2011年12月19日(月) |
草を褥に 小説・牧野富太郎 大原 富枝 |
幕末に高知の造り酒屋の息子としてうまれ、明治、大正、昭和と生きて「植物界の巨人」と呼ばれた異色の植物学者、牧野冨太郎(1862〜1949)と妻の寿衛子の生涯の軌跡。 富太郎の執着しない金銭感覚によって貧窮と縁の切れなかった牧野のユニークな学究生活を背後でを支え、13人の子供を妊娠し(育ったのは6人)、55歳で燃え尽きるように亡くなった妻寿衛子の生き方が、作者の父が富太郎に高知・佐川で教えを乞うたこともあったエピソードも交えての作品。
そしてこの作品が作者の絶筆となった。
牧野富太郎 の同志として、妻として、彼の生涯を守り通してきた妻、高利貸の怒りをいつもなだめ通し、平ぐものように人々に詫びて来、思い屈しては遂に立って待合を営み、夫と子供たちの安心して住むことのできる家を用意してあたえた妻だった。 下谷、谷中の墓地にある寿衛子の墓石には富太郎の句が二句刻まれている。
家守りし妻の恵みやわが学び 世の中のあらん限りやスエコ笹
2011年12月02日(金) |
たまゆら あさのあつこ |
「離さない。絶対に離さない。もう二度と、行かせたりしない」ここから人の世が尽き、山が始まる。そんな境界の家に暮らす老夫婦の元へ、一人の娘が辿り着いた。山に消えた少年を追っていると言う。しかし山はそう簡単には、人を受け入れない。人でなくていいのなら、越えてしまえ-。狂おしいほどの想いにとらわれ、呼ばれるように山へ入った人々の赦しと救いを描く慟哭の物語。(「BOOK」データベースより)
辞書によると ”たまゆら” とは 少しの間。ほんのしばらくとある。 作者がタイトルに ”たまゆら” とつけた理由を私は知りたい。 この作者は山が好きなのか、山に魅入られたのか。 とてつもなく暗い夜のしじまの中にいるが、それでも針の穴のような灯かりだけは見えている・・・ただそこへ行き着くには。。。 私はそんなイメージをこの作者に持っている。
どんなにたくさんの言葉を連ねても、千言万語をを重ねても、心の内を語らなければ本当にしゃべったことにはならない。
人は山と同じほどに深くて、暗くて、底がなくて、わたしなどには、全てを見通すなど、とうていできないのです。
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