読書記録

2007年06月27日(水) 駿女             佐々木 譲

奥州糠部の地でのびのびと育った馬の巧みな十六歳の少女相馬由衣は、従弟の八郎丸が元服するのに付き添い、平泉に赴く。しかし平泉は衣川館で義経が誅殺されたというそんな激震の日々の幕開けだった。由衣らが人目を避けて飛び帰った村も、義経を襲った藤原泰衡勢に焼き討ちにあい、身内は無惨にも息絶えていた。この混乱の中で由衣は伯父から八郎丸が義経の落胤である事実を聞かされたうえに、その後の頼朝の奥州征討軍に平泉は炎上、残った八郎丸も死に由衣は たったひとりになってしまった。

後世に伝えられている歴史の義経の死や、頼朝の死因が落馬説というものをうまく取り入れてほんとうに面白い物語になった。
蝦夷のイサリカイと夫婦になったユイの育てた馬が、鎌倉の頼朝に献上されてその馬から落馬してそれがもとで頼朝が死んだというのだ。
由衣は一族のかたきを討ったのだ。
一般的に権力者というか、力のある者を私は好かないので由衣が頼朝をほんとうに作者の巧い想像力で討ち取ってくれたことに、拍手を送りたい。
脱帽だ!!
















2007年06月21日(木) 女西行   とはずがたりの世界   松本 寧至


これは ふだん私が好んで読んでいる物語ではない
『とはずがたり』の解説本なのだ

女西行、後深草院二条は、人生の旅の果てに、悟りともいえる静寂の境地に到達した。その上で、あえて未来になんらかのものを託そうとした。「こんな生きかたをした女人が一人あった、いずれにしても、かけがいのない生涯を生きた」という証しとして、書き残しておきたかった。
「とはずがたり」という語は、人に問われもしないのに語らずにはいられないという意味で、作品の題名はおそらく作者二条自身の命名だったろう。

幼い頃に『西行が修行の記』という絵巻物を見て強い感銘を受け、自分も将来は世を捨てて諸国を旅し、こんな修行記を書き残したいものだと思った、とある。
後深草院に寵愛されながらも、権力抗争に翻弄され、宿命のように西行のたどった東国や西国への諸国行脚へと旅することになる

この作者が最後に説明している『有明の月』こと、性助法を法助に変えたことは私の理解を超えてややこしくなってしまった













2007年06月12日(火) 末世炎上           諸田 玲子


付け火が横行するあの「この世をば・・・」の藤原道長亡きあとの平安京が舞台になっている
橘音近と在原風見は名門の血筋をひきながらも無為に生きていたが、記憶をなくして二百年前の吉子という女性になってしまった髪奈女を知ってから人生が少しずつ変わっていく

二百年前の応天門炎上は冤罪だったとして、怨堕羅夜叉明王の化身が平安京を滅ぼそうと現世の人間をそそのかす
藤原一族が伴氏や紀氏を弱体化させて仕組んだことだったのか

今でも凶悪な事件が起こるとよく「世も末だ、末世だ」と言われるけれど、いつの世も似たり寄ったりのようだ

財力権力を奪い合い、人を蹴落とすことなどものともしない貴族、甘やかされ、一方で疎外され、心を病んでゆくこどもたち、私利私欲に走る官吏、やる気のない役人、盗人、かっぱらい・・・・・。行き倒れの骸を野犬が食らう都では、人々がすがるものといったら神仏しかない。

貴族を国会議員・大企業、官吏や役人を例えば社会保険庁の職員と置き換えたら、正に昨今の出来事と同じだ・・・


























2007年06月03日(日) 更級日記            杉本 苑子


更級日記の作者は菅原考標女(すがわらのたかすえのむすめ)と言われているが、実名も女房名も分らない。蜻蛉日記の作者が右大将道綱の母(藤原倫寧女)と呼ばれるように、二人とも里人(宮仕えしない家の女性)であったためである。考標女には姉がいて、もし姉も名を残すことがあったとしたならば、更級日記の作者は考標二女と呼ばれたかもしれない。
                     あとがきより



今でいう文学少女だった考標女は父の任地である東国で育ったが、父の任期が終り京へ上り、ようやく手に入れた憧れの物語を読みふけった。
若くして亡くなった姉の子を育てていたが、縁あって女房として宮家へ出仕するものの、すぐに引退し結婚。夫は包容力も財力もある人だったが、20年に満たない結婚生活ののち、死別。
夫婦仲はとくべつ良かったわけではないようだけれど、夫の存命中は子はもとより甥や姪までが賑やかに、一つ屋根の下でくらしていた大家族だったけれど、つぎつぎに独り立ちして若い彼らが去って行き、老いと孤寥を噛み締める毎日にたまらなくなっていた
何やら現代にも通じる、やがて私の行く道という想いがする・・

この更級日記は菅原考標女が、五十代の晩年にはいってから、あれこれ来し方を思い出して書きつづった回想録なのだ
十三歳の秋ごろに筆を起こし、夫に先立たれて二年後の五十三歳までを書いている
更級日記というタイトルは、亡夫の最後の任官地が信濃守であったということで、夫を偲ぶ思いがこめられているのだろう
そして私が今回読んだ更級日記は、考標女の足跡をたどった更級紀行だった



我が心なぐさめかねつ更級や  
  姨捨山に照る月を見て





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fuu [MAIL]