2011年05月28日(土) |
遣唐大使 中嶋 邦弘 |
〜平城の華、長安の夢〜
光仁天皇の御世、山部親王(後の桓武天皇)の密命をおびて、身代わりの皇族(他戸皇子)となり遣唐大使として渡唐した藤原葛野麻呂は、唐・代宗皇帝の愛姫の婿選び争いに勝ち、婚約して帰国するが、その途上で船の難破に乗じて行方不明となり、歴史の闇に消えた。 やがて27年の歳月が流れ、桓武天皇の御世、今度は正式に延暦の遣唐大使となった葛野麻呂は懐かしい再会を胸に秘めて再入唐した…。
物語の主人公、藤原葛野麻呂は実在人物だが、架空の人物も多く登場するが、数年前に墓誌が発見され話題になった井眞成(せいしんせい)が登場する場面などは、奈良国立博物館でその存在を初めて知ったのでとても興味深く読んだ。 作者は歴史的事実は曲げず、不明の部分に想像をふくらませた、 「歴史ロマンですよ」と語られたというがほんとうに歴史はロマンなのだ。
日本書記などの歴史書に数行残されている記述から私達がとても考えつかないような歴史の展開をほんとうに面白く小説にして貰えて何と有難いことかといつも思うのだ。 今回も読みながら 歴史小説とは 犯人のいないミステリーだと強く感じた。
高校2年生の高志はふとしたハズミで担任教師を刺してしまい、退校処分を受けた。 高志を引き取りに行った父、竹一は妻と娘の待つ家には帰らず、自分の故郷へ向けた父と子の旅に出た。 途中 会津に住んでいる下の弟の梅三.一ノ関に住んでいる妹の藤子、盛岡に住んでいる姉の百合、そして最期に自分を生み育て上の弟桐二の住む阿慈へと向かった。 若い頃 竹一が捨てた故郷は人から蔑まれるオンボーと言われる火葬場が家業だったのだ。 竹一は兄弟やその子ども達と久しぶりの再会をし、頑な高志とも自分の思いやいろんな話しをしながら旅をしていくのだ。
この小説は1980年1月1日から同年10月31日まで朝日新聞で連載されていたらしい。 そして1983年には竹一・小林桂樹、高志・中井貴一で映画化もされていたらしい。 知らなかったなぁ。 そして・・・私はこの小説を読みながらタイトルの『父と子』ではないが何を期待しているのだろう、という思いがずっとあった。 それにしてもまるで映画を見ているような、そんな感じのとても読みやすい小説だった。
「うまれたところだから、悲しんでもしかたねえべ。人間はどこさうまれても、父さん母さんのいたところが、在所だわさ」
「百合さんはオンボーの子だから虫けらみてにいわれて不幸だったといいなはるが……そんなことはない……ヤキバほど大切な所はねえもの。一生医者にかからねえ達者な人でもヤキバだけは一どは厄介になるだでね。そったら大事な家の子がどうして虫けらだべかのう」
「むかしの話をしていると、元気が出るんだ。むかしの話に、いっぱい活力のもとがあるんだ」
2011年05月11日(水) |
椿の海の記 石牟礼 道子 |
水俣病によって破壊される以前の水俣の自然豊かな情景が作者の素晴らしい表現で綴られている。 作者の幼いころの記憶だそうだが何と感受性の素晴らしい少女であることよ。
解説には、昭和のはじめごろの、急速に没落していく作者の家の暮らしと、周囲の人間関係を中心にして、「ほのぐらい生命線と吸引しあっている」魂のまどろみと半醒の時代がじつにこまやかな筆つかいで書かれている。水俣病を生みだす日本窒素肥料株式会社の姿も、新参のめずらしい会社というかたちで後景にちらちらしはじめているが、もちろんだれひとりそこから吐き出される毒の存在に気づいてはいない、 とある。
この作者は水俣病をテーマにした『苦界浄土』を書いていて、それゆえそれ以前の日本の原風景のようなものを魂のまどろみと評されるのだろう。 しかし、そこには現代の日本社会における人々の生活では想像できないような、人々の心の豊かさが存在していた、ということに気付かされる。現代日本の物質的刺激の多い消費社会とは異なる、平々凡々のありふれた日常の中でも、心豊かに力強く生きている人々の姿が心打たれるのである。
文中の言葉や文章は、しばしば、うららかな春の中空に響く不思議に澄んだ調べのようにも思え、またなまなましく同時に気遠い地中の叫び声のような感じがする、と私が読みながら感じていて表現できない思いを解説してくれている。
人間はたったひとりでこの世に生まれ落ちて来て、大人になるほどに泣いたり舞うたりする。そのようなものたちをつくり出してくる生命界のみなもとを思っただけでも、言葉でこの世をあらわすことは、千年たっても万年たっても出来そうになかった。
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