2007年05月29日(火) |
和気清麻呂 久井 勲 |
和気清麻呂といえば 何といっても弓削道鏡の『宇佐八幡神託事件』だろう だが作者はそのことばかりでなく、清麻呂がいかに優秀な官僚であったかも書いている 1200年以上も前に、ごく普通の仕丁から出発し、現代にもつながる問題に目を向け、官務に誠をもって熱心に取り組んだことを教えてくれた 清麻呂の大和川治水・土木事業にかける執念、都市衛生への認識、洪水防止への配慮、その他農民救済のための喜捨、また新しい平安仏教への橋渡しをした先達としていきいきと書かれている
作者は岡山県にある和気神社の近くに住まいしているようだ 政府系金融機関に勤めていたものを、もともとこの地に住まいしていたから清麻呂に興味をもったのか、清麻呂に興味をもったからこの地に移住したのかはわからないけれど、特定の人物にほれ込んで物語を書くというのもいい人生だなぁ・・と思う
2007年05月24日(木) |
対岸の彼女 角田 光代 |
「現在」と「過去」の出来事が交互に書かれて、同時進行している。「現在」では日常の生活に追われる小夜子と葵が、「過去」では高校生の「葵」と「ナナコ」の出会いが書かれている。 夫と3歳の娘がいる普通の主婦の小夜子が、職を探し始める。たまたま面接に行った先の社長が同じ大学の同期だった葵であった。2人は急速に仲良くなるが、立場の違いなどから次第に小夜子が葵に不信感を抱き始める。同僚から葵の高校時代の過去を聞いた小夜子は、 働く女だって専業主婦だって・・みんないつもどこかしら不安や不満を抱えた一人の人間で、似たもの同士なのかもしれないと思う。そして大方の女は子供の頃から「友人」という名の下に派閥をつくり、醜くも傷つけあい、未熟な者は、いじめというかたちで社会人になってからもそんな幼稚な行動を続けてしまうのだ。
私も常日ごろから人はいま、目に見えているものしか信じないのだと感じている。だから眼に見えないものにはとかく不安を感じる。 人は生きていくためにいろいろ傷ついていくのだけれど、タイトルの対岸の彼女は正に自分自身なのだ・・と強く思った。
2007年05月17日(木) |
青衣童子(せいいどうじ) 森 真沙子 |
天平9年、奈良の平城京に奇病が進入した。全身に湿疹ができ、疱瘡のように膿んで、苦しみもがきながら死んで行く。侵入経路は、遣唐使など大陸から帰ってきた大使などからで、九州を経て、京に侵入した。鬼病(えやみ)と言われ恐れられたが、折からの日照りや、ついに藤原の四兄弟に累が及ぶに到り、祟りだと言われるようになった。そして、青衣童子が現れると、藤原の四兄弟が命を落とすというウワサが町で囁かれるようになる。
ホラーというか復讐劇だけれど、うん、面白かった 文武天皇の皇子は後の聖武天皇だけだと思っていたけれど、火明皇子(ほかりのみこ)という首皇子より十一ヵ月早く生まれた皇位継承の有力候補者がいたのだそうだ・・(これは案外、事実かも・・) 当時は母親の出自(有力な庇護者がいるかどうか・・)によって、いくら天皇の子供として生まれても運命が決まるといっても過言ではなかった まして今をときめく藤原家にかなう者などいるはずがない 降ってわいたような仕組まれた遣唐使派遣によって、火明皇子(出家して慈空となっていたのに・・である)は荒れた海を沈める持猿として逆巻く暗黒の海に飲み込まれていった。 宇合に貰った青海の衣を経帷子にして・・
無人島で14年もの年月をひとりで生きて、境部石足として奈良の都に戻ってから藤原家への復讐をはじめた 青衣童子として藤原四兄弟に襲い掛かっていったのだ 藤原四兄弟がもがきで死んだというのは歴史の定説だけれど、案外 時の権力者のごまかしだったかもしれない 長屋王の抹殺を計った藤原家への怨念だという説もあるのだから・・ 歴史にもしも・・はないけれど、素晴らしい作者の創作(・・私には創作とは思えないのだが・・)が私たちを楽しませてくれるのだ
2007年05月14日(月) |
・・・・・・・・・・ |
5月13日
とうとう 来なかった
掛け違ったボタンは どうすればいいのだろう
過ぎ去った日々は どんなにしても戻らない
でも これが私の人生なのだろう
寂寥感とか孤独感とか
今の思いを表す言葉を私は知らない
心の中で欠けたピースを私は何処で探そう
けわいざか と読む
関東の地理に詳しくないので鎌倉の実在地とは知らなかった
女西行ともいわれる 後深草院二条と呼ばれた『とわずがたり』の語り部として宮中にも仕えたことのある篠宮家というのがある 29歳の銀行員菅野美和子がふとしたことから、その篠宮家の『とわずがたり』の輪読会に参加して、秘密の倶楽部に入りこんでしまった 先にその秘密倶楽部に入っていた内藤紗枝が焼かれた白骨死体となって発見されたりと、この作者がホラーを書いていたことに驚かされもする内容だった
篠宮家の養女篠宮瓔子がその美貌から 後深草院二条の生まれ変わりとも思わす構成だったけれど、読んだあとで確信したのは菅野美和子こそが二条の生まれ変わりなのだ
このところ 訳もなしに西行にはまっている
この本は作者もあとがきに書いているように紀行文のように思える 西行が放浪した土地に作者も訪れることで、西行の歌に近づこうというのだろう・・できれば私もそうしたいものだ・・
━世の中のありとあらゆるものは、すべて仮の姿であるから、花を歌っても現実の花と思わず、月を詠じても実際には月と思うことなく、ただ縁にしたがい興に乗じて詠んでいるにすぎない。美しい虹がたなびけば、虚空は一瞬にして彩られ、太陽が輝けば、虚空が明るくなるのと一般である。わたしもこの虚空のような心で、何物にもとらわれぬ自由な境地で、さまざまの風情を彩っているといっても、あとには何の痕跡も残さない。それがほんとうの如来の姿というものだ。それ故わたしは一首詠む度に、一体の仏を造る思いをし、一句案じては秘密の真言を唱える心地がしている。わたしは歌によって法を発見することが多い。もしそういう境地に至らずに、みだりに歌を勉強する時は、邪道におちいるであろう。
春ごとの花に心をなぐさめて 六十路あまりの年を経にける
わきて見ん老木は花もあはれなり 今いくたびか春にあふべき
桜の花を友としたのと同じ心で、西行は、ひとり居の寂しさを愛した。 吉野山へ入った後の歌は、一段と風格を高めたようであるが、それは自分自身を深く見つめる暇と余裕を持ったからであろう。人間は孤独に徹した時、はじめて物が見えて来る、人を愛することができる、誰がいったか忘れてしまったが、それはほんとうのことだと思う。
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