羽黒山五重塔仄聞
仄聞とは辞書によると 少し耳にはいること。人づてやうわさなどで聞くこと。 ほのかに聞くこと。ちらっと聞くこと。うわさに聞くこと。
なるほどなぁ、今回の文章の進め方は幾人かの登場人物の仄聞だと気づかされる。 みんなが主人公で 少しずつ登場する。 それゆえ 私には今ひとつ筋書きが分からないでいる。
風が動かぬ。風の淀む場所だから、谷は雪が積もる。 昔、国分寺や国分尼寺を建立するとき、土地を占うのに、風当たりの少ないところ(風、つまり台風の通り道でないこと)、そして、眺めのよいところを選んだ。 景色がよいというのは主観ではない。人人の暮らし(雑踏)から離れた、清らかな、浄土を思わせる場所を選んだ。
大きな建造物は、思い立ったとき、急には着手できない。気の遠くなるような関係者の尽力と、熱い思いがあってはじめて実行できる。
2010年10月23日(土) |
見残しの塔 久木 綾子 |
周防国五重塔縁起
人は流転し、消え失せ、跡に塔が残った。 塔の名を瑠璃光寺五重塔という。室町中期、寺は香積寺と号した。守護大名大内氏一族興亡の歴史を秘めた国宝の寺である。歳月が塔の朱を洗い流し、素木に還し、古色を加えたが、美形は変わらない。
大内氏心願の五重塔を山口に建立すべく参集した周防番匠がいた。 九州脊梁山系の稜線が南北に走るところに椎葉村があった。 そこの神主の子として産まれた左右近(そうちか)は、外腹だったこともあって豊後竹田に大工の修行に出た。 神社仏閣は人出がたくさん要る。 形の残る仕事は羨ましい。
五重塔は、その姿を見た人間には「見残し」だが、巡り合えなかった者には、この世に思いを残す 「見残し」の塔だと考えた。
何よりすごいのは作者が70歳を過ぎてからの作品で、構想14年、執筆4年ということである。 いくら若い頃に文芸活動をしていたと言っても賞賛意外の何物でもない。 そして何より 平成二年初夏、山口で仰いだ瑠璃光寺の五重塔は、私には、この世とあの世の境に立つ、結界に見えました、で 始まる詳しいあとがきがいい。 何度の何度も現地に足を運びさまざまなその道の達人たちから教えを請い質問し、勉強されたあかしの物語を読める幸せ。 やっぱり本っていいなぁ、と改めて至福のひとときを味わったことだ。
2010年10月11日(月) |
飛鳥の風 吉田 知子 |
飛鳥時代は「歴史」という壮大な大絵巻の中で、ひときわ鮮やかに輝いている。 天皇家は帝位を守るために、あるいは奪うために、はてしなく血のつながる者を消していき、尊い血筋の姫たちは夫ある身となっても他の男への激しい恋うたを作る。 人間がもっとも人間らしく生きた時代、恋と血と戦さと歌の時代。活気に満ちた美しい飛鳥。
作者あとがきより
持統女帝が主人公なのだが、壬申の乱も大津皇子のことも、そして草壁皇子のこともさらりさらりと書いてあるように感じた。 タイトルのあるように ほんとうに飛鳥の風のような物語だった。 私は・・ 大津皇子に無実の罪を着せた女帝は好きではない。 姉の大田皇女が早死にしなければ・・・といつも思う。 大津皇子の姉、大伯皇女の物語を誰か書いてくれないかなぁ。。。
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