2006年07月28日(金) |
王朝序曲 永井 路子 |
「一県千家花ならぬはなし」 彼の生涯は時代に花を溢れさせた 奈良〜平安にかけての 王朝政治を背景
桓武天皇の死後、時代はめまぐるしい変転をとげる。 天皇も平城から嵯峨へと。 日頃、華麗優雅と考えられている平安は桓武天皇と皇太子安殿との骨肉の争いという苦悩と混乱のうちに幕を開ける。 藤原真夏、冬嗣兄弟に視点をあてている 冬嗣たちの手によって混乱期を突きぬけたとき、いわゆる平安時代が始まる。 兄弟は他人の始まり・・とはいつ頃から言われたのだろうか? 平城天皇が薬子の乱で自沈して、兄の真夏も表舞台から降りていく。
嵯峨天皇の時代になって父、内麻呂や兄の真夏を覚めた目で見ていた冬嗣の時代になっていく。 冬嗣の北家が藤原家の主流となっていくことがこのタイトルのように「王朝序曲」の幕開けとなっていくのだ。
「河陽の風土 春色にぎわい 一県千家花ならぬはなし ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 豊かな河陽の春 花の溢れぬ家もなし ・・・・・・・・・・・・・・・・ 『王朝と呼ばれる社会の華麗さと諸矛盾について 今、問い返すときは来ているようだ 誰か言う、「千家花ならぬはなし」と さて、今はどうだろうか? 民主主義国家でありながら 民意は マスコミに先導された意識であり フタをされた部分に真実が多くあるように思える。 民主主義であるがゆえの 不誠実。 千家生活水準は高くても 人々の心は荒み 犯罪の低年齢化や分別あるはずの大人の馬鹿げた犯罪が 世の中に氾濫している。
2006年07月17日(月) |
道祖土家の猿嫁 坂東 眞砂子 |
道祖土家(さいどけ)に嫁入りしてきた蕗は、顔が猿にそっくりだったため人から猿嫁と言われていた
蕗の嫁入りの日から始まって、曾孫の十緒子が蕗の三十三回忌の法要に参加するまでの長い歳月が淡々と書かれている 一人の女性が夫や子供のために、それはある意味その女性自身の思いのために必死で生きたであろう物語が好きだ 感情移入してしまう私はその女性と物語の時代を共に生きた思いがする
百姓の娘として育った蕗にとって、待つのは苦にならなかった。苗を植えて、稲が実る日を待ち、台風が来れば、過ぎるのを待ち、戦が起きれば、終わるのを待つ。そんなことは、生活の一部だ。だから蕗は目の前の問題もいつか時が解決してくれるものと、なんとなく信じていた。
女ゆうもんは、自分をごまかすのがうまい。
周囲が決めた男のところに嫁ぎ、舅姑に下女のように仕え、口では自由民権を唱え、人間、皆、平等と叫びながら妾と遊ぶ夫の世話をしてきた。
日本が戦争に負けても、いつもと変わりない日が続いていた。明治から大正に変わった時も、大正から昭和に変わった時も、時代は変わると世の中は騒いだが、ただ流れる用に時は過ぎていっただけだった。きっと、今回も同じだ。世がひっくり返ると騒ぐのは、人がそう願っているからに過ぎない。だけど、世の中はやじろべえみたいなものだ。どんなに大きく揺れてもひっくり返ることはない。結局はどこか安定した位置に戻っていく。
西行は平安末期から武家時代を73歳まで生きた 鳥羽上皇の北面の武士の立場も妻子も捨てて、23歳で決然と出家した 作者も51歳の決断で出家得度している 出家した年齢に差はあるものの、同じように出家した心の内を作者がどのように書いてくれるか興味があった だからふつうの小説風ではなくて、西行が出家してから移り住んだ場所を西行が移り住んだのと同じ季節に作者自らが訪ねて、その時の西行の思いに馳せる この西行探索は、得度しても自分を問い続ける作者自身への探索でもあるようだ 法名円位と名乗った西行は洛外、高野山、伊勢、讃岐、陸奥、吉野を転々としながら歌を真言として生きた姿は、作者が出家してなお作家として文章を生み出している姿と重なる それでもこの『白道』を書いたときに感じた思いは、文中の70年生きてわが心ひとつがついに捕えきれないということを、わが心がようやく悟ったという作者の胸の内を吐露する
惜しむとて惜しまれぬべきこの世かは 身を捨ててこそ身をも助けめ どうせ惜しんだみたところで惜しんではくれないこの世、いつかは死に至るこの世ではないか、それならいっそ我から身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあるのではないだろうか。自分はその道を進んで選ぶのだと、胸を張っているのだ
これはホラーかそれとも大人のおとぎ話か
二十年ぶりに、故郷である高知の矢狗村を訪れた比奈子は、幼馴染みの莎代里が十八年前に事故死していたことを知った。その上、莎代里を黄泉の国から呼び戻すべく、母親の照子が禁断の"逆打ち"を行なっていたのを知り、愕然とする。四国八十八ヶ所の霊場を死者の歳の数だけ逆に巡ると、死者が甦えるというのだ―。そんな中、初恋の人・文也と再会し、恋におちる比奈子。だが周囲で不可思議な現象が続発して…。
四国は死国。神の谷の石柱が泥の中に沈み、死国はこの世の外に消えた。しかし、この島には、今も死者の心が渦巻いている。死者は、私たちのそばにいて、私たちを見ている。私たちが、彼らを呼び出す日を待ちながら。
照子が逆打ちしたことと、文也が神の谷で石柱を起こしてから莎代里は甦ったようだ。子供の頃から好きだった文也を比奈子から取り戻すために。
文也は苦々しげにいった。 「自分が、人生にも、他の人たちにもものわかりのいい人間だと信じてきた。ものわかりがよすぎたから、早くから人生に疲れたのだと思ってきた。だけど、今では何だかわからない。・・・ひょっとしたら僕は安全な自分の甲羅の中にいて、外の世界に自己流の解釈をつけていただけかもしれない。甲羅の外の世界に出ていくことをせずに、それを直視するのを避けてきた。純子・・・別れた妻が抱いていた不満も・・・莎代里の視線も・・・」
それにしても死者が甦って残された者に言葉を発したらこわいなぁ。 だけどたいていの人間がこの世に未練を残しているだろうし、いろんなことを置き去りにして旅立っているだろうから・・・。
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