読書記録

2017年12月20日(水) 恋糸ほぐし 花簪職人四季覚/田牧 大和


 私の好きな人情時代小説だった。

あ〜ぁ ほのぼのしたえぇ話やったなぁ、と ほんわかした気持ちになって、2時間ドラマになれでもなればいいのになぁと思った。

花簪、いわゆるつまみ細工が作られる工程や、主人公である忠吉が作るお寺の精進料理が色彩豊かで、思わずつばが出る感じ。

優柔不断だけれど実直な花簪職人の忠吉、幼馴染の図体と声は大きいが心優しい住職・伊風こと大吉、その2人を子供の頃から育ててくれた杉修(さんしゅう)和尚。そこに愛らしい そら という名の瑠璃と耳の聞こえない保護された少女さきが加わり、物語は少しずつ展開されていき、最後にさきの身元が明かされる。
この少女をなんとか笑わせてやりたい、と思う大人たちの微笑ましさに今頃の虐待する親たちに見せたい、読ませたいと強く思った。

そして本物の花簪と、忠吉の作る料理が食べたいなぁという、そんな読後感。











2017年12月14日(木) 子規の音/森 まゆみ

 子規35歳の暦本

長く患う病人は同じことを考える。痛みが伴えばなおさらだ。自分がいるために母妹の暮らしは犠牲になっている。友人弟子たちにも重荷に違いない。自分さえいなければ、と思う。左向きに寝たまま前を見ると硯箱に小刀と千枚通しの錐が見える。「古白日来」。自殺した古白が来いという。
「さなくとも時々起ろう起ろうとする自殺熱はむらむらと起こって来た」
小刀で喉元を切るか。錐で心臓に穴を三つ四つあけるか。
「死は恐ろしくはないのであるが苦が恐ろしいのだ 病苦でさえ耐えきれぬのに此上死にそこのうてはと思うのが恐ろしい」。
これも死を思いとどまる人間の共通した心理である。自殺を断念した子規はしゃくりあげて泣き、十五日、こう認めた。

表題の ”音” というのは、動けぬ子規が根岸の病床で、五感研ぎ澄まされ自宅周辺やら家人友人らの動きに殊更、敏感になっていったのだ。

子規は最後まで明晰だった。下痢が激しくなり、痛みに絶叫し、モルヒネも効かず、浮腫で足は仁王の足のように膨れても、ただ、生きていた。
骨盤は減ってほとんどなくなっている。脊髄はグチャグチャに壊れて居る、ソシテ片っ方の肺が無くなり片っ方は七分通り腐っている。八年間も持ったということは実に不思議だ実に豪快だね、と友人が語っている。
その腐った脊髄から出る膿の包帯を取り換えるときは、腐敗したる部分の皮がガーゼに附着して号泣している。


真砂なす数なき星の其中に吾に向いて光る星あり



そして辞世の句

糸瓜咲て痰のつまりし仏かな
痰一斗糸瓜の水も間にあわず
をとゝいのへちまの水も取らざりき


















 < 過去  INDEX  未来 >


fuu [MAIL]