江南原の高田村は眼前に水量豊かな筑後川が流れていながら地形上、その恵みの水を得ることのできない水涸れ村だった。 ゆえに打桶といって人力で水を汲み出して細々と田畑を潤していた。 主人公の元助は右足が悪い状態でも先輩の伊八とともに雨の日以外は一日の休みもなく打桶に精出ししていた。 もうひとりの主人公である高田村の庄屋山下助左衛門は,そんな村の状況を見て他の同じような水涸れ村の4つの村の庄屋とともに水を引くための堰を築く大工事を藩に願い出る。
上巻は元助の打桶や村の様子、そして助左衛門らが藩に大工事を願い出て許しをもらうまでが書かれている。 下巻はいろんな困難を乗り越えて無事、工事が完成するまでが描かれている。
これは作者の故郷に伝わる実話をもとに書かれているそうでなかなかに読みごたえのある素晴らしい物語だった。
この江南原にある村々は、北は筑後次郎という大河、南には巨瀬川がありながら、いつも日照りに泣いとる田畑をこんままにしとくとですか。田と畑が泣いとるちいうことは、百姓が泣いとることです。ここの土地に生まれた 百姓は、何代も前から、泣きながら田畑に出とるとです。そしてこんままなら、あと何代か何十代かあとまで、百勝は泣き続けにゃならんとです。
伊八の胸の中に残ったのは、これが百姓にとっての天下分け目の合戦、関ヶ原の合戦だという喩えだった。 敵は筑後川。敗ければ、筑後川は江南原の村々を見捨てる。勝てば、筑後川はこの先末永く、江南原に水を送り続ける。
2012年07月17日(火) |
俳句のための文語文法入門 佐藤 郁良 |
以前 雑誌の俳句選評欄で 俳句ブームとかで高齢者を中心に沢山 句が送られてくるが、文法や仮名遣いの間違いが目立つと読んだことがある。
高校時代に文語分法を勉強したはずなのに、記憶が曖昧になったのか ただ文字を繋げただけというのも目につく とも。
だが この本の著者は俳句に必要な文語文法はある程度限られているというのだ。
文法なんかわからなくても俳句は詠めるという声もあるし、分法を知ることで俳句が上手くなるわけではないけれど、文法を知ることでより効果的に自分の詠みたいことを表現するためのヒントが、文語文法の中にはたくさん埋もれているというのだ。
でも 変格活用だ、上二段や下二段の終止形といわれたら逃げ出したくなるのが私の正直な気持ちだ。
だから・・・私はやはり 俳句なんておこがましいことは思わずに、ただ文字を繋げただけの "つぶや句” でいいと思ってしまうのだ。
だが この本には有名な俳人の句がたくさん紹介されていたので、私としてはそれだけで充分満足している。
大寒の埃の如く人死ぬる 高浜虚子
さまざまのこと思ひ出す桜かな 芭蕉
隙間風兄妹に母の文異ふ 石田波郷
冬の雲なほ捨てきれぬこころざし 鷺谷七菜子
白地着てこの郷愁の何処よりぞ 加藤楸邨
2012年07月02日(月) |
夜去り川 志水 辰夫 |
黒船が来航した年、素性を隠して船渡しとなった喜平次。父の仇討ちのため、藩を出て流浪の身となっていた。仇討ちという古臭い重荷を背負わされた喜平次は、武士たる己の進むべき道をどう見極めるのか。
痛快時代劇と言えばいいのか、二時間くらいのドラマに仕立てたらどうだろう・・・と ふと思った。 主人公の喜平次には やはり山本耕史がいいんじゃないかと私は思う。 すると弥平は・・・春日屋のすみえは・・・と思うけれど、あとは知らん。。。
運なんてのは、いつまでもわるいことがつづくもんじゃない。どんな貧乏くじを引かされようが、ときには生きていてよかったと思うことに、巡り会うことだってある。ただしそれも、これも、すべて生きていればの話だ。
だれだって真っ直ぐな道を歩いて、現在に至っているわけではありません。迷ったり、つまずいたり、人には言えない足跡を印しながら歩いている。要はその後の道を見失わなければよいことです。
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