2008年04月30日(水) |
命あまさず 小説石田破郷 辻井 喬 |
平成十年から12年にかけて「俳句現代」に連載された、「ある俳人の生涯」石田波郷その人を単行本にしたものである。
愛媛県松山市に生まれる。五十崎古郷、水原秋桜子に師事し、馬酔木同人。昭和十二年(1937)俳誌「鶴」創刊主宰。中村草田男、加藤楸邨とともに人生探究派と呼ばれ、もともと結核の病巣はあったようだが召集により発病し強制送還の後、入院、手術を詠った療養俳句で注目された。
淡々と破郷(本の中では山田秋幸)が俳句や人生に対する思いの文章が続く。その文中で「言葉というものは不自由な道具なんだよ」という秋桜子の言葉が印象的だ。 作者があとがきにも記したように俳句は一首も出てこない。 そうなるとどうしても波郷の作品を読みたくなるのも人情だろう。
秋いくとせ 石鎚を見ず 母を見ず
病経て やや気弱にて椿市
紫蘇濃ゆき一途(いちづ)に母を恋ふ日かな
2008年04月15日(火) |
なまみこ物語 円地 文子 |
『生神子物語』
春日明神に仕えた『巫女』のうち、憑霊的能力の殊に優れていたとよ女の二人の娘、三輪のあやめ、くれは姉妹の物語。 本来 未婚の娘として神に仕えるべき身でありながら娘をもうけたとよ女は、わが身に憑った神の言葉のために夫が討ち死したこともあって、わが子を巫女にだけはしたくないと願ったがその甲斐もなく、あやしい能力は分けられた血に生きて、摂関政治の立役者藤原道長の利用することとなった。
以前読んだ『この世をば』での道長は気の弱い三男坊で、兄の道隆・道兼の死によって棚ボタ的に関白になったように書いていた。 そして 少し前に放送された『その時歴史は動いた』での道長は、争いのない世の中を作るために自分の一門が続く天皇を押していくのだった。 でもこの本での道長はなかなかのしたたか者で、自分の娘の彰子を中宮にするため一条天皇の心が定子から離れていくように贋招人としてあやめとくれはの姉妹を利用したのだ。 『栄華物語』を題材にしたこの物語は作者の想像らしいけれど、私はこの物語に書かれている道長が一番道長らしいように思うのだ。 そうでないと この世をばわが世とぞ思う望月のかけたることのなしと思えば の歌は生れないと思うから。
2008年04月08日(火) |
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はらはらと
ただはらはらと
はらはらと
我が満たされぬ想いをいかに
はらはらと
ただはらはらと
はらはらと
桜散る日の我は寂しき
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