十年以上も前に読んだものを読み返してみた
人間は生きている限りは何かを抱えて、何かを背負っている
美津子、磯辺、沼田、木口、そして大津 それぞれの個々の人生において背負ってきたものの答えを探しに、同じインド旅行に居合わせる
私は同じ女性としてガンで亡くなった磯辺の妻や美津子を思う 「わたくし・・・必ず・・・生まれかわるから、この世界の何処かに。探して・・・わたくしを見つけて・・・約束よ、約束よ」 こう言って死んでいった磯辺の妻よりは 「神さま、あの人をあなたから奪ってみましょうか」と真面目なだけの大津を誘惑する美津子のほうに魅力を感じる
人間の転生を信じて母なる河ガンジスに向かう人も多いようだが、それとは別にインドにあこがれを持つ人もまた多いようだ 人は一人では生きていけないものだと思うけれど、すべての人が転生を願うわけでもないだろう・・と思う
「墓場に住んでいる女神チャームンダーの乳房はもう老婆のように萎びています。でもその萎びた乳房から乳を出して、並んでいる子供たちに与えています。彼女の右足はハンセン氏病のため、ただれているのがわかりますか。腹部も飢えでへこみにへこみ、しかもそこには蠍が噛みついているでしょう。彼女はそんな病苦や痛みに耐えながらも、萎びた乳房から人間に乳を与えているんです。」 「彼女は・・・印度人の苦しみのすべてを表わしているんです。長い間、印度人が味わわねばならなかった病苦や死や飢えがこの像に出てます。長い間、彼等が苦しんできたすべての病気にこの女神はかかっています。コブラや蠍の毒にも耐えています。それなのに彼女は・・・喘ぎながら、萎びた乳房で乳を人間に与えている。これが印度です。この印度を皆さんにお見せしたかった」
八十歳を迎えたブッダ(釈迦)は、侍者ひとりを連れて最後の旅に出る。遺された日々、病み衰えたブッダの胸に、人々の面影や様々な思いが去来する。死期を悟ったブッダが涅槃に入る最後の旅に付き従った弟子のアーナンダがこの物語の主人公だろう。
同じく八十歳になった作者が綴るブッダは、いつもの作者の文とは違うように私には感じられた。 何回かインドへ行っただろう作者が綴る文は決して釈迦や仏教を美化することなく、釈迦自身や釈迦のまわりの人々の苦悩をリアルに描ききっている。二千年以上も前の求道者たちが感じた苦悩が、何気に現代にも通じるようで目の前にうかびあがるように感じた。
「アーナンダよ。泣くな、悲しむな。嘆くな。私は常に説いてきたではないか。すべての愛するもの、好むものとは必ず別れる時がくると。遭うは別れの始めだと。およそ生じたもの、存在したものは、必ず破壊されるものだということを。これらの理が破られることはないのだ。 アーナンダよ。長い間、お前は優しい愛といたわりをこめて、純一な心情を傾け尽し、身も心も捧げて、よく私に仕えてくれた。お前の奉仕は無私で美しかった。これからも努め励んで修行せよ。必ず速やかに汚れのない阿羅漢果に達することが出来るだろう」
「私はこのように聞いた。世尊のお言葉のままである。 ━この世は美しい 人の世は甘美なものだ━」
読みはじめてしばらくは主人公の神山佐平が何を求めているのか分らなかった でもそのうち きっと主人公は青二才なんだろうと思いはじめた 理想を追うというのでも白黒つけたいというのでもないだろうけれど、自分が納得いかないことはイヤなんだろうと思う 物語の最後ではやはり、目付である六郎太に青二才をなじられるのだ
世のなかのことも、これからのことも、何も考えないで、のほほんと生きてきたことはたしかだ。 おれには大義名分なんか、これっぽっちもない。身の回りのことで精一杯。 今日、明日をどう生きるか、今夜のめしをどうするか、目先のことにあくせくしながら生きてきた。 だがおれは,そんなちっともおれを恥じてないんだ。おぬしの家中の、何も知らない下僕や端女と同じように、だれのおかげで自分の暮らしが成り立っているか、知りせず、知ろうともせず、目先のことに一喜一憂しながら 生きている。これからもそうだ。おぬしたちとは住む世界がちがう。はっきりそれがわかったから、今日限り、侍暮らしはやめるよ。短い侍生活だったが、悪くはなかった。こういう考えに行きつかせてくれただけでも、感謝しなければならんだろう。
侍をやめるのは佐平の勝手だけれど、多少は心得のある絵を描くことで生活を立てていかれるのか、余計なことだけれどおばちゃんは心配したげるわ
世のなかにはさまざまな人間がいて、さまざまな考えがあるということすら、最近は信じられなくなるかけている。そういうことが、だんだん許されない世のなかになりつつあるような気がするのだ。右か左か、上か下か、ふたつにひとつしか選べなくなっている。こんな世のなかが、果たしてむかしよりよくなっていると言えるだろうか。 一方で肝心のことは何も論議されていない。ある日突然江戸湾へ異国船が入って来て、はじめて上を下への大騒ぎになるんだ。そういうことがわかっていながら、いまのわれわれにできることは何もない。そのときどきの、降りかかってくる火の粉を払いながら、右か左かを選んで行くだけなのだ。
こういう時代物を読んでいつも思うのは、現代人が書いているのだから当たり前のことだけど昔も今も所詮、人の思いというか感じることは案外同じなのかなぁ・・と・・
2007年08月14日(火) |
崇徳伝説殺人事件 内田 康夫 |
後白河天皇の物語を読んだあとだから 題名にひかれて読んだけれど この手のミステリーはもう卒業しよう
皇統をめぐる争いに敗れ、呪詛のうちに流刑の地で没した崇徳上皇。特別養護老人ホームの理事長・栗石は、この貴人を信仰していた。その施設内で、老人の不可解な死が相次いだ。一方、天皇家にまつわる怨霊伝説を追う浅見光彦は、京都で見知らぬ女性から唐突にフィルムを手渡される。現像してみると、今の老人問題のテーマでもある安楽死、老人福祉の根底を考えさせられることにつながっていくのだ。
お馴染みの浅見光彦の素晴らしい推理は結局のところ作者の想いなわけだから、 私なんかが想像もしないようなストーリーが出てくるのを楽しみにしている
今回は理事長の知り合いでもある俳句の先生も登場して、彩りかなぁと思っていたらなんと犯人だった
最近 私はやたら因果応報ということを思う 自分のしてきたことが自分に還るのなら諦めもつくが、子や孫に還ってきたときは悔やんでも悔やみきれない そして往々にして子や孫に還ってきたときは、自分に還ってきたよりははるかにダメージが強いのだ 心して生きなければ・・と思う・・
2007年08月07日(火) |
浄土の帝 安部 龍太郎 |
テレビのドラマに出てくる後白河法皇はなかなか曲者のようで あまりいい印象は持っていなかった そんな後白河法皇が77代の天皇として即位する若き頃の物語 この 後白河法皇がいたから天皇制が続いたと言う学者もいるそうだ 保元の乱、平治の乱の頃は藤原忠通や信西にリードされがちだったけれど、その後は清盛や義経や頼朝の間をぬって巧く生きぬいた感がある
でもたいていの人間はことの初めは意欲もあり、それぞれの崇高な意思をもっていたはずだ この物語はそんな後白河天皇だったころの話なのだ
空蝉のからは木ごとにとどむれど 魂のゆくへを見ぬぞかなしき
思えば上皇や帝のお立場も、空蝉のようなものである。 形ばかりは祭り上げられておられるものの、政治の実権は信西や忠通に握られている。 その結果、血を分けた兄弟同士が争うという事態を招いている
「かかる世にも影も変わらず澄む月を」 帝は西行法師の歌を口ずさみ、これまで鳥羽法皇や信西から受けてきた理不尽な扱いの数々を改めて思い出された。 朝廷を操るのは常に権臣で、帝はその者に大義名分を与えるだけの飾りものにすぎない。
━御首の在所を知らず 右大臣拝賀式の夜、甥の公暁によって殺された源実朝の首は忽然として消えた。少なくとも「吾妻鏡」によると、そういうことになる。 実朝が公暁によって暗殺され、奪われた首が見つかったという記述はどこにもない。そして、 ━御鬢をもって御頭に用い、棺に入れたてまつる 葬儀では、首のかわりに実朝が残していた髪が棺に入れられたという。
源頼朝が落馬が原因で死んだあと、頼家と実朝も身内によって殺された その後頼家の遺児である竹の御所鞠子が京から十五歳も年下の公家の三寅(元服後は頼経)を迎えて、四代将軍として鎌倉幕府を継いだ でもそれは形だけのことで正子の実家になる北条氏が執権として鎌倉幕府を治めていくのだ
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