映画は見ていない。
阪急電車は何度か乗ったことがあるが、今津線は利用していない。
昔、梅田やナンバの雑踏の中に身を置いた時、行き交う大勢の名も知らぬ人々にそれぞれ名前があって家族があって様々な事情があって・・・と考えたら、誰か目に付く人の後をつけていったら面白いだろうなぁと思ったことがある。 もちろん実行などしないが、この『阪急電車』という物語を読んで、ふと思い出したことだ。
本当に面白かった。
人は電車に揺られながら何を思っているだろうか。 ただ単に景色を追っているときもあれば、今の自分の状況を思っていたり、仕事の段取りを考えていたり、家族や愛しいひとのことを思い起こしていたり。 それぞれがそれぞれの人生を紡いでいるのだ。 この物語にもあったように出会いもありそして別れもある。
それにしても、映画の広告でピックアップしていたがウエディングドレスを着て普通電車に乗るか? マリッジブル−でいたときに婚約者を後輩の女に寝取られた。 しかも妊娠した。 いくら敵討ちとはいえ 元婚約者の結婚式に行くためウエディングドレス姿で電車に乗るなど私には出来ない。 まぁ そこがこの小説の面白い展開になっているわけだけれども。。。
2番煎じにならない展開で、どこか他のローカル線も登場させてくれないかなぁ。。。
2011年08月22日(月) |
南大門の墨壺 岩井 三四二 |
物語の最期の2行がこの本のすべてを語っている。
明治十二年(1879)、東大寺南大門を修理した際に、屋根裏から墨壺が発見された。墨壺はその形から室町以前のものと推定されているが、どのような理由でそこに置かれたのかは一切わかっていない。
私はそれが 主人公、夜叉太郎のよき協力者であり理解者であった道念が、夜叉太郎の無念の思いを少しでもはらそうと置いたものであると確信するのだ。
平家侵攻で焼失した東大寺を再建すること、それが東大寺番匠・夜叉太郎にとって死んだ母と妹への鎮魂と、己の腕の見せ所だった。 だが 夜叉太郎は人と接するよりは木と話すほうが気が楽で楽しかった。 腕を認められて連、長、引頭と出世はしていくものの、人にあれこれと指図してはたらかせるのは苦手だった。木は物をいわないが、人は文句を言ったり悪口を吐いたり、果ては殴りかかってきたりする。だから人を使う立場の引頭になどならず、長として木だけを相手にしていればいいようなものだが、因果なことに人に使われるのもきらいなのだ。特に自分より腕前の劣る者に指図されるなど、死んでもご免だと思う。まだしも人を使うほうがいい。そうなると、引頭になって人の上に立つしかない。
東大寺の再建は大勧進の重源が推す宋人のやり方と、日本の匠との間で少々溝ができていた。 宋人たちの集まりである本座と、匠たちの集まりである新座との間で揉め事が起こり、それが南大門での事故にも繋がって夜叉太郎は責任をとらされることになった。
そもそも建てる前から、本座と新座のあいだでいざこざが起こりそうなのが見えていたから、年配の引頭たちは、だれも南大門を引き受けようとしなかったのだ。それで一番若い夜叉太郎にお鉢が回ってきた。 そして 南大門の八十尺下に落ちて死ぬ悲劇が起こったのだ。
今後 東大寺に行って南大門をくぐるたびに夜叉太郎のこと、この物語のことを思い出すだろう。
2011年08月13日(土) |
悪党重源 高橋 直樹 |
中世を創った男
確かに重源は聖僧ではないけれど、平家の焼き討ちにあった東大寺の大勧進を悪党呼ばわりするか、とかなり興味をもって読んだ。 策士というか今でいうところの起業家や事業家のような重源の若き日の物語だった。
大仏が鋳造された時期は、源平争覇の内乱時代でもある。鎌倉で源頼朝が勃興し、平家が壇ノ浦で滅んでいった。そのいくさぶりは現代にまで語り継がれているが、当時の民衆が熱狂したのは大仏再建のほうだ。源氏と平家の合戦など、彼らには何もかかわりもなかった。
そして日本国の面目をかけたこの公共事業が、六十一歳になるまで公職とは無縁だった重源によって請け負われたのだ。 大仏の鋳造が終了すると、重源は続いて大仏殿の造営に着手する。ここでも重源は民衆の期待を裏切らなかった。
重源の大仏再建は、産業を活性化するための下地となる道路や港を整備し、需要地へ向けて商品を大量生産することを可能にした。このとき大仏は日本の経済の中心にあり、産業はその周りを循環していた。人々は大仏へ一方的に奉仕するのではなく、そこに生まれる利益をも得ていたのである。
2011年08月02日(火) |
軍艦島 韓 水山 (ハン スサン) |
長崎の端島というところに海底炭鉱があって そこに戦前 徴用工として連れてこられた朝鮮の人々の物語だった。 戦前の日本は朝鮮の人たちに随分過酷な労働を強いてきた。 この物語も正にそうで 過酷な労働にガマンできなくなって死ぬ覚悟で脱出するも逃げ出した長崎で原爆の被害にあうというものだった。
『軍艦島』━その外観が軍艦に酷似していることからそう呼ばれるようになった。 長崎県の西南端の海上に浮かぶ端島の俗称。 海上に浮かぶコンクリートの不沈艦は、かつて日本の発展を根底から支えた黒ダイヤの島だった。 明治から閉鉱になる昭和49年まで多くのの鉱夫が働いていたが、特にあの大戦で日本の労働者が戦地に赴いたため、鉱山や土木工事の現場では深刻な労働者不足が続いていた。 これを解消するため国が率先して朝鮮人労務者を募集し、送り出しておきながら、表向きはあくまで企業に雇用される形が取られた。だがすべて厳格な国の統制化にあった。アジア侵略戦争を遂行するための国策の一つだった。
原爆に遭った朝鮮人、彼らは母国語で泣き、母国語で呻いた。「アイゴー、アイゴー」と痛がり、「オモニ、オモニ」と母を呼びながら死んでいった。どんな圧制も苦しみも桎梏の歳月もこの母国語は奪い去ることはできなかった。そして救護隊の日本人は「アイゴー、オモニ」と泣き叫ぶ朝鮮人は決して病院に運ばなかった。朝鮮語を話す者には水も食料も与えなかった。彼らは防空壕でさえ追い出された。 このようにして遺棄された朝鮮人は街で、崩壊した建物の瓦礫の下や軒下、橋の下や川辺で死んでいった。 日本人の差別と蔑視のなかで。最期まで取り残された死体も朝鮮人だった。一見、日本人と見まごうが、千切れた服から朝鮮服だとわかったり、アイゴー、オモニという呻き声を聞いたりして救護隊は区別していた。
たくさんの朝鮮人の登場人物がいるけれど主な人物を忘れないために。。。
李 明国(イミョングク) 尹 知相 (ユンチサン) と ひたすら夫の帰りを待つ妻の 崔 書蛍(チェソヒョン) 崔 又碩(チェウソク) と 朝鮮人娼婦の 錦禾 (クムファ)
読後は余りの悲惨なことにかなり動揺しているが、 物語の中で 軍艦島から脱出した 尹 知相 (ユンチサン)を助けた江上夫妻や娘の中田夫婦や拷問を受ける錦禾 (クムファ)に好意的だった島の日本人監督官鈴木のいたことに僅かだけれど救われる想いでいる。
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