読書記録

2015年05月24日(日) 龍秘御天歌           村田 喜代子



 秀吉の朝鮮出兵によって、半島から連れてこられた窯焼きたち、渡来陶工の総師(龍窯の頭、辛島十兵衛こと張成徹チャンソンチョル)が死んだ。島原の乱後、キリシタン禁止令で宗門人別改帳が作られて、領内すべての家が所属の檀那寺を持たされて、領民はすべて檀家として仏教寺に登録され、葬式供養一切の権限を寺に委ねられた。従わなければお上より厳しいおとがめをこうむる。

辛島十兵衛は名字帯刀を許された渡来工の大物の死である。葬式は大々的で、藩からも正式に役人が参列する。しかし、十兵衛の妻・百婆こと朴貞玉パクジョンオクは、十兵衛に勝るとも劣らない大きくて傲気オーギな性格ゆえ、お上に楯つくことになろうとも故国朝鮮の弔いでやると宣言する。

「この皿山に今日の繁盛を起こしたんは、おれの亭主の成徹と仲間の渡来人や。その男の弔いを故国の式でおこのうて何がおかしい。おれだちがこの国の者でないのは、皿山中の人間が知っとる。おめえはなにか?骨の髄まで日本人になりてえのか」

死者を弔う中身、形式、なにからなにまでが違う。寺では火葬と決められているが、これをなんとか故国クニの土葬で夫を葬ってやりたい。
百婆は、焼き場の骨を集めて夫の遺体とすりかえようとたくらむが、息子の十蔵はそれと察して百婆の裏をかいた。
仏教徒になったからには火葬しなければならないが、身体を焼いてしまっては子孫を守ることはできないのだ。
十蔵はこれからも日本で生きて龍窯を守っていかなければならない立場ゆえ、苦渋の選択を強いられたのだ。


『龍秘御天歌』  りゅうひぎょてんか

李朝の建国を綴った古い詩歌集 








2015年05月15日(金) 憑神          浅田 次郎



 物語の時代は幕末。将軍の影武者を代々務めてきた由緒ある家柄の出である別所彦四郎は秀才の誉れ高かったが、婿養子先から離縁され、冷たくされつつも兄夫婦の家に居候するという不幸の中で暇を持て余す日々を送っていた。
ところがある日、ひょんな事から見つけた「三巡神社(みめぐりじんじゃ」というお稲荷様に酔った勢いで祈ったところ、彦四郎は貧乏神・疫病神・死神といった災いの神様を呼び寄せてしまう。

だが 貧乏神も疫病神も宿替えという方法で災難を逃れたが、最後の死神だけは武士として死ぬべく彰義隊の将軍として上野のお山へ赴いて行くのだった。
ここで面白いというか、さすが浅田次郎というべきなのだが主人公の別所彦四郎は大政奉還した将軍・一橋慶喜と瓜二つという設定になっているのだ。
通りすがりに山岡鉄舟も出てくるし、勝海舟や榎本釜次郎(榎本武揚)も登場するのだから本当に面白い。



小さな損得に、一喜一憂し、神頼みなどしているかぎり、人は本当に幸せな心の境地に達することなどできない。


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