2008年07月28日(月) |
首相官邸の女 木下 英治 |
結婚を約束した恋人が死んだ・・?・・殺された・・?・・
河原真知子は恋人の死に疑問をもって、次期総裁候補の花岡代議士が関わりあって居ると思い、その子分である同じく代議士の海音寺の私設秘書となった。時には美貌も武器にして週刊誌を巻き込み恋人の死の真相を追究していく。
文中のいろんな出来事はかつての日本の政治の世界で起こったことをうまく折り混ぜてはいるけれど、情けないことにほとんど記憶にないのだ。 「記憶にございません」という流行語まで生み出した事件もあったけれど、闇の総理だとか敵対相手とか固有名詞がほとんど思い出せない。
今も政治の世界はこの本のように金まみれのどろどろしたものだろうけれど、普通のOLだった二十代の女性が次期総裁候補を相手にして恋人の復讐なんて出来るものではない。 そのくせ恋人への復讐心は物語のなかではとても弱いと感じた。 2時間のテレビドラマにしたらそれなりに面白いかもしれないけれど、それも主演の女優さんによるわなぁ。
2008年07月16日(水) |
天空の橋 澤田 ふじ子 |
この物語には主人公が三人いる。
城崎温泉の宿で下働きをしていた八十松と、京都五条坂の積問屋の主・高野屋長左衛門とそして粟田焼のすぐれた職人の喜助とだ。 八十松が長左衛門の薦めで喜助のもとで陶工として修行を始めたのが15歳のとき、彼はまだ子供だけれど頭に白いものが混じる長左衛門と喜助にはいろんな人生の重荷があった。 その三人が五条坂の焼物の隆盛を目指し力を注いでいく。 だが 長左衛門は己の犯した罪を悔い一切所業の業を受け入れたく真如の世界を目指して天空に飛ぶのだった。
作者は 人間はいつの時代でも、取り巻く社会の状況が変わっただけで、本質においてはさして変化していない存在。こうした人間に、時代物の衣裳をまとわせ、私はいまの人間や社会を描いているつもりなのである、と言う。 先に読んだ『もどり橋』や『幾世の橋』と同じように、主人公の職業や状況が少し違うだけで人は決して一人で生きているのではないということを改めて教えてくれているのだ。 いろんな人の教えやそして何よりお互い様の気持ちなのだろう。 「誰でもいいから殺したかった」という無差別殺人やその模倣犯がはびこる昨今にこのような物語こそがベストセラーになるべきなのだ・・と心から思ったことだ。
神仏が作られたこの世のすべてのものの中で、最も愚かで汚らしいのは人間。だがその愚かで汚らしい欲望を幾重にもまとわせながら、人間は生きていかなければならない宿業にある。
昔 子供に昔話などのお話をする人 を募るというのが市の図書館で開催されたことがあった。 私は 子供への本の読み聞かせ をするものだと勘違いして申し込こんで何回か講義をうけた。 その時にお薦めの本としてこの『梨の花』が紹介されていた。 私は勘違いしていたことも含めて 子供にお話を聞かせる ということが思っていた以上に奥が深いことを悟って、折から母が入院したために頓挫してしまった・・。 と いうことは9年前か・・。
誰しも幼い時の記憶はあるが、この作者のそれは格別のものだ、とある。 主人公の高田良平少年の尋常小学校1年生から、福井中学校1年生までの作者の実体験だろう・・福井の片田舎の百姓家の様子がとても詳しい。 ちろちろと燃える囲炉裏の側に私も座り込んでかき餅を焼いているような。
文中に 「楽しいお正月です。 男の子はたこ揚げをします。 女の子は羽根つきをします。」 という文が当時の読み方の本に紹介されていて、その文に良平少年は憤慨するのだ。 そりゃ町中のもんはたこ揚げや羽根つきをするかもしれんけど、うらでは正月といえば吹雪いて雪の真っ只中にいてだれもたこ揚げや羽根つきはせんのだ、と言うのだ。ここらへんが大人しいけれど、後に日本共産党に入党する作者の本質が見えたように私は思った。 明治から大正に世の中が変わっていくときで、伊藤博文の暗殺や日韓併合、明治天皇の大喪など良平少年の静かな観察が続く。 でも この時代 貧しい百姓家では子供は尋常小学校を卒業すればすぐに、男の子も女の子も丁稚や女中奉公をしたものだ。 そういう社会情勢のなかでは良平少年の家はその枠にはまらない。
それでも こうまで少年時代を描写してくれたことは素晴らしい作品なのだと、静かな感動を覚える。 ちなみに 梨の花は田植えの頃に白い花をつける。
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