先に読んだ『風の陣』の続編のような感じか。 同じ阿弖流為を書いた澤田ふじ子の『陸奥甲冑記』も読んだが、阿弖流為と田村麻呂の描写が微妙に違う。 高橋氏は蝦夷の恭順は阿弖流為の策としているのに対して、澤田氏は田村麻呂の人徳だと表現している。 最もどちらにも言えることは阿弖流為は田村麻呂ゆえに恭順するわけで、田村麻呂も阿弖流為が相手なら融和策しかないと思ったわけだ。 誰でも平和に暮らしているところへ他者の侵入があれば戦うのは当たり前のことだが、大和朝廷に対して堂々の戦いを挑んだ古代東北の英雄、阿弖流為ゆえに清々しささえ感じる。
『火怨』は 男性作家の作だからなのか戦闘場面がとても細かくてリアルで動画を見ているような感じさえした 文中の細かい策は高橋氏の創造力の賜物なのだろうか、それとも東北出身の作者ゆえの取材による言い伝えのようなものがあったのだろうか 阿弖流為も田村麻呂ゆえに帰順したのだろうけれど、これも時代のめぐり合わせとしかいいようがない 相手が田村麻呂でなければ歴史も変わっていただろうに・・・
願はくは 花のしたにて 春死なん そのきさらぎの 望月の頃
有名な句を残して西行が入寂したのは陰暦二月十六日、釈尊涅槃の日だというのは有名な逸話である。行年七十三。
西行の弟子とされる民部省の役人藤原秋実が西行の死後、師のゆかりの人々を訪ねていくかたちで物語は進められている 天皇と上皇、関白と左大臣の争いといわれる保元の乱における西行の苦悩も書かれている 西行と桜というあまりにも美しい取り合わせは、それゆえ悲しい・・のだ
『西行花伝』はとりかかるまでに十年近くかかった。 吉野を歩いたり、紀ノ川と辿ったり、白峰にいったりした。書き出してからも文字どおり重い荷を担ぐ思いをした。 西行の内面の成熟と、摂関政治から武家支配に変わってゆく時代の崩壊過程とを、焦点の深いレンズで一挙に撮影するのに似た手法で書きたかった。全体を単一の一人称でも三人称でもなく、一章ごとに語り手を変え、内側と外側を合わせ鏡のように書いたのはそのためだった。 摂関家の内紛も、源平の盛衰、日本人の了解の射程のなかにあることを前提にして、わざわざそれを詳細には書かず、時代のどよめきとして、人物たちの周辺に配置した。しかし真の主題は美と現実の相克であり、とくに侍賢門院と西行の恋、崇徳院と西行の対決のなかに、それがあぶり出されるように書きすすめた。私自身が現実を超え、美の優位を心底から肉化できなければ、この作品を書いても意味がない━そんなぎりぎりの地点で生きていたような気がする。〈作者・・・まえがき・・・)
西行は厳格な戒律も、高遠な説教も、深刻な思索も要求しなかった。ただあるがままで、一切を放棄し、森羅万象(いきとしいけるもの)を大円寂の法悦に変成すること━西行が望むのはそれだけだった。そのとき、無となり透明となった我が身の奥から、真如が輝きはじめる。 春になると花が咲き、秋に月が澄む。そうした森羅万象のたたずまいが西行の心をたまらなく弾ませる、心を浮きたたせる。かつては桜が西行の心を物狂わせたが、いまでは万物が枯れる晩秋の侘しさも雪の降りしきる冬の山里も西行の心をしみじみとした嬉しさで満たしてくる。西行はこの心の弾みをつねに保つことを望むのである。 西行の説いたのはそのことだけともいえる。真に己れを捨て、己れが透明になるとき、己れは花であり、月であり、山であり、海なのである。 それは言葉で言うことではなく、全身で、実際に、そうなることなのであった。
私は歌を詠むとき、仏師が仏像を作るのと同じ気持ちになる。歌のあらわす相は如来の真の御姿だと言っていい。歌が自分から生れたものだという気持がなくなっている。たしかに私が詠み出した歌ではあるが、歌がみずからの姿となった途端、それはもはや私のものではない。 仏師が仏像を彫る。仏師の手が仏像を作る。だが、仏像ができあがったとき、仏像はもはや仏師のものではなく、御仏の姿としてそこにある。 歌とて同じだ。歌も私から離れ、歌そのものとしてそこにある。
ふつうの歴史年表はいろんな事実は1行のみの表示だ
754 鑑真来日 756 鑑真・良弁大僧都に任命される 759 鑑真唐招提寺を創建
ふ〜んと読み進めていきがちな歴史の事実はとてつもなく重い あの頃の航海の困難は命と引き換えといってもいいくらいの状況で、そんな中鑑真のまだ知らぬ地で仏教の普及をしたいという気持ちと、何としても高僧を故国へ連れてきたいという留学僧の思いが、よく書かれている 少し前に読んだ永井路子の『氷輪』は鑑真の来日してからの苦労が書かれていたが、この作品は来日するまでの苦労が普照の目線から書かれている 故国の土を踏めなかった宋叡や業行の存在も忘れがたいものがある
主人公の髭麻呂は検非違使庁に勤める下位の官人で、盗賊追捕の役を仰せつかっている 最初は時代設定は違っても宮部みゆきの『ぼんくら』と似た内容かと思ったが、少々違った 少し前に読んだ永井路子著の『この世をば』の時代の物語だった
上司の命で65代花山天皇の帝位剥奪の際の守備をさせられている
そして これは作者の創造上の人物だろうが藤原春道という盗賊蹴速丸の存在が軸になっている 理解に苦しむのは安和の変で失脚した源高明の娘の明子のこと この明子という姫は『この世をばわが世とぞ思ふ望月の虧けたることもなしと思えば』 という句を読んだ藤原道長の后ではなかったのか だがこの物語では 先の安和の変の混乱の際にさらわれて、貧民窟に身を落としたようになっている それを蹴速丸が助け出したようになっているのだ こうなれば 作者の想像力としか思えない
でも どんな時代の歴史上の出来事にもその場にいて見ている人間がいるのだ 後から伝えられることのない庶民というか、必死で生きていた市井の人々の歴史があるのだ 私が知りたいのはそうした人々の呻きのような真実なのだけれど・・
2006年05月02日(火) |
裸足の皇女 永井 路子 |
正直 短編集は苦手だ だが 大津皇子の后になった山辺皇女のことを知りたかった いろんな解説があるけれど、持統天皇は自分の子供の草壁皇子を帝位につかせたかったというよりは、山辺皇女を皇后にしたくなかったという説に私は真意を感じる
冬の夜、じいの物語 蘇我家の奴だったじいが、体が震えるほど美しかったという大豪族の蘇我氏の娘、小姉君の思い出を孫娘に語る物語 もしかすると、・・・・・若い日、狂暴な思いが体を突きぬけ、姉(小姉君)と弟(馬子)に生まれたことさえ呪わしく思ったことがあったとしたら・・・。そして、美しすぎる姉は、自分の美しさにも、弟の心にも、なにひとつ気づかなかったとしたら・・・
裸足の皇女 天智帝のひめみこ山辺は大津皇子と結ばれ皇后の座にまさにあと一歩と思われたが、草壁皇子が皇太子になりそれどころか仲間と思っていた川嶋皇子の密告によって、叛意をあばかれ自裁せしめられた。大津が自裁したと聞いたときひめみこは我を忘れて邸を飛びだしていた。このとき、ひめみこは裸足だった。
もがりの庭 人間はあるとき、急にすべてを知る。びっしりと蔽っていた堅い萼がはらりと解けて、中から蕾が姿を現すーそんなものかもしれない。 うんざりするほど長く続いたモガリは、新田部にとって夢のようなものであったのか。
天武帝の皇子新田部は母(父は鎌足)が異母兄藤原不比等と結ばれたことを知る。母との間に子までなしたのに不比等はその後、橘三千代とねんごろになり夫婦して官界へ船出していく。
恋の奴 十五歳の郎女に穂積皇子の若き日の恋をおしえてくれたのは母の異母兄である宿奈麻呂だ。天武帝の第一皇子である高市皇子を夫とする但馬皇女は年下の穂積皇子と恋に落ちたのだ。
黒馬の来る夜 藤原麻呂が黒馬に乗って郎女のもとに通ってくる蹄の音を宿奈麻呂は闇のなかで聞く。
水城相聞 宿奈麻呂と結婚した郎女だけれど、一族の長大伴旅人が大宰師として下っていた筑紫で妻を喪ったため女あるじとして筑紫へ出かけていく。 ー異母兄旅人の誘いを機に、私は宿奈麻呂から離れたがっているのだ・・・。都を離れた遠い地にいるという気持ちからなのか迎えにきてくれた一鈍吏に過ぎない大伴百代を愛してしまう。人間には、ある種のめぐりあいがある。地位でもなければ才能でもなく、まして美貌でもないものに、 ふっと魅かれてしまって、どうにもならなくなる、というようなめぐりあいが・・・。
古りにしを 寧楽の都に痘瘡という流行病が発生して、高貴なひとも藤原四兄弟までも襲われてしまった。そんな政界の空白を埋める必要もあってさほど 日の当たらない道を歩いてきた宿奈麻呂にも一躍実務官僚の頭株というべき右代弁という地位がころげこんできた。が彼もまた痘瘡の余燼に 襲われてこの世の人でなくなってしまった。
火の恋 平城宮の後宮の蔵部に仕える女嬬である娘子(おとめ)と、神祇官の下僚である中臣宅守(なかとみのやもり)との恋
妖壺招福 長安の盛り場で、物売りはそんなことを書いた紙片をちらりと見せて、登紀麿のその壺を売りつけたのだった。
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