2005年08月25日(木) |
昔日より 諸田 玲子 |
短編集だった 何気にがっかりする
新天地 幕府成立直後、動乱の江戸で懸命に生きる父子の物語 父に不信を抱いて 江戸に登る途中で知り合った金兵衛の店に転がり込むとは何としっかりしていることか わずか十歳の国太郎
黄鷹(わかたか) 老人は忍びで、黄鷹と呼ばれている。清雲院(家康の側室)の身元引受人であった京の豪商、茶屋四郎次郎のもとで幾たびか戦働きをしたのち、清雲院に譲り渡された。黄鷹とは一歳の鷹の意とやら。その名のとおり、当時は敏捷でたくましい若者だった。 今や名とはまるでそぐわない老人である。大坂夏の陣で豊臣家が滅びてからは戦らしい戦がないにで、忍びの出番もめったになかった。それでも鍛え上げた足腰は衰えを知らず、清雲院の目となり足となって、庵に世間の風を吹きこむ役目を果たしている。
似非侍 「曲則全」 曲なれば則(すなわ)ち全(まった)し━ 曲がっていればこそ命を全うできる。老子の言である。 背を丸めて寝ている姿を茶化すだけの戯れ言かもしれないが・・・・。武士の気概を嘲笑っているようでもあった。 長年、中間の身に甘んじ、悶々と生きてきた。いざ過去の恥辱がぬぐわれ、仕官が叶うというときになって、心はそよとも動かない。猪之助の骸を見て我が身を思ったように、猪之助も、酒を酌み交わしたあの夜、弥次右衛門の寝姿に己を見たのではないか。武士にしがみつこうとする姿がおかしくて哀しくて、思わず「曲則全」と書き添えた。 涼風にあおられ、汗はたちどころに乾いてゆく。
微笑 空いばりするだけの父親と、卑屈にちぢこまっている母親と、妾上がりの継母にも自分にも冷淡な兄と・・・・・。旗本の体面を保つのが精一杯で、内実は日々のやりくりにあくせくしている坂尾家である。その中にあって、いつの頃からかねじれてしまったこの自分が、今さらどんな顔で大番組頭の婿養子におさまるというのか。 人は嫌でも大人になるのだ。 ・・・・・・昔日の微笑が生涯ついてまわるだろうと、苦い唾を呑み下しつつ・・・・・。
女犯 僧侶には「具足戒」といって二百五十の戒めがある。そのなかに「不淫戒」という体の交わりを禁ずる戒があった。これは寺社内だけに留まらない。六,七十年前までは、戒を犯した者は極刑に処せられた。八代将軍吉宗の御代に「御定書百箇条」が定められ、「女犯」についても明文化された。以後は程度の差によって、獄門、遠島、晒しののち追放、のいずれかに処せられる。
子竜(しりょう) 世を嘆きつつ来し方に疑問を抱く老武芸者 四谷北伊賀町に忠孝真貫流の剣術道場を構え、武芸十八般から軍学・兵学を修めて著書五百巻をものし、幕府に蝦夷地の「海防問答」をつきつけてはばからぬ豪気の武芸者・子竜こと平山行蔵は、戦国武士のごとき質実剛健な暮らしぶりから、生きながら伝説の人になりつつあった。となれば、自ら定めた戒律を破るわけにはいかない。 それでも六十半ばを過ぎた老体である。他人には言えないが、「いやはや参った」と音を上げることもしばしばだった。
打役 子伝馬町の牢獄を預かる牢屋奉行の配下には、子頭、世話役、書役、賄役のほか、鍵役、数役、打役の同心がいた。打役を務めた者の中から数役、鍵役助役、さらに鍵役へと年を経て昇進してゆく。もっとも昇進したところで上席は鍵役止まり、しかも牢屋同心は世襲だ。
船出 慶応が明治に変わり、徳川家の幼君・家達(いえさと)は駿河藩の領主となった。これに伴って旧幕臣とその家族は駿河・遠江(とおとうみ)へ移住せよと命じられた。そのための護送船が、二千五百人余りの老若男女の別なく船倉に詰め込んで清水港へ向けて出立した。 幕府が消滅して、幕臣は緑を失った。船に詰め込める荷物は長持一棹と身のまわりの品だけと定められている。だれもが裸同然だった。
2005年08月16日(火) |
戦場から届いた遺書 辺見 じゅん |
終戦記念日に合わせたわけではないが 辺見 じゅん の『戦場から届いた遺書』を読んでいる
こういう本は図書館で借りてきて読み切れるものではなく いつも手元に置いておいて 心乱された時に読みたい 今をどんなに愚痴っても命を脅かされることはないのだから
現代においては遺書は老人や重病の人によって書かれるが、戦争中には、若い人々によって書かれた。戦争はなによりも若者の死を大量に生み出す残酷な営みであるから、若者の遺書は当然多くなる。彼らは、死を前にして、自分の思いを、父母や妻や友人に書き綴った。平和なときでさえあれば春秋に富むべき人生を、無理無体に断ち切られるという状況において、自分の思いを必死で書いた。しっかりとした文章もあれば、文を書きなれない人のたどたどしい文章もあった。
いかに健気な覚悟が記された文面であろうと、兵士たちの遺書には死に赴く者の嘆きがこもっている。そして無名兵士の遺書には、祈りの響きがある。 これらの文章や息子の戦死の知らせに、何日も泣き続け、なおおさまりきれない悲しみのあまり、顔の形が変わってしまった母もいたという。
現代の見方によっては人々の内側から腐ってきているのではないのだろうか・・という状況の中でこそ、戦場での事実というか戦争とは何かを知ることだろう
2005年08月08日(月) |
有栖川の朝 久世 光彦 |
書籍内容 あなたは今日から「有栖川識仁」さんです。人生は"配役"の問題だ。殿様面の大部屋俳優と、馬鹿で酒乱で美貌の華ちゃん。二人を拾った"川獺のお月さん"は、偽の華族の結婚でひと儲け…。人間の可笑しさ、そして哀しさを絢爛豪華な七色の筆致で描く。
この本と同じような詐欺事件(?)がたしか去年あった この本が先なのか、事件のほうが先だったのか・・ 人は公家や華族といった格式のようなものに弱いといった心理に漬け込んだ思いつき 2時間ドラマにしたら 面白かろう
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