2011年10月17日(月) |
徳川将軍家十五代のカルテ 篠田 達明 |
整形外科医である作者が徳川十五代将軍全員の持病や死因を現代医学の観点から診断した本。
発掘された遺体や文献をもとに立証される歴代将軍の身長は平均150センチ台、正室・側室の身長は140センチ台で、これは江戸時代の平均身長と一致するようだ。 ただ一人 あの生類憐みの令のときの五代綱吉が128センチしかなく、内分泌の異常によるものだったようだ。
そして九代家重と十三代家定は脳性麻痺だった。 脳性麻痺の将軍をすえたこともスゴイが、 飾り物の将軍でもかまわなかった幕藩体制だったことも面白いところだ。
まぁ 歴代の将軍家にとって、もっとも大事なつとめは政務でも何でもなくただひたすら世継ぎというか子作りに励むことだったようだから。 長生きした将軍は身体壮健でお妾さんも多く、将軍家のもっとも大切な役割をまっとうしたということのようだ。
そして歴代将軍の中に家康ほどの人物はあらわれなかった。 家康以後の将軍たちは二・三を除いて凡庸な人ばかり。 そんな中で将軍家の世継ぎを絶やさぬよう、いじましいほどの努力をした女性たちの涙と汗の跡だったということが言えよう。
火葬が普及し始めた江戸の世、亡くなった人々の体を、焼き場にもちこむ前に湯灌をし、身奇麗にしてから棺に入れる、そんな墓寺があった。
物語の主人公である少女・縁の父親は、妻敵討ちのために、藩を離れて長い旅に出ていた武士だった。しかし道なかばで毒草にあたって、倒れてしまう。はからずもその末期を看取ることとなった寺の人々は、死にゆく男の願いを聞いて、ひとり残された少女の面倒を見ることになる。
縁は最初、艶という名だったが寺の住職・正真によって呼び名は 同じ ”えん”でも、縁という字に変えて、その後 正式に湯灌に携わるようになってからは 正縁 と名乗った。 名前を変えて成長していく出世魚に例えて、名前を変えていくことで 縁は人間として成長していく。 ときに屍洗いと侮蔑されて傷つき、ときに隠された人のつらい秘密に触れて苦しみながらも、心を込めて遺体を清め続ける縁はやがて、その心根の美しさから人々に 三昧聖 と呼ばれるようになる。
読みやすい物語で 江戸の女版『おくりびと』をみているようだった。
|