2007年09月20日(木) |
独り群せず 北方 謙三 |
先に読んだ「杖下に死す」の続編。 大塩格之助の死を機に武士を捨て、料理人としてお勢と生きると決めた利之だったが、時は過ぎ、お勢も亡くなり、利之は料理人として守って来た三願から隠居し、新たな店三願別荘を始めるところから綴られていく。 内山彦次郎はお勢亡き後の利之を「糸の切れた凧のようだ。」と言い心配するが、孫の利助を一人前の料理人に育てようとする利之の姿は、好々爺、平穏そのものに見えた。一方、大坂西町奉行所与力彦次郎は、大塩格之助の死に自責の念を持ち、格之助の悲願でもあった大坂の物流を守ろうと奔走する。 彦次郎は、物価をつり上げて利鞘を得ようとする新興商人伏見屋に目を付けるが、そこには新撰組の影があった。 そして彦次郎は新撰組によって命を奪われ、利之が仇を討つため新撰組の土方と互角の勝負をするのだ。こういうところが物語りの醍醐味というか面白いところだとつくづく思う。 そんな利之と内山彦次郎の生き様が私にはとても好ましく感じられる。
この作者はハードボイルドが専門だと思い込んでいたけれど、なかなか面白い物語を書かれるものだと生意気なようだけれど感心した。
時勢の流れの中で、多くの人間が死に、これからも死に続けていくだろう。
2007年09月13日(木) |
杖下に死す 北方 謙三 |
幕府のお庭番を統率する家柄で勘定奉行にまで昇りつめた村垣定行の 妾腹の子である浪人光武利之が主人公。 その利之の目を通して、大塩平八郎の乱が書かれている。 だが大塩平八郎の乱そのものよりも、利之と平八郎の養子格之助との 友情がテーマだ。父の正義に殉じようとする格之助。 利之は友を死なせたくないと思いながらも、一方で友が「生ききる」手助けをしてしまうのだ。立場も生き方も違う二人が惹かれ合う。 格之助が父の平八郎とともに 『抱いた思いは、たとえ杖下に死すとも、やり遂げたい』と、 自決したあとに、武士を捨てて料理人となる利之が友の格之助に食べさせたかったと鯛をさばくシーンには私もジーンとなってしまった。
樹、静かならんと欲すれども、風やまず 子、養わんと欲すれども、親待たず
風樹の嘆
2007年09月07日(金) |
生きて候 安部 龍太郎 |
倉橋長五郎政重、後の本多政重は 徳川家康の右腕といわれた本多正信の次男に生まれながら、秀忠の近習を斬り殺して出奔し、関ヶ原の合戦では宇喜多秀家軍の先鋒として徳川方と戦っている。 合戦後は秀家の助命に奔走した後、加賀百万石の筆頭家老として前田家に迎えられるのである。 一介の牢人でありながら宇喜多家では二万石、前田家では五万石で召し抱えられたのだから、その実力と人望は他に抜きん出ていたにちがいない。 私はそれを、新渡戸稲造の著わした『武士道』なのではないかと思うのだ。 ただ政重にしてみれば養父が今わの際に言い残した 「命というものは、父母から授かった宝じゃ。その宝を美しく使い切ることこそ、孝道の第一と知れ。行き急いでも、死に急いでもならぬ」との言葉を折に触れ思い出し、武辺者の生き方をまっとうしたいと考えていたのだ。
それにしてもやはり私は信長、秀吉、そして家康のように歴史の一番表舞台に登場する人物には魅力を感じない。 今回の物語では主人公の政重よりも、後に八丈島遠島になった宇喜多秀家のような悲劇な人物にこそ強い思い入れがある。 敗将となった人物は判断を誤ったのではない、それこそ己の命を美しく使い切ったのだ・・と私は思うのだ。
人には分に合った生き方がある。 梅には梅の花が咲き、桃には桃の花が咲く。 分を超えた生き方をすれば、他人(ひと)も自分(われ)も不幸になるばかりだ。
冬の野の高みに咲ける福寿草 間近き春ぞ 風強くとも
花ありて熱き時代は過ぎにけり ただゆくりなく生きて候
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