読書記録

2007年10月19日(金) 木喰              立松 和平



 まず思ったのはいつ頃の物語なのだろうか・・と。

どうやら1779年、徳川十代将軍家治の頃のようだ。

木喰戒とは、米、麦、粟、黍、豆の五穀絶ちをし、火にかけた食物を摂らないで木の実や蕎麦を食べる修行なのだそうだ。
そんな木喰僧行道にとりついたのみやしらみを通しての世相というか修行の原理が書かれている。


雲は風に流されていくだけなのだから、どこにいくのかは風に聞いてみなければわからないのだ。のみにしてもしらみにしても、お上人が足の向くままいくところにいくしかない。つまり雲と同じなのである。行く雲のように、流れる水のように、とどまることなく道をいくのを僧というのだから、自分たちも僧と同じ修行をしていることになる。こうして垢だらけの襟元にしがみつき、腹が減ったらちょっと血を吸わしてもらい、あとはうつらうつらと眠っている。たえず仏道修行ができるのだ。こんなにありがたいことはない。



木喰の裸の姿眺むれば 
 のみやしらみの餌食なりけり  

           木喰行道














2007年10月10日(水) 小説  棚田 嘉十郎          中田 善明

  棚田 嘉十郎  平城宮跡保存の先覚者



平城宮大極殿跡   西乾
              是より  二十丁


       明治四十五年三月建立  棚田嘉十郎

JR奈良駅のロータリーにこんな碑(↑)があるのを最近になって知った。

植木職人の棚田嘉十郎が奈良公園で仕事をしていたら、観光客から平城京は何処ですか、と聞かれることが多々あったようだ。
奈良に住んでいながら何も知らないことを恥じた嘉十郎は何とかして、大切な国の宝を守ろうと立ち上がったのだ。
より多くの人たちに関心を深めてもらおうと、坪割図と平城京から発掘した古瓦のほかに春日扇千本を用意し、表面には古瓦の文様を、裏面には坪割図の略図を印刷して、これはと思う人に進上して保存を訴えるようになった。だが、その一方では、嘉十郎を評して、無駄な浪費を繰り返す”大極殿狂人”だ、山師だなどと陰口をたたき、嘲笑うものがあらわれるようになった。
それでも 今上帝のおわす皇居は国に守られているのに、古の帝のおわした平城京が牛馬の糞にまみれていることの理不尽を辛抱強く訴える。
嘉十郎は溝辺文四郎という生涯の友とほんとうに頭が下がるような努力によってだんだんと周りの人や行政に認められていくようになった。
だがそれを利用しようとする人間が出てくるのも世の中の現実である。
それは寄付の中心となった匿名の篤志家、福田海(ふくでんかい)という仏教系の新興宗教が問題をおこし、嘉十郎はその責任を負って、ついに割腹して罪を謝すという形で亡くなった。
何とも理不尽な結果となってしまった。



つくしてもつくしきれない君のため
   心きめるはきよかぎりかな


みをかざるいふくの光はなんのその
   心のたましの光たつとし


大正十年(一九二一)八月十六日、
朝から暑い日であった
妻のイエと末娘のトメ子を墓参りに送り出して、数え六十三歳の生涯を閉じたのだった。













2007年10月03日(水) 小栗忠順            岳 真也



 第一部 修羅を生きる
 第二部 非命に死す


桜田門外に倒れた井伊直弼により遣米使節に任命され、咸臨丸で渡米した忠順は、帰国後 攘夷論が主流を占める幕末に、諸外国との交流なくしては、亡国への道を進むしかないとの判断から、古いしきたりを守ろうとする幕閣に立ち向かっていくが、その壁は大きく何度も失職。そして、その度に混沌とする時世においては、上層部の考えも変わり、復帰してきた。新しい時代の流れをなかなか受け入れられない幕閣たちの反対にあいながらも、忠順は広い見識も持って次世代の発展を願い、幕府の終焉を予感しながらも行動していった。
「天下を郡県となし、入札によって選ばれた将軍をもって大統領とする」
そんな理想をいだきながら、これからの時代は自分の邦は自分で守るという強い意識の元で、軍艦も製造することのできる今の横須賀製鉄所の建設に力を注いでいくのだ。

それにしても勝海舟との確執が不謹慎な言い方だが面白い。
小栗が沈めば、勝が浮かぶ。勝が転べば、小栗が起つ。
勝麟太郎義邦とは生涯のライバルだったようだ。

幕末の江戸幕府にいて、大政奉還や諸外国との新しい関係を築いていかなければならなかった激動の時代にあって、将来の日本を見据えた人物がいたのだ。坂本竜馬や西郷吉之助やライバルだった勝海舟なんかに比べると影が薄い印象はあるけれど、もし小栗忠順が斬首されないでいたら、どんな日本に導いてくれただろうか・・という強い思いが残る。

慶応四(1868)年閏四月六日、小栗上野介忠順、非命に死す。
享年四十二歳であった。




















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