読書記録

2011年07月18日(月) 葵の帝 明正天皇       小石 房子


飛鳥奈良時代に6人の女帝がいた。
その古代の女帝は国づくりに参加し、国づくりの原動力ともなっていた。それなのに、江戸時代の女帝は中継ぎとなっていて、陵墓のある泉湧寺には男帝の画像はあるのに、二人の女帝の画像はないというのだ。
そして明治の新政府は女帝を中継ぎと定義付けて、戦後改訂された『皇室典範』でさえ女帝を禁止したままだ。

明正天皇は徳川家康の曾孫で、家康の野望によって誕生した天皇である。
天下の権力を手中にすると、家康は天皇家の権威をもわがものにしようと考え、公武和合の名の下に、二代将軍秀忠の五女和子(まさこ)の入内を画策する。そして紫衣事件によって後水尾天皇が退位して和子の長女女一宮が即位する。それが明正天皇である。

後水尾は、天皇家を思うがままに支配しようとする幕府の専横がゆるせなかった。だから和子を敬遠し、出向くことはしなかった。
けれど幕府を敵にまわしては皇室は立ちゆかない。敵対すれば財政が破綻し、皇室は崩壊するだろう。

女一宮は父と母の葛藤に辟易とし、将軍家と天皇家の相克を嫌悪していた。両家は天下の和平を守らねばならない立場にありながら、血の抗争に明け暮れて溝は深まるばかり。いっそのこと天皇家と将軍家が消滅すれば、父と母のせめぎ合いはなくなり、両家の闘いも終わるだろう。女一宮はそう思った。




私は女性を主人公にした物語が好きなので、江戸時代の女帝が登場する物語はないものかと捜していた。
明正天皇の母である東福門院和子の物語はあるのだから。

明正天皇もこの物語も何気に地味な存在だが私は感慨深く読んだ。

男達の野望で作られていった歴史はいつの時代も女の犠牲によって存在するのだと改めて感じたことだ。








2011年07月06日(水) 母  ━オモニ━          姜尚中





 たまにテレビで経済評論家としての丹精なお顔と静かな語り口のお姿を見る。この本は姜尚中の自伝的小説だ。

朝鮮の人が戦前、日本に来て筆舌に尽しがたい苦労をされたことは理解している。
姜尚中の両親は植民地時代の朝鮮から、仕事を求めて日本に来た。しかし、日本でまともな仕事があるはずはなく、両親は苦労に苦労を重ねる。
戦時下の 戦争で溢れる廃材を転売しようと思いついた廃品回収の仕事が、ようやく軌道に乗ったのは戦後しばらく経ってからであった。
しかし読み書きの出来ないオモニの努力は並大抵でなかった。メモをとることさえ出来ないので、商売相手に騙されごまかされることはしばしばだった。
それでも持ち前の勤勉と努力が報われ商売は軌道にのり、作者である息子も熊本から東京の大学にいかせることができた。


そしてオモニが亡くなって遺品の中から見つかったテープは、文字の書けなかった母から息子への遺言だった・・・。
そのテープを聞いた作者が最終的に思いついたことはオモニの本を書くことだった。



どんなところに生きていても、陽は昇り、そして陽は沈む。変哲もないありふれたことだ。
でも、その当たり前を当たり前と思えなかったのはなぜだろう。そうだ、ありのままでいいんだ、ありのままで。父と母がこの国で生まれ、そしてわたしは偶さか日本で生まれた。ただ、それだけのことじゃないか。ならばありのままで生きよう


「永野鉄男か……。でも姜尚中じゃないか。どちらも本当の自分なんだぞ。ならばどうしてそんなに姜尚中から逃げてきたんだ。逃げなくてもいい、ありのままでいいんだ。ならば永野鉄男でいいじゃないか。いや、違う。それなら今までと同じだ。変わろう、変わるんだ」











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