2012年01月14日(土) |
シズコさん 佐野 洋子 |
いつだったか、知人に 「家族だからうまくやっていけるとは限らないよ、親子にだって相性というものがあって葛藤を繰返すことは多いよ」 と聞いたことがある。
その時私はふっと気持ちが楽になったことを覚えている。 私は熟年離婚をした両親がキライだったし、そんなふうに両親をキライだったから、因果応報で私も娘に疎まれる親になってしまったのだと自分に言い聞かせていたから。 でもその知人の言葉で私は家族と相性が悪いんだと思うことでいくらか救われたような気になったのだ。
この本の作者も母が好きになれなくて、母の身体に触れなかったとある。 私もそうだった。。。 冬になったらしもやけとあかぎれでぷっくりと赤くなった母の手が子供の頃はそれこそこれが母なんだ、と心から思っていたのにだ。
でも作者は好きになれない母ではあっても老人ホームに入れて、その安くはない費用を自分が負うことで子供としての義務を果たそうとした。 でも そんな気持の中で自分も老いていき、病を得て母の心情が理解できていくのだ。 私もそうだった。 今ならあのときの母の気持が理解できて 「お母ちゃん、しんどかったんだね」と素直に言えそうに思うのだ。
そういう意味でもこの本は、娘と私を、そして母と私との関係を改めて考えさせてくれたように思う。
七十歳になる私は、毎日が恐怖である。もの忘れの加速が尋常ではない。 何かをするために、立ち上がり、立ち上がった時に、何をするのか忘れている。そして、ただ呆然と立っている。 呆け始めの母と同じになってしまった。母は非常に度々、呆然と立っていた。 母が呆然と立っている姿は、周りに五センチ位のもやがとりまいている様だった。 私も同じもやにつつまれているにちがいない。 今、私は年相応の物忘れか、母と同じ痴呆症なのか、区別がつかない。 区別がついてどうだと云うのか。
私も死ぬ。生まれて来ない子供はいるが、死なない人はいない。
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