2018年09月05日(水) |
死を生きた人びと / 小堀 鷗一郎 |
訪問診療医と355人の患者
長年、外科医として主に手術など医療の最前線にいた著者が、看取りを主とした訪問診療医に転身した記録。
超高齢化になって、自宅で死ぬか病院死なのか。 事例も挿入しての著者の率直な思いが詰まっていた。
一言で表せば、日本は「生かす医療」はトップクラスであるが、「死なせる医療」は大きく立ち遅れている。
厳密な意味での医者は、金を儲けることを仕事とする者のことだろうか、それとも、病人の世話をすることを仕事にする者のことだろうか。
そして、私が強く感じたことは、現在社会認識となりつつある「介護する側の苦悩」と同様の苦悩が 「介護される側」にも存在することを強調しておきたい。
そうなのだ、介護される側になってみれば結構辛いものがある。
だから 尊厳死ではなく安楽死認めてほしいのだ。 公共の看取り病室、本人の固い強い意志の元、自分の口で食べられなくなったら、例え襁褓をあてることになっても自分で処理できなくなったら、安楽死を認めてほしいのだ。 主にがんではホスピスがあるけれど、そういう施設をすべての高齢者に当てはめて考えてほしい。
著者はあの森鴎外の孫。
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