読書記録

2008年08月28日(木) 七夜物語              土居 良一

○ 三途の流輩
朝鮮人を多く集めた鉱山で棒頭をしていた歳松が死期を悟り、今は寂れた長屋に住み着き『兄ぃ』と呼ぶ辰巳の聾や怨霊を感じていた
○ 狼戒伝
若い頃からの懸念であった己れの素性をしりたいと思った忠右衛門は、母の素性を探り自分と入れ違いで、業病を理由に神威岬を越えた奥地にまで追いやられた、兄である伊三郎の存在を知る。
狼戒伝という伝説の真実を知り兄の供養をするのだった
○ 賀老越え
天下に例のない毛色の鷹を献上して松前藩の窮状を救うべく生け捕りにせよ、との君命を受けて探索にでた一行から報せがなく後続の鷹侍の消息も絶えた。
その究明に取り立てられた今崎を待っていたのは、お屋形様と慕う三春城の武者たちだった。
○ 海翁
二十一の若盛りに斬殺された兄が三夜の夢に立ち無念を訴える。
思いあぐねて昵近の寺の住職を呼ぼうとしたところ、その住職も同じような夢をみたと語って聞かせた。
荒みたる
ふかき迷いの
霧もはれ
今宵かぎりに
血途をば去りなむ
○ 袋間の姥
雪に閉ざされた番屋で寛次と住む幸代は眼が見えなくなっていた。
その幸代の眼の回復を祠に自分の命を引き換えに祈った寛次は、吹雪の夜に尋ねてきた老婆とともに海原に漕ぎ出していった。
○ 美国心中
吃り癖と巨漢で悪事を重ねてきたので地獄へは行くつもりでいたけれど、江差の色茶屋の女将を殴って火をかけその女将の天真爛漫な娘と逃げてきた。剃髪して唐太を目指したが結局のところ船で死んでしまい流れ着いたビクニの浜では道ならぬ恋をして叶わぬ船出をしたものと同情をかうのだった。
○ 天ノ川綺憚
病苦で妻子を失ったのを機に出家して末寺で修行していたが、齢五十を前にして遍歴を志した。
いろんな祟りのはなしや木乞の僧などの話を聞くにつけて尚、今ここに至った我が身を遠くから見つめる者を感じて濡れるのもかまわず瀬から瀬を渡って先に進んでいった。


あとがきによると七夜とは、北斗七星を示す古い俗称とある。
さまざまな非道や妄念を「北霊集」として封じ込めたつもりが、ふと星空を見上げたとき、そこに変わらぬ天空があることに気がついた。遥かな夜空に瞬く七夜は、神仏を見下ろす存在に感じられ、封印を解いてもかまわぬと赦しを得た心地がした。
この7つの物語の主人公たちはいずれも彼岸の花もなく、六道からも外れ、三途の地獄をさまよう身となり、業苦が果てしなくつづく。
それを蝦夷としたのが作者の思いだったのだ。
私は死ぬかと思ったことも臨死体験も知らないけれど、すべての人間が好むと好まざるとにかかわらずいつかは先に逝った者たちの聾にさそわれて、いずれ行く道なのだろう・・とそれを強く思った。



















2008年08月16日(土) ぬばたま              あさの あつこ


  壱
職場の不祥事の責任を背負わされて退職し、妻にも愛想をつかされた男。
  弐
故郷からの一本の電話を機に、幼い頃の約束を果たそうと思い立った主婦。
  参
自殺した友人の葬式に出席するため、田舎に戻った青年。
  四
死者が見える能力を持ち、彼らをいわば成仏させることを使命とする若い女性。
  終話
四の主人公がほんとうは山でなくなっていることを、同じように死者が見える男が教えてあげる話にでてきたお婆さんの語り。


タイトルの「ぬばたま」とはヒオウギの種子で、黒いものにかかる枕詞だそうだ。そしてもしもこれが「山」にかかるとしたら、その黒さとは、単に日の差さない山奥の暗がりではなく、山が内包する深い暗部を指しているのだろう。山は人間を飲み込んでしまう恐ろしさを秘めているのだ。
各編にでてくる色と繰り返しの言葉。
人の心に覆いかぶさるように生きている山の怖さを、ホラーを思わせるかのような恐ろしさで読後にじわじわと感じている。





2008年08月05日(火) 有明の月           澤田 ふじ子


 豊臣秀次の生涯


豊臣秀次は秀吉の甥にあたり、秀吉から関白職を移譲されて後継者と目されたものの、謀反の罪を着せられ、切腹を命じられた。
事の真意はともかく秀次は惨酷で常軌を逸した 殺生関白 などと叛逆の罪を着せられたまま今に伝えられている。

信吉、木下孫七郎、三好孫七郎、羽柴孫七郎秀次、豊臣秀次と叔父秀吉の出世に伴って秀次も何回も名を変えて、自分が何者か分からぬようになってしまったのだろうか。
この物語では秀次の罪になるような描写は何もなくて、ただただ叔父秀吉の血に繋がるものとして文武に励み、深い見識を備えた一人の凛々しい若者像として成長していったのだ。
秀吉の後年に秀頼という実子が生まれたことが秀次の不幸の始まりだったのだ。世間によくあることで子ができなかったので養子を迎えたら実子が誕生した。そうなったら我が子可愛いさでその養子が疎ましくなってくるのだ。

物語では秀次が茶道の心得ありとして、後に同じような運命を秀吉から辿らされた千利休との交流が描かれていた。

ほととぎす 鳴きつる方をながむれば ただ有明の月ぞ残れる
        (千載集・藤原実定    小倉百人一首より)














2008年08月01日(金) ・・・・・・・・・・・・・




          丸六年という歳月は
          その思いを強くするばかりで
          でも そんな自分を何処からか
          別な眼で見ている自分をも感じる日々・・





          母の我を
          ふと漏らしたる
          愚かさを
          悔いる日もあり
          流れる日々に















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