読書記録

2005年12月19日(月) 女帝・氷高皇女      三枝 和子

書籍内容

祖母・持統天皇から「氷高を長屋王に婚姻せたりはしません。あの皇女は、もっと大変なことが出来したときに重要な地位に即いてもらわねばなりません。誰彼の妃になどしてはならない」と命を受け、母・元明天皇から「私が生きているあいだは、不比等はお前を御位から下ろすことはできますまい。お前は推古様のように長生きして、長く皇位に即いている必要があります」との言葉を受けて、政争のただ中に、氷高皇女は即位する。生涯独身だった美しき女帝をとりまく、不成就の恋の歌。政争と不思議なめぐり合わせで、祖母、母、娘と三代の女性がつづいて皇位に即く。



天皇に何人かの皇子がいた場合、皇位の順番は母親の出自によって定まるので、藤原不比等は自分の娘を後宮に差し出して天皇の子を産ませ自分に繋がる子どもを位につけようとする
そして天皇を変えることによって自分たちの勢力拡大につなげていく
平城に都があった75年の間に8人の天皇が即位した
そして3人の女帝がいたのだ
持統、元明、元正といった蘇我氏の血が流れた女帝だったけれど、いつの間にやら藤原氏が入りこんでしまった
その藤原氏でさえ北家、南家、京家、式家に分裂していくのだから歴史は分からない

それにしても元明天皇(氷高皇女)は なりたくて天皇になったわけではないので、自分があっさりと不比等の娘婿でもある甥の聖武天皇に譲位してしまったがための長屋王の悲劇には胸を痛めた
ある程度は作者の思いも多少はあるのだろうけれど、女官である不比等の妻『県犬養橘三千代』の立場からみた皇位はどうだったかなぁ・・と、もう一度読み直したほうがいいかなぁと感じている






2005年12月14日(水) 闇の左大臣        黒岩 重吾

 石上朝臣麻呂(いそのかみのあそんまろ)

書籍内容

蘇我臣馬子との戦いに敗れた物部本宗家は、朝廷から絶縁され滅びたが、中立の立場を守った石上物部の血筋をひく物部連麻呂(後の石上朝臣麻呂)は許され、冠位は最下級の刑官に属する囚獄吏の長となる。やがて大友皇子の武術師範になるが、壬申の乱で大海人皇子に敗北。しかしこの負の来歴も麻呂にはひとつの転機であった。遣新羅大使としての働きなどで天武天皇の信を得るが、天武亡きあと藤原朝臣不比等が頭角を現し権力を集中する中で、麻呂の選択は?歴史の暗部を生きた男の謎が明かされる。黒岩重吾の絶筆。



天智朝および天武朝の晩年まで、物部連麻呂は最下級に近い官人だった。だが天武没後、石上の氏族名に変り、和銅元年(西暦708年)、元明天皇の時代に、正二位左大臣にまで昇進した。臣下としては最高位である。ただ、麻呂が何故そこまで出世したのか、その真相は闇に包まれている。


万葉の頃の物語として『橘 三千代』、『山河寂寥』、『薬子の京』、『万葉の華』とか何冊かを読んだ。が、いずれも女性の作品だった。そして主人公はすべて女性だった。
今回、初めて男性の作による男性が主人公の物語を読んだ。
強い描写のなかに何気に今の時代と通じるようなところもあるように感じた。
要は仕事ができて、相手の弱点を握りつつもいらぬことは口にしないことだ。でも主人公が最高位の左大臣に上り詰めたとき、年齢による感傷もあるのだろうが何気に寂寥感を感じたようだ。
読み応えのある本だったと思うのと同時にますます万葉の時代への興味をおぼえた。



2005年12月04日(日) 万葉の華    小説・坂上郎女     三枝 和子

 『万葉集』が大伴家持の編集によるものであるというのは通説である。ひょっとしたら『万葉集』の編集には、家持の叔母である坂上郎女が深く関わっているのではないかという仮説のもとに書き出されたのがこの本である。

家持は持節征東将軍として陸奥の軍に派遣されている最中、任地で病死した。が、その死の1ヶ月ほど後に起こった桓武天皇の寵臣藤原種継が暗殺された事件に関わったとして不明朗な取扱を受けた。種継を暗殺したという男が白状して、この事件は帝と種継による長岡遷都に反対する者が起した謀叛で、皇太子早良親王を擁立し朝廷を傾けようとするものであるという。家持は皇太子傳であったので、事件のときにはすでに死んでいたにもかかわらず官名を剥奪、荘園を含め一切の私財を没収、後嗣の永主は隠岐に流された。そして私財として没収されたもののなかにあった歌集が『万葉集』の原形であると言われている。

坂上郎女は14歳で穂積皇子の夫人になったが、一年半にも満たない短い結婚生活で皇子はお亡くなりになった。郎女はようやく16歳になったばかりだった。
その後、母の異母兄である宿奈麻呂と結婚して二人の女の子の母となり、上の娘が家持の夫人となった。

今、女帝問題が議論されているけれどこの時代の天皇とはいったい何だろうか。血で血を洗うようにして繋がれてきたと言ったら言い過ぎだろうか。豪族ではなかった藤原の権力への野望は凄まじく、娘を入内させて天皇との間に皇子を産ませようと必死になる。強力な後盾となるために。後宮はすっかり藤原氏のものとなり、家持の父である旅人は大伴の家の古来の地位を信じて天皇に奉仕するつもりでいるけれども、その天皇の内実はすっかり藤原と化しつつある。大伴は藤原氏に仕えているようなものなのだ。
それでも家持は歌によって救われ、叔母の坂上郎女とともに詩作に励む。


ぬばたまの 夜霧に立ちて おぼぼしく 
照れる月夜の 見れば悲しき
(夜霧が立ちこめて、そのためぼんやりとしか光らない月を見ていると、何だか悲しい。)

うちのぼる 佐保の川原の 青柳は 
今は春べと 成にけるかも
(佐保川に沿ってさかのぼって行くと、川原の青柳が芽ぶいて、ぼうと青くかすみ、もう春になったんだなあと、しみじみそう思っています。)


それにしても この物語に限らず多くのいにしえの物語の舞台に住まいしていることを改めてしみじみしている。


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