2011年06月28日(火) |
深重の橋(じんじゅうのはし) 澤田 ふじ子 |
以前この作者の『天の鎖』という物語を読んだが、 今回の物語も同じく ”牛”と言う名の底辺に生きているけれど自分の立場をよく理解したうえでしっかりおのれの信念を持った男性が主人公になっている。
人買いに売られた 牛 が おなじように人買いに売られて湯屋で働く垢かき女の もも と逃げたはいいが、発見されてそれからは二度とももには会えなかった。 牛 も助けてくれる人がいて 牛ゆえに多くの人から認められる人間に成長してはいくが、五十六歳で病で死ぬという設定に、ハッピーエンドには終わらせなかった作者の意図が分かるような気がした。
時代背景やその当時の京都の様子、応仁の乱の描写など、まるで歴史ガイドのような文が随所にあってそれはそれでよく理解できたけれど、その分 牛とももの物語が寂しくなったように思う。
生まれてこのかた、自分の前を多くの人々がさまざまな死にざまを見せ、あの世にと消えていった。 (中略) 自分の人生を考えるとき、それらの人々は、自分には幾つにも重なる深重の橋だった。 自分は血塗られたそんな人々を橋とし、この世を幸運にも、多くの人々に助けられ渡ってきたような気がする。
人は成功するとで出自を飾りたがり、嫌な事実や汚名に近いことには、触れたがらないものである。
2011年06月17日(金) |
千思万考 黒鉄 ヒロシ |
テレビ番組の人気コーナーを1冊にまとめた本。 私はこの番組を見ていなかったから単行本になって初めて知った。 歴史で遊ぶ39のメッセージとして、戦国時代から明治までの34名と 源義経と楠正成が取り上げられていた。 史実と人物評を織り交ぜて書かれていてとても読みやすい。 マンガ家である作者自身によるカラーイラストもよかった。 歴史にその名を残した傑出した男たちの生き様は本当に興味深い。
作者も歴史がお好きでかなりいろいろな歴史書を読みこなしておられるのだろうと推察する。 それぞれの歴史上の人物につけられたタイトルというか、駄ジャレも面白かった。
信長は OH!ダ!NO!武・名・我
秀吉は 戦国ダービー、勝馬ヒデヨシ号
家康は イエヤース、orノー
幸村は 秘薬「真田丸」
勝海舟は 回収、改修、海舟 ・・・等々。
作者の祖父敬亭は時代遅れの生活力を欠いた漢学者だった。 そして作者の父になる敬亭の子菰川は苦学して京都大学を出た。 菰川は、明治末年の東京で「二六新報」の論説記者をし、大正のはじめ、妻マサヨとのあいだに作者をもうけるが、作者が生まれて3ヶ月で急死した。 生母が再婚して家を去り祖母も亡くし、祖父に連れられ放浪していた。祖父「敬亭」は生活能力のない変わりもので、収入もなく、知人に無心して放浪して回る日々。それに手を引かれついていく作者なのだが、この敬亭は金銭の勘定も出来ないので、年齢一桁の作者がカネを管理している始末だった。 その祖父も放浪の中で亡くし、親戚に預けられて 無事成人した。 やがて祖父の残した膨大な資料を手にして祖父と夭逝した父の足跡を追うのがこの物語だ。
そして敬亭の著書に「虹滅」という造語が現れることに気がつく。辞書には載っていない、「虹滅」という造語は若くして死んだ息子、「菰川」のことを「俄に虹滅し去る」と表現したのだ。 虹のようにあっというまに滅びたということだ。・・・なんと、切ない言葉だろうか。
この ”虹滅”という二字は、祖父から父へ、父から作者へと移植された皮膚そのものだと、 巻末エッセイで司馬遼太郎は書いている。
祖父敬亭の日記から
祖母も亡くして放浪中に、祖父はある知人の家を訪ねたとき、幼い作者を門外に残したのだが、その時に敬亭は一人むしずしと玉子むし(茶碗むし?)を馳走になる。 それを申し訳なく思ったのか、翌日、祖父は飯屋で孫である作者に、大金50銭を払ってむしずしと玉子むしを食べさせ、自分は安いものを食べる。
このくだりを読んだ作者は祖父の思いに号泣しそうになる、という。
わずかな記憶に残る祖父への思いと、人間のするちょっとしたことがとても愛しいと思うのだ。
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