2012年08月28日(火) |
胸に棲む鬼 杉本 苑子 |
奈良や京都に都があった頃の、ちょっと怖くて気味が悪い話の短編集。
○鴨のくる沼 大宰府の防人に徴用されていた間、妻が病弱の母を殺めたという。 そしてその罪をあばき、官に訴え出て嫂を刑死に逐いやったのが妹だという。 だが兵役が終わって家に帰りついて知った事実は妻の無実だった。
○傀儡 傀儡師(くぐつし)の花夜叉は女の奸計に引っかかり、生霊をとりちがえてしまった。
○悲歌観世音寺 女奴隷の赤須は観世音寺の別当に見初められて女奴のまま子を生した。 だが別当が亡くなったあとは忠実な侍者の仮面をかなぐり捨てて、打算に走った腹心の手によって可愛いさかりの娘は高騰している奴隷に売り渡されてしまったのだ。
○鞭を持つ女 疫病に感染し両親をあいついで亡くした珠児が、強欲と評判の高い加々女に引き取られた。 加々女は口汚なく奉公人を罵りながら女手ひとつで商売を切りもりしていたやり手だったが、日ごろに似げなく加々女は珠児を可愛がった。 美しく成長した珠児だったが、養母の加々女以上に強欲な女になっていた。
○紙の鞭 落ちこぼれ留学生だった緒弓と、法相宗の伝習と日本へ経典の請来という大目標を掲げた戒融とがそれぞれ家族と弟子を伴って日本へ帰国するための船に乗り合わせた。 だが暴風雨に見舞われて緒弓の家族が竜神の許しを乞うための犠牲にされた。 それは戒融が二十数年もの間、唐国で命とも思える経典を海に捨てる代わりの処置だった。
○胸に棲む鬼 筑前、志賀島で奇妙な洞窟をみつけたのは大宰小弐の息子秋人だった。 そこで 沖を通る舟子を守る荒神である竜女の忿怒像を祀った厨子を開けてしまった。 祟りを恐れた母は、反対しているのに秋人が結婚したがっている腹ちがいの娘夏羽のことがあったので女神に差し上げてしまいますよ、とつい口にしてしまった。 任務を終えて都に戻った父は出世のために、夏羽を藤原豊成の閨房に送った。 豊成卿を拒んだ夏羽が縊死して、秋人も短剣で咽喉を突いて後を追った。
○猿神の墓 著者が取材を目的とした洛北の大原で世にも奇妙な物語を耳にした。 同行の編集者がトイレを借りた土塀のある家の、大椿の茂みに猿神の墓を見つけた。
○巷説・天満天神縁起 大宰府に左遷された藤原道真の四男・淳茂は友人の紀淑方のもとに身を寄せていた。 その頃 左大臣時平の横死や宇多上皇の女御の急死など、道真の怨念であると噂された。
○鄭兄弟 黄?・白?の兄弟は科挙の試験を受ける為、慶州に向かう途中で獣に襲われそうなとき長安寺の僧に助けられた。 一夜の宿も提供してもらい、新羅の貴族に推薦状を書いてもらえるように教わったのだが、山賊の手にかかった貴族を助けたものの沢に入り込んでしまった。
2012年08月17日(金) |
李 方子 一韓国人として悔いなく 小田部雄次 |
皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)のお妃候補のひとりとして名前が取り沙汰されていた梨本宮守正の長女、方子(まさこ)は学習院女子中等科在学中に李王家最期の皇太子(世子)である李垠と婚約した。だがその事実も、避暑のため梨本宮家大磯別邸に滞在していた1916年(大正5年)8月3日の早朝、手元にあった新聞を何気なく開いて知り、大変ショックを受けた。二人の結婚は、日韓併合後のいわゆる「内鮮一体」を目的とする政略結婚であり、山縣有朋による策略説もあるといわれている。
李垠の父である高宗の逝去などで遅れていた結婚だが、時代を表すように長男の晋の夭逝があったりと波乱万丈だった。 そして日本の敗戦により王族身分を失い、戦後は福祉事業に身を捧げた。
方子も時代に翻弄された人生だったけれど、李垠も11歳のとき伊藤博文に日本に連れてこられて、朝鮮王朝の皇太子でありながら日本の一皇族の扱いをされた。 幸いに死は韓国で迎えられたけれど、人生の大半を日本で過して望郷の念いかばかりだったろうと思う。
韓ドラが好きで 少し前に『明成皇后』という、李垠の父親である高宗の正室の物語を見た。 日本人暴徒に斬殺された明成皇后を嘆き悲しむ高宗が、そんな寂しさを紛らすように手をつけた尚宮が李垠の母親だった。 李垠が生まれて韓国が日本に併合されていく頃でその物語は終わっていたけれど、今回この本を読んだことでまた日本と韓国とのなかなかに深い関係を思ったことだ。
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