読書記録

2006年11月30日(木) 春日局と徳川の女たち


 テレビドラマのようなタイトルの本を読んだ

一流執筆陣が描く、時代の波にゆれた女の生涯・・・

春日局     早乙女 貢
  逆境を超えて栄光をつかみとった将軍家光の乳母

築山殿     邦光 史郎
  乱世の犠牲として息子と共に散った家康の正室

英勝院     安西 篤子
  悔いなき生涯を全うした家康好みの側室ナンバーワン

崇源院     祖田 浩一
  「忍」ひとすじ、宿命を背負って生きた将軍秀忠の御台所
 
千姫      円地 文子
  政略で豊臣家に嫁いだ将軍秀忠の長女

桂昌院     杉本 苑子
  玉の輿に乗った徳川版シンデレラ、将軍綱吉の生母

絵島      島津 隆子
  数奇な運命に弄ばれた悲劇の大奥女中


あまた多くの乳母や側室がいて、文章にはならない記録にもない女性が
いただろうと思われるが、この本に登場する女性は成功者が多い
そんな中で家のために利用された権力らの娘も多かったようだ
ちらちらとテレビの大奥という番組は見ていたが、陰謀とか妬みとか人間の本性ばかりが前面に出ていた覚えがある
それと似た感じがしている







2006年11月25日(土) 流離の海              澤田 ふじ子

「りゅうりのうみ」と読む

副題は私本平家物語

私は あの諸行無常の平家物語を読んでいない
作者もあとがきで書いているように平家物語は、登場人物は有名な人々ばかりで庶民の姿や生活があまり書かれていない。
正に私が知りたいのはそのことで、何らの資料にも記されていないような私のような庶民の当時の生き様が知りたいのだ。

この物語の主人公である非田院育ちの有王は実在した人物のようだ。
平家物語に俊寛僧都を喜界ヶ島へ訪ねていく寺僧として登場している。
赦免されて都へ帰ってくるらしい・・との噂で草津湊へ出向いたものの、俊寛の姿はなく気落ちする有王の姿には私も思わず涙した。
その後 はるばる喜界ヶ島へ旅立って俊寛に逢った時の描写はあまりにもせつない。
平成の今の世でも喜界ヶ島は京都からはあまりにも遠いのだ。

そして 東大寺勧進の俊乗坊重源の人物描写も面白い。
平家の南都焼き討ちで炎上した東大寺の復元をした勧進僧としての重源はあまりにも有名だが、その重源を作者は自分の地位を固めるために、詐欺師的資質を発揮したと表している。

そして平維盛の補陀落渡海も私には興味のあることだった。
「あはれ人の身に妻子といふ物をばもつまじかりける物かな。此世にて物をおもはするのみならず、後世菩提のさまたげとなりたるくちおしさよ。只今もおもひいづるぞや。かやうの事を心中にのこせば、罪ふかからんなるあひだ、懺悔する也」
有王は熊野への道をたずねられたときから、すでに維盛の覚悟を察していた。一切の経過を考えれば、とても制止はできなかった。
かれの求めにしたがい、快くその死に場所、補陀落山寺へ導いてやるのが、慈悲というものだろう。



人間の世界は潔いばかりでは息がつまる。臆病も意気地なしも、人間の属性の一つで、勇猛果敢だけの人物には、人の世の痛みや哀しみはわからない。阿弥陀仏はそんな弱い人間にこそ、救済を約束されている。


是乗せてゆけ 具してゆけ   (俊寛辞世 と言われているが・・)












2006年11月20日(月) 西行桜           火坂 雅志


 題名にひかれて読もうと思った本だけれど
西行桜は『裁許桜』(さいきょさくら)だった・・・

桜谷の村人は、そのいまわしい記憶を消すため、花を愛した歌人西行の伝説に結びつけて、裁許桜を西行桜と呼ぶようになった・・

 世阿弥妖曲集
世阿弥元清
弱冠、二十三歳。父、観阿弥の死により、去年の春に観世座を継いでから、まだ一年にしかならないが、幼少のころから鍛え上げられた世阿弥の芸は、一座の長となった今、まさに大輪の花を開かせようとしていた。

 闇源氏物語
源霞━闇源氏の名を知らない者は、今の都にはいない。洛北、船岡山のふもとに住み、人々の依頼を受け、世の災いをなす妖魔を退散させる平安京一の退魔師である。
その力があまりに卓越しているのと、人間ばなれした美貌のため、闇源氏自身が魔性のものではないかと噂する者さえいるほどだ。

 元三大師幻奇譚
比叡山の最北、横川香芳谷に、
「元三大師御廟」
と、よばれる古びた廟所がある。その廟所に眠っているのは、”比叡山中興の祖”といわれる第十八代天台座主、慈恵大師良源。
じつは、元三大師は死のまぎわ、極楽往生しないことを誓っていた。それはつまり、成仏しないということである。成仏しない魂は、永遠にこの世をさまよい歩くことになる。古来、鬼とか怨霊とかよばれるのは、そうした地獄へも極楽へも行けない魂魄のことだ。元三大師は、みずから魔道に身を落とすことにより、比叡の山を末代まで守り抜こうと誓ったのである。

妖異とか幻想とかいった世界のことは正直苦手だ。
映画にして大きなスクリーンで見ればさぞかし面白かろうとは思うが、文字で追うのは少々疲れる。
でも古代から中世の頃は病気や災難といったことには加持祈祷により振り払ってきた。そういう意味からも呪禁師や退魔師の幽冥な世界を読むことで、あの時代の側面を知ることもできるのだろう。










2006年11月15日(水) 月を吐く            諸田 玲子


 先日 『女にこそあれ次郎法師』を読んで
どうしても この物語での主人公である瀬名との関係を知りたかったので、2度目になるけれど改めて読み返してみた
でも『月を吐く』では井伊家との関係は書かれていたけれど
残念なことに次郎法師である祐とのからみはなかった
まぁ ある意味当たり前のことだろう・・

今川義元の領地である駿河に人質として暮らしていた松平元信(家康)と結婚した瀬名だったけれど、信長が桶狭間で義元の首を落としたことから瀬名の運命が狂っていく
架空の人物なのか瀬名の実家である関口家で育てられたきくねと広親姉弟の存在が光る
築山殿(瀬名)が殺されたようになっている歴史の言い伝えを、作者はきくねが身代わりになったように物語を書いた
満更 突拍子もないことではないだろう
きっとそういうことだったかも知れない・・と私も思う

それにしても『月を吐く』というタイトルが面白い
随所で月を眺める描写が美しい

陽が沈めば月が出る。月が沈めば陽が昇る。
太陽も月も空にあるのはいっとき。
昇っては沈む、そのくり返しだ。
東山の頂が月を吐き出す。
月は夜ごと生まれ変わる。満月にもなれば新月にもなる。
なれど山は飽きもせず、月を吐き出す。
いくら吐き出しても、腹のなかに炎の塊があるゆえ・・・
満月━明日から欠けてゆく月である。
満月はひと夜の夢。

ひとつ事を成すには、なにかを捨てなければならない。
なにもかも満たされることなどありえないのだ。


(私は広親のファンでこの本はお気に入りのひとつだ)












2006年11月08日(水) 月宮の人           杉本 苑子


 徳川2代将軍家忠公とお市御寮人の娘、お江の方とを両親にもち徳川の公武合体政策の下、後水尾天皇に嫁ぎ女帝明正天皇の母となった東福門院和子が主人公
その東福門院に仕えた浅井長政とは母方の従兄妹同士である井ノ口の尼、その尼を義理の叔母に持つ医師曽谷宗祐、そして宗祐が思いを寄せた東福門院和子付きの近江の局との三者三様がそれぞれの思いで語り継いでいくという表現になっている

それにしても『月宮の人』とは・・
物語のラストで、女三代(お市御寮人・お江・そして和子)にわたる慟哭を経て、ようやく運命の重圧から逃れることの出来た女院=和子は、人界とは隔絶した別世界、すなわち、月宮の人となってようやく心の安らぎを得たのだ

きれいな終わり方ではあるけれど、争乱の世を生きるには辛い時代なればこそ女ゆえに血を継承していくこともできたのだろう
やはり男の作家と女の作家では視点が違うのだ


花は根に鳥は古巣に帰るなり
 行く手を照らせ中空の月  

           お市御寮人辞世









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