私は兼家・道兼親子に無理やり皇位から引き摺り下ろされた花山天皇が, 世の無常を感じ西国三十三カ所巡礼めぐりの札所を決めたのだと思っていた。 二十年以上も前に子どもたちを連れて三十三カ所の札所めぐりをしていたときに主人と 「今でもこんなにしんどい場所があるのに、あの車もない時代にようもこうしてお寺参りをして何と信心深い天皇さんやったんやろう」と 話した覚えがある。
今回この本を読んで、物狂い女狂いといわれた法皇がそれでも浄土を信じて観音霊場めぐりをしたことは事実なのだからそれでいいのでは思うのだ。 まぁ この物語ではそういう部分はキレイに書いてあるんだけど。
それにしても花山院の厳しい修行ぶりには驚かされる。 そして、花山院に仏心を吹き込んだものとして、厳久という僧が登場することなど何とうまいんだろうと思ってしまった。 生まれながらに天皇になる花山院と、食うていくがために僧になった厳久とは正反対のようで似ている、対になるものなのだろう。
やっぱり歴史というものは 一方的に片側からだけ見てはいけないというか、私たちの知らない本当の歴史が埋もれているということだろう。
よろず代も いかでかはてのなかるべき 仏に君は はやくなるらむ (終わりのない人生はない。あなたもいずれ仏になる。だから少しでも早く荒ぶる情欲をお鎮めください)
煩悩即菩薩 菩薩即煩悩
2011年01月15日(土) |
大和寸感 奈良・大和路の昭和春秋 青山 茂 |
『奈良県観光』に昭和51年から平成元年まで13年と8カ月、160回余にわたって執筆されたコラムをまとめたもので、 著者は「一寸の虫」の魂を込めて書き続けた、過ぎ去りし「昭和」の奈良・大和路、その文化と観光と記す。
平成元年に廃刊となったこの『奈良県観光』という月刊誌を本当に残念なことだが私は知らなかった。 新聞社の奈良支局からスタートして 新聞記者としていろいろなイベントを手がけてきた作者ゆえに、私たちの知らない知りえなかった裏話や苦労話しが満載でとても面白く読んだ。
大和に残る多くの文化財が、ただ偶然に残ったのではなく、その地元の人たちの思慕の情で守られてきたということを忘れてはならない。
歴史の知識としては、東大寺は聖武天皇の勅願で創建され、法隆寺は聖徳太子ゆかりの寺ではあろう。 それはそれでよいのだが、歴史で往々欠落しているのは、仏像は仏師が造り、堂塔は棟梁や大工が建てた、という事実ではないだろうか。 歴史の表層から、ともすれば沈み埋もれていく人たちの学問を超越した経験の集積こそ、ある意味では歴史の実在ではないのか。
大仏商売という言葉もあって 寺の拝観料を取ってしまえばそれでしまい、土産物を売ればそれで終わり、といったような不遜な驕った気持に堕っていないだろうか。 奈良や大和はどこにも負けない一級品の文化財をもっているのだから、 それに負けないくらいの気持で向き合わなければいけないとも書いている。
2011年01月04日(火) |
西行 月に恋する 三田誠広 |
願わくば花の下にて春死なんその如月の望月のころ
西行の有名なこの句にひかれて西行の物語を何冊読んだことだろう。 今まで読んだ西行の物語と比べたら、今回の物語は読みやすい分、西行の出家の様子や待賢門院璋子への思慕の描写が弱いように感じた。 希望としてはもう少し過激というか粘っこく表現してほしかった。
あとがきで本書は歴史小説ではあるが歴史そのままではなく、話しを面白くするために作者の想像力による虚構がまじえてある、と記されているがどの登場人物もさらりさらりと生きているように思ったことだ。
「わたしが月ならば十六夜か立ち待ちの月でしょう」 十五夜の満月は日没と同時に東の空に昇ってくる。欠け始めた時はしだいに昇る時刻が遅くなっていく。十七夜の月を立ち待ち、十八夜の月を居待ち、それ以後の月を寝待ちと呼ぶ。璋子はわが身を盛りの過ぎた月にたとえたのだ。
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