読書記録

2007年02月26日(月) 教科書が教えない神武天皇      出雲井 晶

 今からおよそ二千六百余年まえに、神倭伊波礼古命(かむやまといわれびこのみこと)が日向から大和へ、道なき道をふみわけて、善良な人々を苦しめている土豪たちをたいらげ、すべての民が幸せでゆたかに暮らせるように、日本の国を建国して、第一代の天皇のみ位におつきになられました。そのお方を、「神武天皇」と申しあげます。
その、ご苦労の様をしるします。 

作者はこのように冒頭に記している
そして 占領政策に呪縛された歴史学者たちが学問的に証明されていないからと神武天皇の存在を信じないことは傲慢だとあとがきに書いている
だが その神武天皇の存在を『古事記』では在位76年、137歳で没し「畝傍山東北陵」に葬られたとあるが、あの時代でどうすれば137歳まで存きていられるのか・・137歳まで存きたからこそ神だと言うのだろうか・・
日本各地に古事記や日本書紀に記された地名やいわれが数多く残っていることこそが、確かな実証的根拠だと作者は言うけれど今のように記録を残せなかった頃の言い伝えはそれこそ聞き違いや願望による創作ではないだろうか
だが 日本初代の天皇として神武天皇を崇める日本人は多い
それはそれで自由だけれど過ぎ去った歴史の道具にされてきたことは認めたほうがいいのでは・・と私は思う







2007年02月20日(火) 武田家滅亡           土橋 治重

 お松ご料人逃走記


 信玄亡きあと 勝頼の代で戦国最強の軍団といわれた武田家が崩壊した

その信玄の娘であるお松は七歳の時に、信長の十一歳になっていた嫡男の信忠と婚約していた(させられたと言うほうが正しい)
武田家が次第に崩壊していく中で、信忠とのことも立ち消えになっていくがお松は一途な思いで異母兄の龍宝に言われたように『武田家滅亡』を見届けていく
勝頼の死後は髪をおろし『信松尼』として静かに生きていく
確かだいぶ前に『おんな風林火山』というタイトルでテレビドラマ化されたはずだ
もう一度見たいなぁ


黒髪の乱れたる世ぞ果てしなき
  思いに消る露の玉の緒

        勝頼室・辞世(北条氏政の妹)



おぼろなる月もほのかに雲かすみ
  晴れて行くへの西の山のは

        勝頼・辞世







2007年02月12日(月) 風の谷のあの人と結婚する方法    須藤 元気


 エッセイストであり、ノンフィクションライターである森沢明夫氏とのメールでのやり取りが本にまとめられた
森沢氏の質問に、須藤元気が答える形になっている
が、先にこの著者の『幸福論』を読んだので今回のタイトルから『恋愛論』だと思っていたが、どうやら『人生論』のようだ
私の主治医が言うように、彼は格闘家である前に(最近、突然引退表明をした)、宗教家というか哲学者だというのも頷ける
彼の発信している we are all one (すべては一体である) というメッセージも 人と人のつながりを言っている


成功すれば外側が豊かになり、失敗したら内側が豊かになれる。そういう意味で、<負けも真なり>なのです。
 また、うまくいっているときはいろいろな人から連絡があるし、たくさんの誘いがあります。しかし、うまくいっていないとそれがなくなります。ですから「成功は人のおかげ、失敗は自分のせい」だと考えるようにすると、人間関係もぎくしゃくしないし、いつも軽やかでいられます。









2007年02月07日(水) 女信長             佐藤 賢一


 たしか去年に日本人が一番好きな偉人のアンケート結果が公表されたことがあって、そのとき堂々の一位だったのが織田信長だった
この結果に私は・・ん・・と感じたことを覚えている

そしてこの女信長である
織田信長は実は女だったというものだが、何と面白い発想だろう
だが 考えてみれば作者の数だけ物語は作られるわけで、その独自の歴史的解釈に我々読者はドキドキさせられるのだろう
父の信秀に無理に男に仕立てられるも、斉藤道三には見破られそれでもお濃と一緒になる
そのお濃は御長(オンナでいるときの名前)と親友として暮らしていく
最初は取っつきにくい話だなぁと読みにくかったけれど、浅井長政や明智光秀とオトコとオンナの関係になるにいたっては、もう面白いというしかない
謀反を起こしたのは光秀ではなくて、秀吉がオンナであることの正体を見破って毛利と謀反を企てたため、光秀は愛する御長を救ったのだ、命を懸けて・・ああなんと面白い発想だろうか

「人生五十年、下夫のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり」
織田信長という男を演じて、御長の人生は文字通りに夢幻のようなものだった。実際、しばしば自分が覚束なくなる。なにものなのか。なんのために生きているのか。兜をかぶり、太刀を穿き、戦にまで繰り出して、女である自分が一体なにをしているのか。そうやって自問が際限なくなる夜も、一度や二度のことではない。
もちろん、自負はあった。女の身でありながら、織田の家督を任された。御屋形として尾張一統を果たしていれば、女だから劣るなどと考えたこともない。が、なぜ女として生きることを許されなかったのかと、異常な宿縁を恨みに思うときもあるのだ。
「女である私が、どうして、こうまで、苦しまなければならないのだ」
とはいえ、最近では自問も達観に行き着くことが多くなった。どれだけ嘆き、どれだけ煩悶したところで始まらない。今さら後戻りできないという理だけは、すでに曲げようがなかった。織田信長という幻を立てるために、すでに多くが死んでいったからである。
死者に同情するつもりはない。ああ、ひとたび生を得て、滅せぬもののあるべきか。そう突き放すことで、御長は挫けそうになる自分に言い聞かせることにしていた。ただ死者の重さだけは受け止めなければならないのだと。夢幻なら夢幻の五十年を、また私も走り続けるしかないのだと。











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