2013年08月30日(金) |
女人しぐれ 平山 壽三郎 |
大正5年(1916年)時雨37歳のとき、無名だった三上於菟吉を知り、押しかけるように内縁関係の世帯を持ち、以降は12歳年上の姉さん女房として、三上を世に出すことに努めた。1921年頃から三上は売り出して放蕩し、時雨を悩ませた。時雨の父没後で母の世話や家業と甥の養育にも忙しい時期であった
美貌の姉さん女房に振り回されながら人気作家に成長した於菟吉は、待合を仕事場にし、さらには若い頃の時雨とそっくりな妾を囲いもするが、人気作品を生み出したその稼ぎは、時雨が主宰する大赤字の女流文芸誌「女人芸術」に惜しげもなく注ぎ込んでいった。
菊池寛、直木三十五、吉川英治、林芙美子、吉屋信子ら、大正・昭和に活躍した聞き馴染のある文壇のスターたちとのエピソードがいろいろ描かれているが、主人公である三上於菟吉と、長谷川時雨のことは知らなかったのだから、ちょっとお笑いだ。。。
まぁ夫婦の情愛ではあるが、大御所というか姉御肌そのものの夫に尽くす妻の物語ではある。 今でこそ女が年上の年の差婚も珍しくはないが、2人が一緒になったときは文壇のだれもが唖然とし、先行きを危ぶみ、羨望した。
だが とうとう最後まで入籍しなかった2人は法律的には内縁関係でピリオドをうったのだ
2013年08月18日(日) |
残月 みおつくし料理帖 高田 郁 |
シリーズ第8作目
○残月━かのひとの面影膳 吉原の火事で死んだ又次のことはつる屋の人々の心にも、あさひ太夫の胸にも深く残った。
種市の申し出で澪は又次の初盆に相応しい膳を作ることになった。 飯は白飯ではなく、もち米に戻した黒豆を混ぜて蒸したもの。 焼き麩と結び干瓢の澄まし汁には、青柚子の吸い口。 煮物は隠元を添えて干し椎茸と冬瓜の含め煮。 そして氷豆腐の揚げ物。 これは戻した氷豆腐に下味をつけてぎゅっと絞ったあと、さらに卸し金で卸した氷豆腐を衣にして胡麻油で揚げたもの。
○彼岸まで━慰め海苔巻 あさひ太夫と同じ翁屋にいて、藤代屋に身請けされたしのぶから芳の息子である佐兵衛の消息が知れた。 天満一兆庵の江戸店を潰してしまった若旦那佐兵衛はこれまでの人生を捨てるかのように、捨吉と名前を変えて植木職人となっていて妻と幼い娘もいた。 天満一兆庵を江戸一番の店にしたい気持ちが強すぎて料理を争いの道具にしてしまったことを深く悔いていた。
○みくじは吉━麗し鼈甲珠 吉原の火事で焼けた登龍楼の再建に登龍楼の主は澪を料理人として迎えたいと指名してきた。 料理であさひ太夫を身請けしたい澪は自分の腕を試すためにも四千両という金額を口にした。 その帰り道、澪は化け物稲荷に似た小さな神社で御籤を引いた。 細長い紙面には、上段に「吉」の文字、そして下段には <凍てる道を標なく行くが如し、ただ寒中の麦を思え>とあった。 べっこう玉とは、玉子の黄身だけをこぼれ梅で漬けこんだもの。 ○寒中の麦━心ゆるす葛湯 日本橋の旅籠『よし房』の店主が後添えを貰った披露の膳を坂村堂に頼まれて澪が調える。 それは一柳の主えある龍吾と息子である坂村堂との仲を取り持つ場ともなった。 だがその席で龍吾は倒れ、その介護に芳が通いで世話することになった。 その甲斐甲斐しい世話は天満一兆庵の女将であった芳の人柄を見抜いた龍吾にあなたは得難い人だと言わせることとなった。
火事で死んだ又次のことは仕方ないとしても、小松原のことまでもが登場人物のリストから抜けてしまったことは寂しくてならない。 若い澪ではなく、御寮さんの恋が登場するとは思いもかけなかった面白い展開に驚いた。
2013年08月07日(水) |
夏天の虹 みおつくし料理帖 高田 郁 |
シリーズ第7作目
○ 冬の雲雀━滋味重湯 想いびとと添う幸せ。 料理人として生きる幸せ。 決して交わることのないふたつの道の前で悩み苦しんだ結果、 つる屋の料理人としての道を選んだ澪は化け物稲荷で小松原に自分の思いを伝えた。 小松原は 「その道を行くと決めた以上、もはや迷うな、全て俺に任せておけ」 と、その時に舞い込んでいた縁談を決めた。 澪に「お前は何も言わずともよい」と言ったようにすべては小松原が澪との話を袖にしたようになってしまった。 澪は誰にも何も話せない苦しみから寝込んでしまうのだった。
○ 忘れ貝━牡蠣の宝船 回りの誰にも小松原のほんとうの優しさを伝えられないでいた澪だったが、同じ名前の美緒にだけは事の経過というか真実を話した。 そんな中で 澪は牡蠣を何とか美味しく食べてほしいと、奉書焼にヒントを得て日高昆布で牡蠣をくるんで焼くという料理を考えた。
○ 一陽来復━鯛の福探し 今でいう色々なストレスが原因なのか、澪は嗅覚と味覚が失われていた。 料理人としては味も匂いも分からないでは仕事にならないし、澪も辛いだろうと種市は翁屋の楼主に直談判に行き、又次を三か月という約束でつる屋に寄越してもらうことにした。 味覚を失った澪は食べ物が美味しいと感じられないという体験から、 病気の人が自分から進んで箸を持とうと思うような料理はないかと考える。 そんな折、伊佐三の親方が卒中で療養していたが、不自由な手で鯛の粗炊きを食べた。 賄に回される鯛の身をほぐしたものから『鯛中鯛』を見つけて、粗炊きを病気の人に限って提供しようと思った。 鯛には九つ道具という骨が隠されているそうだ。 太一の描いた絵をつけて、持ち帰りもできるようにした鯛の粗炊きは数量限定ながら縁起かつぎでよく売れた。
○ 夏天の虹━哀し柚べし 伊佐三の親方の家で取れた大量の柚子から、又次は五つだけ柚べしを作ってつる屋の軒先に吊るした。 又次はつる屋の人々と暮らして穏やかな気持ちになっていたが、三か月という期限は容赦なくやってきた。 澪の味覚が戻ったら食べるようにとひとつだけを残して、清左衛門やみんなで柚べしを食べた。 皆に別れを告げて吉原に帰り着いたとき、ちょうど吉原が火事にあっていて又次は自分のことも顧みずにあさひ太夫を助けに走った。 種市と澪は背中一面焼けただれて、それでも太夫をしっかり抱えた瀕死の又次を見た。
2013年08月02日(金) |
心星ひとつ みおつくし料理帖 高田 郁 |
シリーズ第6作目
○ 青葉闇━しくじり生麩 雨の乏しい梅雨から、大暑を過ぎても水に恵まれない炎暑は青物が思わしくなく料理人泣かせの日々が続いていた。 澪は何かさっぱりしたものをと、天満一兆庵にいたころ食べたことのある生麩を作りたいと思った。 うどん粉をいくら工夫してもぐにゃぐにゃした得体のしれないものしが出来ないでいたが、版元の坂村堂にもち粉を使うのだと教えられた。 それを明かすことは坂村堂の父である一柳の主、柳吾を裏切ることだった。 「子は結局、親の思いを踏みにじるように出来ているのかも知れません。そして親は、たとえそうされても、じっと堪えて揺るがずに居るよりないのでしょう。我が身を振り返れば、若い日、親に対して同じことをしてきたように思います」
○ 天つ瑞風━賄い三方よし 吉原翁屋の楼主から澪は、手を貸すので吉原で天満一兆庵を再建しないかと持掛けられた。 折しも登龍楼の主采女宗馬からは、神田須田町の登龍楼を居抜きで売るのでつる屋として移ってこないかという話だった。 吉原で成功すれば天満一兆庵を再建できてご寮はんを喜ばせられるし、女ながらもあさひ太夫を身請けすることもできる。 が、つる屋を繁盛させられれば種市への恩に報いることができる。 それぞれの思いの中で料理人として澪は岐路に立たされていた。
○ 時ならぬ花━お手軽割籠 どちらの話も断った澪は自分で自分の器を大きくして料理人として精進していこうと決意した。 つる屋の店がある元飯田町で火事が相次ぎ、町年寄から火の扱いを朝五つ(午前八時)から四つ(午前十時)までの間に限るようにという申し渡しをした。 昼と夜の食事を目当てに来る客への商売を制限されて、澪は割籠に入れた弁当を売ることにした。
○ 心星ひとつ━あたり苧環 小野寺数馬の妹、早帆が澪に料理を習いに来て、兄と澪を添わせようと心を砕く。 二年くらい早帆の家で武家奉公しながら武家の嫁に相応しい行儀作法を覚え、時期をみて何処かの旗本の養女となって小野寺家に嫁ぐという心つもりをした。 みんなが澪の幸せを願い、澪が抜けたあとのつる屋の料理人も決まったのだが、武家に嫁にいけば想い人と添うことはできても、いままでのように料理ができないのではと思案するのだった。
賄三方よしでは豆腐丼 塩を入れた鍋で豆腐の芯まで火を通す。 丼に冷や飯をよそい、水気を切った熱々の豆腐を大き目の匙で掬って入れる。 薬味にネギ、鰹節をたっぷり載せて、卸ししょうがも入れて醤油を回しかける。
お手軽割籠の中で紹介されていた 大根の油焼き 大根(4人分で6センチくらい)を1センチくらいの半月切りにして、笊などで一日天日に干す。 熱した鉄鍋に胡麻油を入れて大根を焼く。 焦げ目がついたらひっくり返し、弱火で中までしっかり焼く。 味醂・醤油各小さじ1を合わせたものを回しかける。 粉山椒をぱらりとかけて出来上がり。
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