作者の半自伝的小説ということだが、母とのことはほとんど事実なのだろう。 タイトルにある ”放蕩” という言葉の持つ意味から、作者は自分に流れる血は母親譲りだと信じきっていたようだが、母がボケた晩年に聞かされた父からのカミングアウトは母ではなく父に似たのだという放蕩だった。 それを聞いたからということもあるが、娘を思う母の真実を知って作者はようやく母を許せたということなのだ。
娘・夏帆、38歳、小説家。母・美紀子、78歳、主婦。強烈すぎる母親の呪縛から逃れようともがく夏帆の子供の頃からの思い出と現在の心境とが読みやすい文章になっていた。
でも私からすると、たいていの母親は子供にはみんな強烈な存在を放っているものだと確信する。 私も親との関係にかなり苦しんだし、そこから逃げるように結婚した。 でも子供を持ってからはいろいろな場面での親の行動が理解できるようになったし、知らず知らずのうちに自分も同じ行動をとっていることにも気づかされた。 そして親を亡くしてからはすべてを許すことができた。 そして今は許すという言葉も傲慢なことだと思っている。
親を否定すれば自分を否定することになる。 (これは息子の言葉だけれど、この言葉に私は救われたのだ)
2013年01月14日(月) |
わたしは99歳のアーティスト 三星 静子 |
古ぎれコラージュとひとりの暮らし
大正2年生まれの99歳の女性が大好きな古ぎれに囲まれて、東京の八王子で一人で生活されている。 専業主婦として3男1女を育てあげられ、長女は日本刺繍作家・草乃しずか氏だ。
「古ぎれコラージュ」 とは静子さんの造語で、古い布で作る布絵のこと。 材料は自分の洋服を作った残りぎれや、亡くなった夫の着物、巣立った息子たちの寝巻きや使い古した古いカーテンなど、長年、大切に集め続けた古い布たちだ。 使い古した雑巾でさえ、葉脈として枯れ葉の材料になる。
脊柱管狭窄症で、座っても寝ても腰が痛い日々なれど、布切れを触っている間は痛みを忘れていられるのだとか。
昔の人ならではのもったいない精神で、今でいうところの「エコ生活」のお手本のようなことだけれど、本で紹介されている布絵はどれも表現力いっぱいの素晴らしい作品に仕上がっている。
私はNHK出版の「すてきにハンドメイド」でこの本が紹介されていたときに、チラッと読んだけれど実物はやはり色彩が豊かで本当にいい本だと思った。 いろんな手作りが今はブームだけれど、これから老いていく人間には手引書のように感じた。
2013年01月08日(火) |
烈しい生と美しい死を 瀬戸内 寂聴く |
私が目にしにくい「東京新聞」「西日本新聞」そして「徳島新聞」に「この道」として連載されていたものをまとめたもの。
2011年は日本で初めて、女性が作った女性のための雑誌「青鞜」が創刊されて100年という節目の年だそうだ。 明治維新という大革命のあとも、日本の女性の地位は、旧来通り男に従屈して、良妻賢母を理想とする忍従の立場を変えることはできなかった。 そんな時代に生まれた「青鞜」は、女の時代の黎明をもたらすかのような強い原動力となった。
平塚らいてうが 「青鞜」の生みの親なら、「青鞜」の死に水を取ったのが伊藤野枝であるという著者の想いから書き出されたもの。 「青鞜」が誕生した1910年は幸徳秋水初め12名の処刑が行われた年でもあり、今ではほとんどこういう事実を無視したかのように忘れられていることの現実も著者には消すことのできない日本人の思想なのだ。
今では少子高齢化が進んで ひとりの女性が生涯に産む子供の数も減る一方だが、与謝野晶子も伊藤野枝も子沢山だ。 世の中が便利になった現代のほうが生きていくのに弱くなっているのだろうか、そんなことも私は強く感じた。
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