2008年10月30日(木) |
奸婦にあらず 諸田 玲子 |
国語辞典によると 奸婦とは悪賢い、毒婦、悪婦とある。 要は女であることを武器に男をたぶらかすということなのか。 この物語の主人公である村山たか女とは 若き日の井伊直弼の思い人であり、それ以前には直弼の兄である直亮の側に上がり、そして直弼と別れたあとには直弼が師とも仰ぐ長野主膳とも関係があった。 でもそれはたかが多賀大社の防人というか密偵という立場ゆえのことでもあった。だが 直弼への思いだけは一人の女のそれであったということだ。 安政の大獄が正しかったのかどうか・・、井伊直弼が桜田門で死ななくてはならなかったことも運命なのか、それは私には分かるはずもないけれど、時たま耳にする「人にはそれぞれ持って生まれた役割というものがある」という言葉が強く私の胸に残るのだ。 それにしても生き晒しとは・・。 『この女、長野主膳妾にして、戌午年より以来、主膳の奸計を相い働き、まれなる大胆不敵の所業これあり、赦すべからざる罪科候えども、その身女子たるをもって、面縛の上、死罪一等を減ず』
大獄が正しかったのかまちがっていたのか、源左衛門はわからなかった。世の中の動きはめまぐるしい。善悪は風に舞う落ち葉のように忙しく、表になり裏になる。だがたとえまちがいであっても、たかや帯刀に罪があるとは思えなかった。凡夫の自分には今の虚しさを表す言葉が見つからない。
今の世に命をかけて守るもの・・体を張って生きていく・・ということの緊張感は薄いが、別な意味では今の時代も生き難いものだ。 だが幕末という特別な時代を生きた人達の生き様もこうした物語を通してみれば、少々うらやましい思いも私はするのだ。
飛鳥川昨日の淵は今日の瀬と 変わるならひを我が身にぞ見る 主膳・辞世
2008年10月16日(木) |
大欲 小説河村瑞賢 峯崎 淳 |
今でいうところのフリーターから身を起こして、政府もこの人の力と才智がなければ公共工事を完成できないくらいのゼネコンの親分になった人物ということか。 瑞賢は、七兵衛・十右衛門・瑞賢と出世していくたびに名を変えていくが元和3年(1617)伊勢国に生まれ、後に江戸へ出て土木建築を請け負い、巨富を得て江戸屈指の材木問屋となった。 彼の才知は、海運・治水の事業に最も発揮された。 日本海沿岸から江戸へ年貢米を運ぶ東廻ひがしまわり航路、西廻にしまわり航路を確立すると共に、淀川の治水にも貢献した。そして晩年には将軍に謁見して幕臣(旗本武士)に取り立てられるまでになった。 『瑞賢の知恵』 なんて言葉もあるそうだ。
確かに瑞賢の才智は優れたものだけれど、人との絆ということも大きく関わっていると私は思う。 小説となっているのだから様々な人との交わりは作者の創造の部分もあるのだろうけれど、結局人生で成功するかどうかは周りの人間というかどんな人たちと関わったか・・ということにつきるだと思う。 もちろんそれは己の生き方というか普段のモノの考え方ということなのだろう。ひょっとしたら運なんてものは自分で作っていくものなのかもしれないと、ふと思ったことだ。
2008年10月09日(木) |
小説紫式部「香子の恋」 三枝 和子 |
今年は源氏物語が書かれて千年だそうで、図書館には源氏物語関連の図書を揃えたコーナーが作ってあった。 そして 今回私が読んだ「香子の恋」は 作者がシリーズにしているものだ 「小説清少納言 諾子の恋」 「小説かげろうの日記 道綱母・寧子の恋」 「小説和泉式部 許子の恋」 そして 「小説紫式部 香子の恋」 と続く。
源氏物語はあまりにも有名だが、 書き手の紫式部のことは不明な点が多いようだ。 ━越前国司、藤原為時の娘でその父の赴任先である越前で「源氏物語」が書き始められたと何かで読んだ覚えはあったけれど、意にそわぬ結婚で藤原宣考という人物がおり、まして「賢子」という娘までなしていたことは知らなかった。 それにしても 香子が越前から京に戻り道長の娘である中宮「彰子」の女御になり、宮中や道長の権力をある意味冷ややかに書いている様は面白いものだった。
年暮れて わがよふけゆく 風の音に こころのうちの すさまじきかな (━今年も終りになって、わたしの生涯も老いて終りに近づくことを思いながら、この夜更けの風に自分の心のなかを吹いていく荒涼とした淋しさを重ねています)
世の中を なに嘆かまし 山桜 花見るほどの 心なりせば (━山桜の花を眺めているときのような、物思いのない心であったなら、世のなかを嘆いて暮らしたりはしないものを、いまのわたしは、物思いいっぱい、嘆きいっぱいで暮らしているのです)
そして 今生の終りの歌・・・
(ふ) 奥山の 松には氷る 雪よりも 我が身世に終る 程ぞ悲しき
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