母親の多くは、なんらかの形で夢を見ている。 夢を見ている母親の多くは、自分がどのような夢を見ているのかさえも、 理解していない。ただ時々、あらぬ方を見ている。 それは多く、「現実」という方向である。 「子供をちゃんと育て上げなければならない」という「現実」 「自分と夫の生活を、堅固に支え上げなければならない」という「現実」。それが「現実」であるがために、母親の多くは、それが「あらぬ方」であるなどとは思わない。 そして、その母親達に、彼女達の現実と、彼女達が「現実」と思うものの 間にあるずれを教えてくれる者はいない。 誰もが「あらぬ方」を見ている時、その「あらぬ方」はまぎれもなく「現実」になる。 そしてしかし、その母親達は、やはり「あらぬ方」をみているのである。
何か屁理屈をこねたような文章の続く物語だと思っていた。 そしてそこから生まれた作者の作り上げた二人の母親が主人公の物語なのだと思っていた。 ところが最期の10ページくらいですごい謎解きの展開になった。 確か秋田のほうで、自分の娘を橋から突き落として死亡させた母親が連続子供殺害事件を装って近所の男の子も殺害してしまった事件があった。 そして 東京で美人の妻がエリートの夫をワインの瓶でなぐり殺してしまった事件も。 何とこの子供と夫を殺してしまった女性の母親達が中学校の同級生だったというのだ。
もちろん 作者はこのふたつの事件を作者なりに調べたことだろうとは思うけれどどこまでが真実なのかは私には分からない。 私はこの二つの事件を覚えてはいるがテレビのニュースとワイドショーで知ったくらいのもので、毎日の流される生活の中では自分には全く関係のない事件だ。 だが最期の謎解きを読んでからは ずっと感じていた屁理屈を並べたような文章に表現されていた深層心理のようなものが我が身にもあったことだと はっきり思い知らされた。
2010年03月12日(金) |
建礼門院右京大夫 大原 富枝 |
父の書と、母の箏の琴(十三絃)を受け継いだ右京大夫は十六歳で、ときの帝高倉天皇の中宮徳子(後の建礼門院)の御所へ宮使えに出た。 そこで栄華を極める平家の若き貴公子・資盛を愛し、年上の芸術家・藤原隆信に愛され絵巻のような日々を過ごしていた。 その後、平家が壇ノ浦で滅亡してからはただひたすらに資盛を偲ぶ悲歎の日々になった。
心にもあらぬ別れの悲しきは見はてぬ夢のここちこそすれ
花の方こそ、人のいのちの盛りの短いことをあわれに思ったにちがいない。花には萎んでもまた新しい朝に咲き変わるいのちがある。人の愛は一度萎んだら再び生き返り、咲き代ることはない。
歴史は人間の、こうありたい、こう生きたいと願いながら、実現できなかった恨みの積み重なったものなのだ。
夜もすがら思いを重ね、瞼も合わぬ心地がしているけれど、いつのまにか疲れ果てて眠ったと見え、深い水底からゆっくり浮かび上がってくるような思いで目覚めがやってくる。まだ半ばは眠っていて、半ばは醒めつつ、しかも心はすでにすすり泣いているのであった。たとえようもなく悲しいことが自分の心にあることを、わたくしの魂は眠っていても忘れることはないのであった。 むしろ、完全に醒めてしまったときよりも、半ば眠っているときの方が、心が何物にも捉われず、浮世の義理や世間体なども思わず、純一にひたすら悲しんでいる。そのことにわれと気がつく。醒めきる瞬間の侘しさは、たとえようがなかった。
随所に右京大夫や資盛、隆信の歌が盛り込まれていて作者の想いが滲み出るような物語だった。
そしてあとがきに次の文がある。
寂光院の門前の小径の奥、せまってくる山の斜面の石段の上の一群の石塔がある。 苔むした宝珠と笠石の小さい墓石が仲良く、肩を寄せ合い、いたわり合うように四基並んでいる。 女院に奉仕してともにこの地に生命を終えた、阿波内侍(藤原信西の女)、大納言佐局(平重衡の妻・安徳帝乳母)、治路卿局、そして建礼門院右京大夫の墓であると里人は伝えている。
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