2018年02月22日(木) |
院長選挙/久坂部 羊 |
数年前に読んだ『廃用身』という小説で、この著者がずっと気になっていた。 私自身も昨年、一昨年とまさかのまさかで「廃用性症候群の予防」ということで 人工関節を受けた病院でリハビリを受けて、それは今も続いている。 死にたいと常々、願っているけれど医師の言葉は「やっかいではあるけれど命に別状ありません」ということだから、死ねないからには自分の足で歩かないといけない。 整形外科、内科、塞栓術を受けた医師と、私なりに医師に対して感じた思いがある。
今回、読んだ 「院長選挙」は、この著者にしてはコメデチックで面白くて、私が医師に感じていた思いがそのまま文章になっている部分が多くあった。
超エリート大学病院の病院長が謎の死を遂げる。そして新病院長をねらう四人の副院長たちに、『医療崩壊』というテーマでライターのアスカは取材に潜入した。副院長たちの科の序列や腹グロなところがこれでもかとユルく軽く書かれているが、それぞれの科の医師の言葉はなかなかにえぐい。 そして 最後はまさかのオチで、院長の死亡は医学部長の殺人。
私が本を読むとき、いつも気になるのは登場人物の名前。 今回はそれぞれの専攻している科がよく分かるように、本当に面白い名前が付けられていた。
例えば耳鼻科=耳成功市(みみなしこういち) 消化器内科=伊調勘蔵(いちょうかんぞう) 皮膚科=羽田野剛(はだのつよし) 麻酔科=夢野豪介(ゆめのごうすけ) 薬剤部長=服佐容太郎(ふくさようたろう)
と いう具合でこれが結構面白かった
著者の自伝的小説。 前編は1913年(大正2)4〜6月、後編は15年4〜6月のもの。
難産で産まれて、母共に病弱ゆえに伯母さんから言い尽くせぬ愛を受けて育てられる。 幼少期の神田界隈の様子や、転地療養した海辺の風景描写も美しい。 感受性の鋭い著者の表現力豊かな文章が素晴らしい。 でも著者は私とか僕とか、一人称での表現はなく、時たま伯母たちから呼ばれるのでさえ □□ぼん、とかいうふうにぼかしてあるのだ。
私が子供の頃には何を考えて毎日生きていたんだろうかと、ふと考えさせられるくらい、生きる苦悩を知り始めた少年の正義と自由と美に憧れるせつない思いが綴られている。
2018年02月09日(金) |
いつかあなたも/久坂部 羊 |
在宅医療専門クリニック看護師と、新米医師の三沢、クリニック院長の一ノ瀬らが様々な患者本人と家族、病とその終焉、そして安楽死の問題にも向き合う六つの物語。
〇綿をつめる 膵臓がん患者の60代女性が亡くなった。看護師は三沢に死後処置―遺体に綿をつめる作業を教えるというか、一緒に作業する。 大病院の医師ならば死亡確認後、カルテを書くだけだが、在宅クリニックでは、医師も死後処置に取り組むのだ。 病院で亡くなれば看護師が、在宅死なら葬儀社いわゆるおくりびとが死後処理をしてくれると思っていたのだが。
〇罪滅ぼし 認知症の妻を介護する夫。元は家庭を一切顧みないサラリーマンだったが、 今は妻のために全身全霊で介護を続けていた。 この話はたまに聞く。 いわゆる猛烈社員というか仕事人間だった夫や、若い頃に妻に迷惑をかけてきたから罪滅ぼしで妻を介護するというもの。
〇オカリナの夜 一ノ瀬院長の口癖は「高齢患者はすぐ楽になる」だが、 末期患者が在宅で最期を迎える意義も大きいと語る。 そして、この患者の場合の骨髄腫という病名の告知に関するお話。
〇アロエのチカラ 思い込みの激しい患者家族がいる。 卵巣がん末期の妻を支える夫は、医者を信用せず、 次から次へと怪しげな民間療法にはまってしまった。 でもシーボラス効果と言うのも確かに存在するらしいが。。。
〇いつか、あなたも 在宅医療は老人ばかりではない。 26歳の女性患者は統合失調症に見えだが、症状は複雑だ。 その女性が看護師に投げかけた言葉「いつか、あなたも」の意味は、タイトルにもなっていたから読んだのだけれど、これは期待外れだった。 そして「いつか、あなたも」の意味は読んだ後も不明??
〇セカンド・ベスト 末期ALS患者の女性は人工呼吸器を拒否し、余命が危うくなってきた。 安楽死も選択に入る中で、一ノ瀬院長が、看護師と三沢医師に提案した「セカンド・ベスト」は、安楽死はさせないけれど(今の日本ではできない)けれど、苦しみは取ってあげる、ヘビーセデーションで。
どれも重い内容で私はさらに自分の死想感を新たにした。 私は家族に看取ってもらいたくない、それも自宅でなんて。 家族の死に目に立ち会うのはいろんな意味で辛い。 私の希望は自分の死は自分で決めたい。 本人の固い意志と自己責任で病院に看取り病室なるものを設置してほしい。 要は安楽死を認めてほしいのだが、少々割高でも完全個室で看取ってほしい。 認められるのならその割高なる看取り料金くらい今から貯めておくから、ぜひ叶えて欲しい。 いくら子供でも私は迷惑をかけたくない。 それでなくても葬式はしないとしても、人が死ぬということは、いろんな事後処理があるからその事だけを託したい。
そういう意味でもいろいろ考えさせられる小説であったことは確かだ。
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