読書記録

2018年10月21日(日) 父の生きる / 伊藤 比呂美


 母が亡くなった後、熊本で一人暮らしになった父に毎日電話したメモ書きをブログに書いた。

著者はカリフォルニアに家族と住んでいて、熊本とは遠距離介護になる。
熊本とカリフォルニアとでは時差があるから、父の起きている時間に毎日電話するのは大変だったろう。
最後のほうは父の耳は遠くなるし、声はかすれてくるしで、かけ直しも多々あったようだ。
それでも ケアマネさんやヘルパーさんに助けられて毎日を何とかやり繰りされていた。


「救急車は呼ばないでください。入院はしません。手術、延命措置は一切無用に願います。」と、書いてお父さんが署名捺印し、主治医に提出して、居間の壁にも貼りだしてあった。


少し元気だった頃のお父さんは退屈だったようだ。
このままでは死因は退屈とでも書かれそうだと。
「強盗でも入って殺してくれたらいいんだけど、来てくんないからさ、待ってるしかないんだ。他力本願だ」と言う。

実は私も誰かに殺してもらいたいと思うことがある。
死にたくもないのに、理不尽に殺されてしまう人もおられるのに何て不謹慎だと思われるから、これは決して誰にも言えないでいるのだが。。。


それでもよくやられた、大変だったろうなと思う。
なにせ熊本とカリフォルニアだもの。
自分の家庭もあるし、仕事もあるし、親も気にかかるしで。







2018年10月12日(金) 沙門空海 唐の国にて鬼と宴する / 夢枕 獏

 
巻1から4の長い長いお話。
映画は観ていない。
空海も凄いけれど、阿倍仲麻呂・白楽天・楊貴妃が登場するんだもの、スゴイわ。


空海とは
漠智と野性・上品と下品・聖と俗
様々なもの、時には互いに矛盾するものすらが、その矛盾を抱えたまま、
同じこの男の内部に同居しているようなのである。

歴史的に見れば、国際人という概念的衣装を日本人として一番最初に身にまとったのが空海であり、個人としてみれば、空海は、その国際人であることすらも超えていたように思われる。

世界を、今日的な感触を持った宇宙として捕え、自分という人間を、宇宙に対する個として捕えることのできる
抽象的な思考能力を、空海が持っていたのは明らかである。
華厳経から大日経に至り、空海は、宇宙の統一原理としての大日如来というものの存在を、すでに倭国において
知ってしまっている。
だからこそ、空海は、密教を求めて、この唐までやってきたのだ。


きっと、人というものの本心というのは、けしてひとつのものではなく、その時その時、違った本心を
持つものなのでしょう。ある時は本心であったものが、違う機会には別のものに変わってしまう…
さらに申せば、同じ時に、ふたつ、みっつ━幾つもの本心や矛盾する心を、人は持つこともできるのです。
ああ、人の心のなんと不思議なことでしょう。
(玄宗に仕える宦官・高力士が死ぬ間際阿倍仲麻呂に当てて残した書簡)








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