2010年12月26日(日) |
うらおもて人生録 色川 武大 |
私は麻雀をしないけれど阿佐田哲也という名前くらいは知っている。 この本の著者の別名だそうな。 いくたびか人生の裏街道に踏み迷い、バクチ勝負の修羅場をくぐり抜けてきた著者が、特に若い人に送る言葉になっている。 だから内容のほとんどが語りかけているような綴りになっている。
たとえば、今生まれたばかりの赤ん坊だって、行き続けている以上、親の努力とはまたべつに、運の力も使っているんだな。 平和な時代に生きていると、まず生きているということが根底にあって、問題はどういうふうに生きるかということだと思うかもしれないけれど、ただ単に生きているということがすでにしてかなりの運を使っている、そういうふうに思う必要があるんじゃないかな。 だから九勝六敗でも、八勝七敗でも、勝ち越すということが、むずかしく貴重なものになってくるわけだね。生きている、という団塊で相応の運を消費していて、そのうえに、いかに生くべきか、というところで勝ち越しを狙わなければならないのだから。
討てば、討たれる。 討たれても、いつかまた討てる。 これは、若い人が誰でもいつか老いていくくらい確かなことだ。 苦あれば楽あり、楽あれば苦あり。 失敗は成功の因。 昔の人が、その認識をいろいろな言葉にしているだろう。 苦あれば楽、楽あれば苦、それじゃどっちにしたって、もとっこじゃないか、というんだがね。 だから、人生、おおざっぱにいって、五分五分だといったろう。 でも、これは虚無(むなしさ)じゃないんだよ。原理なんだ。苦と楽は、表生地と裏生地のようにひっついているんだ。 それでね、苦と楽がワンセットならどっちが先でも同じだ、人生どうでもいいや、ということにはならないだろう。どうせ老いて死ぬのなら、どう生きたって同じだ、ってことにはならない。 結局もとっこだとわかっているけれど、がんばってみよう。 この思いの深さが、その人のスケールになるんだ。
2010年12月12日(日) |
白き瓶 小説 長塚 節 藤沢周平 |
文庫の裏表紙の解説には 三十七年の短い生涯を旅と作歌に捧げ、妻子をもつことなく逝った長塚節。 清潔な風貌とこわれやすい身体をもつ彼は、みずから好んでうたった白埴の瓶に似ていたかもしれない。 とある。
私は長塚節 の『土』 も歌も読んだことはないが、藤沢周平の作品ということで興味をもった。 やはり節の生家である茨城県結城(ゆうき)郡国生(こっしょう)村の情景や、節の人となりの描写が素晴らしいものだった。 そして伊藤左千夫と、「アララギ」の若い歌人たちが、歌をめぐる論争から きわめて人間くさいどろどろした言葉の投げ合いにまで踏み込んでいた。
普通のひととは逆に、家は節にとって絶え間ない緊張を強いられる場所だった。農事の管理、借財のやりくり、親戚づき合い、そして病身の父母、病身の自分、どの1カ所がバランスを失ってもがらがらと崩壊してしまいそうな長塚という家を支えるために、節の気持はいつも張りつめて身構えていなければならないのである。長い間節はそうして来たのだ。
そして 節が咽頭性結核と診断を下されて命の終焉を告げられたときの描写が、比べるべきもないけれど・・・私が電車に飛び込みたいと思ったときの心の有り様そのままだったことを思い出した。
━みんな、こともなく生きている。 と思った。病気などということは知らぬげに、屈託なさそうに、いきいきと歩き回っている人びとがうらやましかった。節は自分を、冬の枯木のように感じ、すでに眼の前の日常の光景と、住む世界をへだてられてしまったような心細さを感じていた。掌にあたる日もつめたかった。
街は、たったいま寿命はせいぜい一年ほどと宣告されて来た節には無関心に、雑踏し、いきいきと動いていた。
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