室町時代、将軍義満に寵愛され能の大成者となった世阿弥だが、72歳のとき六代将軍義教によって佐渡に流されてしまった。そんな世阿弥の晩年が華々しい遠い過去を懐かしみつつ、老いや子供たちとの確執、別れ、佐渡での新たな生活が一人称で書かれている。
人の命ほど儚いものがあろうか。人はどこから来て、どこへ行くのかも知らぬ。幾年この世に止っていられるか、誰も本人には解っていない。自分で出自を選ぶことも、親を決めることも出来ない。明日の運命さえ知ることは出来ぬ。確かなことは、何物か、人外の大いなるものの意志によって、この世に送り出され、それもまた自分の意志ではなく、この世に生かされているに過ぎぬ。平凡な人生をたどろうが、善きにつけ、悪しきにつけ、非凡な世渡りをしようが、すべては持って生れた己が運命に依る。
タイトルの秘花という言葉にいささか興味があった。 文中の 「秘すれば花なり。秘せずば花なるべからず」 という言葉は正直なところ私にはよく理解できないでいる。 何気にエロティックな匂いをかんじさせるこの言葉は煩悩という意味だと私は思うのだけれど・・・。 「煩悩が悟の火種になるのだ。人間というのは不可思議なものだ。その不可思議さをたどれば、まだまだ興味深い物語も、能の舞台も人の歓心を誘うだろう」
命には終りあり 能には果てあるべからず
2007年11月24日(土) |
湿地帯 宮尾 登美子 |
この作者の書いたものは何冊か読んでいるけれど、自身の生い立ちや歴史に関するものばかりだった。 だからこの物語のようなミステリーを書かれていたことに驚いた。 さらに新人といわれた初期の頃の高知新聞での連載物だということである。 まだ ご自身の方向を見つけておられない頃だったのだろうか、などと私のように今だにいろんなことを知らないでいる者には思わされれてしまうのだ。
東京から高知県庁薬事課に赴任した青年課長小杉啓を待っていた、薬品業界の官民癒着のカラクリ、そして謎の殺人事件。義憤にかられ立ち向かう小杉は、一方で道ならぬ恋愛の渦にのみ込まれていく。 が、その道ならぬ恋の相手が殺意をもった犯人ではないが、 過失致死には問われる立場だった。 そういう意味ではミステリーではあるけれど、あまりのあっさりとした謎解きにはこういう方法の締めくくりもあるのだな、と感じた。
2007年11月17日(土) |
わが屍は野に捨てよ 一遍遊行 佐江 衆一 |
父の願いで承久の乱で死亡した祖父や伯父、そして母の菩提を弔うため十三歳で出家した一遍だったが、父の死により一度は武士に戻りながらも再出家した。 かつての妻・超一房や娘の超二房をはじめ多くの僧尼を引き連れ、人は欲望を捨てられるのか……という迷いに向かって遊行に出る。 断ち切れぬ男女の愛欲に苦しみ、亡き母の面影を慕い、求道とは何かに迷い、己と戦いながらの十六年の漂泊だったが踊り念仏をひろめ、時宗の開祖となって寺をもたず、宗派もたてず捨聖として遊行しながら生涯を終えた。
一遍は信心のないものや下層階級のものでも念仏を唱えることで等しく救われると説き、全国に救済のお札を配り、踊り念仏により人々の心をとらえ、庶民に至るまで爆発的な人気を得ていく。
阿弥陀仏はまよひ悟の道たえて たヾ名にかなふいき仏なり 南無阿弥陀ほとけの御名のいづる息 いらば蓮の身とぞなるべき
一遍辞世
山田浅右衛門斬日譚
同じように生まれても 何の罪とがもないのに殺されてしまう者 そして殺人を犯してしまう者 さらにその罪人を斬首する家柄に生まれついている者
山田家に生まれた以上、家業としての罪人の斬首はさけては通れない ゆえに、その日斬首される人数の蝋燭をたてて、法華経を唱える そして、罪人がこの世に恨みをのこさないように脳裏で涅槃経の四句偈を唱えながら浄土へいけるように願うのだ
「諸行無常」を唱えて人差し指に力を込め 次に「是正滅法」で中指に つづいて「生滅滅巳」で薬指 そして「寂滅為楽」で小指に力を込める
作者は剣道の心得があるようで、剣を振りかざしたときの描写が細かいけれど斬首されたあとの描写はやはり眼を覆いたい いつものように題名にひかれて読んだ本だけれど、微妙な気持ちでいる 主人公の達観したような気持ちに救われる思いはあるけれど、改めて罪を犯してしまう者の哀れが思われてならない 所詮、人間とは弱いものなのだろう・・・
2007年11月05日(月) |
・・・・・・・・・・ |
11月5日
はらはらと
ただ はらはらと
はらはらと
落ち葉散る日の
我は悲しき
はらはらと
ただ はらはらと
はらはらと
我が満たされぬ
思いをいかに
福井にある永平寺にはたしか3回くらい行ったはず・・。 でも どこを見物していたのか、若い雲水の説明も聞いたはずなのに何も覚えていない。 道元が永平寺の開祖だったのだ。
でも この本の禅問答は私には難しくて 読み終えるのに ふつうの倍の時間がかかってしまった。
物語の最初の頃に 文殊丸と呼ばれていた道元が本来本法性、天然自性身、人は本来さとった仏であるのならば、諸仏はなんのために志を立ててこの上ないさとりのために修行するのか、という疑問をいだいている。 日本でどの師もこの道元の疑問に答えられなかったので、宋に渡ってからも本当の正師を求めて道元は放浪するのだ。 道元のさとった答えは文中にあるようだけれど、私には分らない。 作者は書くこと、自己を見詰めることが、道元禅師の歩みとともに自身の修行だと記するけれど、答えの見つけられない私はさらに読め、もっと深く読めということなのだろうか・・。
花の咲くのを追ってきて、水の流れをたどってきて、自然のうちにいつしか導かれている。森羅万象の中に分け入り、そこに流れる真理を知ることこそが、仏教への信を持つということである。道元の言葉をたどっていくと、花を追い水をたどっているうちに遠くまでやってきた自分を感じることができる。その認識が嬉しい。 作者 後記より
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