグリーンウッド」に厳しい現実がプラスされた話のような気がした。わたしはこの漫画も大好き。


2004年05月02日(日) ネバーランド怖い‥

ネバーランドを風呂で読んでた。出たら深夜1時40分だったので、風呂に3時間近く浸かっていたことになる。お湯が冷めて寒くなり、途中で何度も熱いお湯を注いだ。(我が家の風呂には追い炊き機能がついていないのだ)

長い間浸かり過ぎたから、出ようと思って出たわけではない。読み終えるまで浸かっていても構わなかった。読み終えるまで浸かっていたらおそらく3時ちかくになっていただろう。でも、それをしなかった。それをしなかったのは、なぜか。

怖い‥

怖いんだもん!夜中にふろ場で読むものじゃない。話自体はホラーとカテゴライズされるものじゃないけれど、話のところどころに「ギクッ」とさせられる怖さがある。恩田陸さんは直接的に怖い描写をしなくても、ものすごく怖さを表現出来る作家だと思う。

そんなわけで、脱落しました。ふぅ、怖かった。あれ以上読んでたら、髪の毛トリートメント流せなかったよ。顔も洗えなかったよ。あぶねぇ。

覚え書き:

あー。読んでいて覚え書きしておきたい考えがあったのに‥どこかへ行ってしまわれた。最後まで読んでみて覚えていたら、今度こそその時に書き記しておくぞ。


2004年05月01日(土) ネバーランド/松籟って何?推理してみる

ネバーランド/著)恩田陸

まだ少ししか読んでいないけれど、「松籟(しょうらい)」という言葉が出て来て、初めて聞く言葉だったのでなんだろうと思いました。調べる前に、登場人物の台詞からの推理に挑戦。

「俺は聞いたことがあるぜ」
「お前には聞こえないのかよ、松籟館でも聞こえるぜ」

松籟館というのは、物語の舞台になる(であろう/まだ分からない)学生寮。
作品中では、「名前の由来通り、外にはゆるやかな築山に目隠しとなっている松林」と描かれている。

ついでに、築山(つきやま)はgooの辞書によると

庭園などに山をかたどり、土砂または岩石で小高くきずいたところ。

らしい。これも初めて知った言葉‥あぁ、無知な私。
築山の上に外部から 学校内を見渡せないように目隠しの役割をしている、松林が広がっているってことだ。で、それが松籟館の由来にもなっている。

で、松籟は聞こえる、聞こえないという話にもあるように、「なんらかの音」である。んで、松籟館の由来が「築山に目隠しとなっている松林」であるから、「なんらかの音」は松林に関係があるということ。

松林から聞こえる音って、なんだろう?

1松ぼっくりが風で地面に落ちる音「ポトポトポコッ」

‥‥‥‥。

2松の葉っぱがすりあう音「スリスリスリ」

‥‥‥‥。

3松が夜になると動く音「ノシノシ」

‥‥‥‥。

松が動くわけないし、松籟という言葉に「松」という文字があるから、まつぼっくりでもなさそう。というわけで、答えはきっと二番だ!


正解は、まだ調べてないのでまたあとで。
これからムービープラスで「プレミアナビ」を観るから、そのあとにしよう。
私は中学生の頃「毎日が夏休み」を観てから、佐伯日菜子のファンなのです。
私がその頃買っていたロードショーって映画雑誌に、佐伯日菜子のインタビューが載っていて、その頃は邦画をみることはなかったのに、観てみようと思ったのです。そしたら、なんだか、、よかった!
のちに大島弓子さんの原作にも辿り着いて、大島弓子さんのファンにもなりました。

あぁ!あと5分で始まっちゃう。ではでは



*緒川たまきさんだった(^^)/土曜ソリトンSIDE-B

今日は緒川たまきさんだった!
日菜子さんではありませんでしたね。でもわたし、緒川たまきのファンでもあります。以前NHKで放送されていた、土曜ソリトンSIDE-Bが大好きでいつのまにかたまきさんのファンにもなっていました。でも緒川たまきを最初にみたのは、映画だった気がするですが。何の映画だったか思い出せない(・・;)同性愛の映画だったかな‥

グリーンマイルは新潮文庫を6巻順番に買って読みました。

読んでいて涙が止まらなかった。私の脳裏に焼きつけた印象を大事にしたくて、私はまだ映画を観ていません。まだ心の準備というか、見る気持ちになれない。本が発売されてから、もう何年経ったんだ!って話ですが(笑)


*松籟(しょうらい)の答え

gooの辞書によると
松に吹く風の音。まつかぜ。松韻。

松に吹く風だって。松の音ではなくて、風の音だった。でもつまりは風に揺れた松の音なんだよね?違うのかなぁ。松林に風が当たる音、聞いたことがないな(・_・?)


ひよ子

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