━さすらいの歌人━
西行がどれほどの歌を作っているか、これまた実際の数を正確に決めることはできないようであるが、これはともかくとして、そのうち何歳の時の歌であるかということが判っているものは、その十分の一ぐらいのものであるらしい。 西行ほど実生活を隠している文学者は珍しい。ただ優れた歌だけを遺しているのである。もちろん西行が意識してそのようにしたわけではない。源平争覇をまん中に置いた乱世というものの為せる業であるが、文学者はかくあるべきだという懐いを持つ。作品だけを遺せばいいのである。
はかなくぞ明日の命をたのみける 昨日をすぎし心ならひに (いつも明日の命をたのんでは一日一日を過ごして来た。まるで惰性でここまで生きて来たようなもので、思えばはかないことである)
笠はありそのみはいかになりぬらむ あはれなりける人の行く末 (笠はあるが、蓑笠着けていた人はどうなってしまったのであろうか。人の行末というものは哀れなものである)
いずれも老いの心を素直に詠んでいて、構えているところなどいささかもない。西行の行き着いたところは、このようなところであったかと、多少期待はずれな思いさえ持ちたくなる。大歌人として悟ったところなどみじんもないし、ただ素直に人の世も、人の生涯もあわれで、淋しい、淋しいと言っているかのようである。が、こうしたところこそ、西行の人間として大きいところであり、歌人として純粋なところであるに違いないのである。 乱世に生まれ、乱世を生き、なんとたくさんの末法的現象を心に、眼に収めたことであろう。 西行は己が生の終りに、このように詠わずにはいられなかったのである。
2007年04月22日(日) |
かずら野 乙川 優三郎 |
足軽の次女・菊子は、糸師の大店・山科屋に妾奉公に出される。絶望に沈む彼女の前で若旦那の富治が父である主人を殺害する。嫌疑を逃れるため山科屋を出奔し、富治とかりそめの夫婦となった菊子は、夫のために人を裏切り、罪を背負って生きていかねばならなかった。
菊子がかずら野を越えてたどり着いた地で流産して、子を弔うために富治が死んでしまった後でもその地でひっそりと生きていくのだろう・・
どこか遠い地の果てに離れてしまったのならともかく、人と人との関りにこれで終わりなどという境目があるはずがないのだと思っていた
人には生まれながらに持ち合わせている明るさや強さというものもある、そういうものはどこかしら人の芯の部分にあって、外に現れたり隠れたりしながら人生の最後までついてくるのじゃないかな
菊子はふと立ち止まって、何もない野辺を眺めた。がらんとして耳鳴りがしそうな広野は、今日まで男と歩いてきた道そのもののようでもあるし、これから歩かなければならない道そのものでもあった。すると、そこに立ち止まっていることが悲しいほど虚しく感じられて、歩き出さずにはいられなかった。早くどこかへ行かなければと思いながら、あまりの広さに茫然とする気持ちだったが、思えば道を変える勇気がなかったために、行きつくべくして行きついたところだった。 何をして生きてきたのか、何のためにそこを歩いているのか、まったくわからないような虚しさだった。 とうとう来るところまで来てしまったらしい。そう思いながら歩くうちに彼女は夢の中にいるように錯覚し、いまいる野辺を越えれば札所が待っているような気がした。そこで札を納めて罪をひとつ減らしてもらい、あとはもうどこへなりと札所を目指し、男とともに身を清めてゆくしかないのだった。葛を踏む度に悲鳴が聞こえるように思われ、彼女は一刻も早くそこを出たいと思いながらも、そのために踏み続けるという矛盾を繰り返すしかなかった
私も娘のことを思ったら道を変える勇気がなかったと言うしかない
━室町の改革児 足利義教の生涯━
またしても私の無知が明らかになった 私は足利義教を知らなかった 金閣寺を建てた足利義満の息子で室町幕府六代将軍なのだそうな いったんは剃髪して青蓮院門跡義円として天台宗座主まで上りつめていたが、同腹の兄であった将軍義持の死去のあと三宝院満済の推挙によりくじ引きで将軍になったといわれている
「かりに予が将軍となれば、あくまで予は予の姿勢を貫き通すであろうぞ。さすれば守護大名や宿老たちが、予を将軍へ推したことを後悔するであろう」―そう言い、くじ引きで将軍の座についた六代将軍・足利義教。"威をもって治める"を旨とし、強い幕府、強い組織をつくるため次々と改革を断行するその姿は、後世の指導者たちが目指すところとなった。信長も秀吉も家康もみな、この男の真似にすぎなかった。
どんなつまらぬ人でも、人である以上、信念・怨念を抱えて生きている
小奴の澄子、久千代の民江、花勇の貞子、染弥の妙子、いずれも生活が貧しくて親兄弟の生活のために芸者になる 本人の人生観にもよるけれど、貧しいがゆえ最後は芸妓ではなく娼妓にまで落ちていく民江と貞子 そして戦争という抗えない運命の中で、金と男と意地がそれぞれの相手の家業に身を投じて生きていかなくてはならない女たち そんな四人と対照的な置屋の娘悦子 格差が広がってきた現代にも通じることだけれど、どういう家に生まれるかということは運といってもいいのだろうか
これは些細な事かも知れないが、小はここから始まって大は悦子が辿って来た生きかたまで、彼女たちに恨まれれば恨まれるだけの根拠は充分あると近頃になって悦子の臍も固まって来た感がある。 というのも、二十代三十代では全く見えもせず気も付かなかったものが、五十という年にもなれば歩いて来た道の跡がかなり明らかに見えて来るせいで、悦子がそれを思い返すのは、同時に彼女たちにも過去の姿が蘇っているに違いないと内心恐れている為でもあった。
「見どころとてなし韮の花」
「韮の花とて蝶集む。民江お前にも必ず盛りの時期がやって来る。悲観する事はない」
絵を書く人のヌードモデル、元ボクシングチャンピオン、そしてOLの3人が弱った心を抱え、占い師を訪ねて地下室に閉じ込められた 最初はいがみ合う3人だったけれど、お互いの心のうちを語るうちに共感力のようなものを感じていく濃密な夜を過ごす
同じ経験をしている者同士なら、ごく当たり前に話題は広がっていくだろう。でも、そうではない人たちに話しても、傲慢に思われ、無意味な反発をかうだけだ。慕うようなまなざしも愛らしい笑みも、けっして信用してはいけない。 人は、嫉妬と卑屈さのかたまりだ。 もちろん弱い者や運のない者、可哀想な隣人にたいしては寛容に振る舞う。他人の不幸に、利害がからまないかぎり聞き手はいつだって神の視点に昇る。悩みを相談されれば親身に聞き、ときに一緒に涙する。援助もする。そしてこんなに優しくなれる自分は、なかなかよい人間ではないかと満たされる。
題名の『裸の桜』というのは、春にはキレイな花をつける桜の木が『いびつに枝をくねらす冬の桜』こそ、ほんとうの桜の姿だということだろうか 折しも桜の季節・・ ふだんは気にもとめない木々がキレイな花をつけて、実は桜でしたと自己主張する 日頃は誰にも気づかれずにあたりの緑に埋もれているが、この季節だけ自分の存在を主張する 桜の名所といわれるように何本もの桜が咲き誇る景色よりは、こうした普段は埋もれているような1本桜が好きだ 私もかくありたい・・と思う だけど 私は人の目を引き寄せる何ものをも持たない たぶんこのまま一生 埋もれて生きていくのだろう それが私の人生なのだ・・・・・
2007年04月01日(日) |
弥勒の月 あさのあつこ |
満月の夜の翌朝、小間物問屋「遠野屋」の若おかみおりんが溺死体で見つかった。 若き同心(今で言う刑事)小暮信次郎は、妻の亡骸を前にした遠野屋主人・清之介の立ち振る舞いに違和感を覚えるが,岡っ引きの伊佐治から見たら信次郎もまた心の闇を抱えているように見えるのだった。…??
これは間違いなく推理小説だ。 遠野屋も信次郎もともに闇をかかえて周りにいる人間に哀しみを見せる。 闇を生きる2人の男の駆け引きを、父親のような伊佐治の存在が引き立てて、最後には思いもしなかった結末が待っていた。
それにしても弥勒とは・・。 よく耳にする弥勒菩薩とはこの世にくだって衆生を救うという。 清弥と名乗った闇の世界から抜け出して、遠野屋清之介は本来の影をもつ人間となるべくおりんに救いを求め、そのおりんを弥勒と見る。 やはり人は誰かに支えられ護られて生きていくのだろう。
歳を取るということが、諦めるということと重なり合っているのだ。 なにも望まず、望めず、日々を生き、どん詰まりに無為の死がある。
生きてこの世にあるということは、奇異なものなのだ。人の一生を人は決して見通せない。定まったものなどなに一つないのだ。生きていれば、その中途で弥勒に出会うことも、妖魔に憑かれることもある。 遠野屋は、すでに知っている。そして、目前のこの若い男は、風に季節の香を嗅ぐように、今、ふっとそのことに気が付こうとしているのだろうか。
|