2010年01月28日(木) |
源平六花撰 奥山 景布子 |
源平ゆかりの6人の女性の物語。 いずれも心に染み入る切ない物語だった。
*常緑樹(ときわぎ) 常磐御前と呼ばれた義経の母。 源義朝との間に三人、平清盛との間に一人、生す子生す子を次々と身から離されていく拙き宿世に、今また一条大蔵卿へ嫁ぐ身になろうとは。
鼻の下の長成と笑わば笑え、言えば言え。 命長成、気も長成、ただ楽しみは狂言舞。 <一条大蔵ものがたり>
*啼く声に 鹿ケ谷騒動で喜界ヶ島に流罪となった成経と島の娘はわりない仲となった。 ご赦免になった成経は島の娘千鳥を伴って都へ帰った。 でも都の生活に馴染めなかった千鳥は、お赦しがなく島から帰れなかった 俊寛の娘にあったことで島へ帰る決心をしたのだった。
浜の真砂に伏しまろび、焦がれても叫びても、 あわれとぶらう人とても、啼く音は鴎、天津雁、 誘うはおのが友千鳥、ひとりを捨てて沖津波。 <俊寛>
*平家蟹異聞 屋島で那須与一が船上の扇を矢で射抜いたことは余りにも有名だが、その扇を持っていた平家の女人は・・。 松虫・鈴虫の姉妹は都を出て浜辺の苫屋で日々の糧を得ていた。 ある時 土地の長に請われた酒膳の席は忘れもしない与一の御前だった。
おお、蟹……。私を案内してたもるか。して、どこへ……。 海へゆくのか。よい、よい。……浪の底にも都はある。 <平家蟹>
*二人静 静さまはまた我が君を、恋い慕う調べの音、 変わらぬ音色と聞こゆれども、この耳へは両親が、 物言う声と聞こゆるゆえ、呼び返されて、幾度か。 <義経千本桜>
*冥きより 相模の夫は勇猛を謳われた坂東武者の熊谷次郎直実だった。 だが夫は紅顔の美少年、清盛公の甥平敦盛の首を落としたことから悪夢にうなされていた。 悪夢彷徨の後 直実は出家して蓮生と名乗り仏の道に入った。
花は惜しめど花よりも、惜しむ子を捨て武士を捨て、 住処さえ定めなき、有為転変の、世の中じゃなぁ。 <熊谷陣屋>
*後れ子 十五の時、漸く十になるという帝と並ばされてからもなかなか子には恵まれず、いらいらとした父からは後れ子かと言われているようであった。 そして母が幼い帝と海に消えたことも我は, 死に後れているように思う日々だ。 朝とは、音で始まるもの。昼は、光で知るもの。夜とは匂いに満ちるもの。 ……詩歌に詠まれぬ、名も知れぬ花や木が、沢山ござりまする。
ああ、なんというはればれした……。 ……お父さま。 <建礼門院>
2010年01月10日(日) |
葛野盛衰記 森谷 明子 |
あの平忠盛・清盛は桓武天皇を祖としていた。 物語は盛衰記の名の通り、起こりである桓武天皇の時代から滅亡の時代までを、主流からちょっと離れた5つの視点から語られていた。 長岡京が築かれる里に暮らす多治比の一族の娘・伽耶。 薬子の変の藤原薬子の元夫・藤原縄主。 嵯峨天皇の皇女で初代賀茂斎院となった有智子。 平忠盛の妻、平清盛の継母・宗子。 清盛の異母弟・平頼盛。 それは多治比、平氏という一族の盛衰だった。
読んでいる途中で ちょっと気になるので調べてみたら作者はミステリーを得意としていた。 なるほど・・と物語の筋がつかめた気がした。 長岡京遷都に苦労した桓武天皇お気に入りの藤原種継の暗殺犯を、多治比一族の耀(あかる)という設定にした。 何と・・という思い・・。 あらためて作者の思いに眼からうろこの感じ・・。
人は人を呼び、やがてその土地には地霊が力を張ってゆく。ますます人を呼び寄せる。それが都です。われらは、それを夢見て、木をはぐくむように長い年月をかけて、葛野(かどの)の地に都を根付かせてきました。それまでの都のように、上に立つ者が争いあって地の力を削いだりしないように、誰もが怨霊を恐れるようにしむけ、戦乱のない都を作り上げました。その我らの息の長いやり方を、平氏の方々はわずか数十年で根こそぎ変えてしまわれた。だから、都はほころび始めたのです。
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