読書記録

2010年04月20日(火) 源氏がたり(三)          田辺 聖子

 読書が好きで、それでも自分の好みだけの物語は読んでいるが『源氏物語』は私にとって何気に敷居の高い本だった。
とくに女流作家と呼ばれる人たちがそれぞれに『源氏物語』の解釈をしてくださっているが、どうも平安時代のあの奔放な恋愛が好きになれないでいるからだ。
 そしていつでも読める・・つもりで敬遠していたけれど、最近思うところあり・・・で『宇治十帖』を読んでみた。
今回、私が読んだ田辺聖子さんの『源氏がたり』は とても読みやすくて有難かった。
 執筆のほかにも某ホテルで毎月一回、三年間(三十六回・毎回九十分に分けて)にわたって『源氏物語』を語ってこられた、とあとがきで知った。
 それがCDになっているようなので出来ることなら手に入れたいと思っている。



 光源氏が亡くなったあと、源氏に匹敵する人はいませんでした。ただ、源氏の孫にあたる匂君と、源氏の晩年にできた"息子”の薫の君が、美々しい青年に生い立っています。
 
 匂宮は、今上の帝の第三皇子で、母君は明石の中宮です。帝と中宮のあいだには、四皇子と一皇女がお生まれになりました。最初に東宮に立たれた一の宮と、やがて東宮になる二の宮がいられますが、帝と中宮が一番可愛がっていられるのは、三の宮(匂宮)でした。

 源氏が晩年に迎えた正室の女三の宮と、柏木(源氏の親友でライバル、頭の中将の息子)とのあいだにひそかにできたのが薫の君です。
源氏はいろいろな人に(薫をよろしく)と頼んで死にました。もちろん、自分の子ではないと知っていましたが、表向きは源氏晩年の子、と思われています。










2010年04月02日(金) 鏡川            安岡章太郎


 私の胸中にはいくつかの川が流れている。
幼き日に見た真間川、蕪村の愛した淀川、そして母の実家の前を流れる鏡川だ――。
 
 昔々しきりに思ふ慈母の恩
 慈母の懐袍別に春あり
と、この文を執筆している頃に住んでいた多摩川べりの堤を散歩しながら蕪村の句を引用する。

誰にでも心の原風景というものがあるのだろうが、作者の場合は生れ故郷の高知を流れている鏡川ということか。
そして母方の祖である入交千別と、郷里の丸岡莞爾 そして西山麓のことは特に思い入れ深く書かれていた。

作者である安岡章太郎には多くの書き物があるが、常にこの西山麓の存在が胸にあったろうと容易に推察される。


 以下、私の覚書
安岡章太郎の母方の祖父・入交千別(いりまじり・ちわき)は久万郷士出身で、義弟片岡直温(昭和恐慌時の大蔵大臣)を頼って日本生命に入り、後47歳から鏡川畔で30年余りの余生を暮らす。
三女桓が山北郷士出身の安岡章と結婚してもうけたのが安岡章太郎である。 ...

 丸岡莞爾 (まるおか・かんじ)
1836〜1898(天保7〜明治31.3.5) 第7代沖縄県知事。土佐藩生まれ。
4カ年の県知事在任中に、沖縄県酒類出港税則実施、甘蔗作付制限及び禁止令の廃止など旧慣の改廃を断行。
波上宮をもって皇民化普及の材とした。

 西山麓
丸岡莞爾 の甥で卓抜した漢詩人にして希代の樹懶(なまけもの)、晩年は葬式の旗持ちをした.











 < 過去  INDEX  未来 >


fuu [MAIL]